見出し画像

建築事務所のいろいろ_Bjarke Ingels Group (BIG)_ビッグスターへの道

デンマークで生まれた建築家集団Bjarke Ingels Group (BIG) ニューヨーク事務所に勤務する建築家です。
あっという間に年を重ね、日本とアメリカで色々な建築事務所を渡り歩いてきました。スター建築家になるどころか、出世とも全く縁がないけれど、黒川紀章建築事務所(東京)、KPF、スティーブンホール建築事務所、そしてBIGで働く機会を得ました。その一つ一つの事務所では実に貴重で素晴らしい経験をし、これが私の最大の財産の一つとなりました。そして高校卒業と共に日本を飛び出しやって来たアメリカでの生活も23年、いつか住みたいと夢見たニューヨーク生活も15年が経ちました。このブログではBIGを中心とした色々な建築事務所での体験や、ニューヨークでの生活を書いていきたいと思います。


「ビッグスター」への道
建築家ならBIGと聞いて知らない人は今はもういないと思うが、5年前の日本でその名前を知る人はほとんどいなかった。私が働き始めた2015年当時、ニューヨーク事務所の社員は120名。それがたった5年弱で倍になり、事務所も2度引っ越した。そしてコペンハーゲンとニューヨークに加え、ロンドンとバルセロナにも支店ができ、500人を超える「ビッグスター」がこの4大都市に存在する、まさに名の通り「BIG」サイズに成長した建築集団なのである。


この「ビッグスター」という言葉。これはBIGの社員が自分たちを呼ぶ名称。もともとの語源は「ヒップスター」というブルックリンによく見られるヒップでピチピチのジーンズを好むある種のサブカルチャーの若者を言う。私は正直このヒップスターたちがあまり好きではなく、未だに自分のことを「ビッグスター」と言うのに慣れないのだ。
というのも、BIGで働き始める前に持っていたBIGの印象は、いつもパーティーばかりした子供達が遊んでいる様な建築集団、造られる建築もまるでダイアグラム、だった。それもそのはず、創立者のビアルケは私よりも年下で、かなりイケイケの兄ちゃん、という印象を持っていた。だから早くからBIGに入社した友人に勧誘される度に、いつも即答で断っていたのだ。


当時私はBIGの事務所から目と鼻の先にあるスティーブン・ホール建築事務所で働いていた。彼こそまさにアメリカ人建築家の代表的な人物の一人で、私は学生の頃から彼の作り出す空間、光、マテリアリティの世界に魅了され、これこそが私の目指したい建築であったからだ。
が、2014年あたり、ある事件が事務所内に起こり、とても仕事に集中する環境ではなくなってしまった。それに歳も年。この機会を逃しては転職も難しくなるのでは、と考えた。そしてしつこい程何度も勧誘してくれたBIGの友人の誘いを、とうとう受けることにしたのである。あれよあれよと言う間に面接日がやってきた。最初にBIGに足を踏み入れた時の「とうとう来てしまった。」という異質の世界、来てはいけない世界に来てしまったという感覚を今でも鮮明に覚えている。当時のBIGは大成長への加速をしだした時で、実務経験のある建築家を多く募集していた。私もその波に乗りオファーをもらい、面接時に感じた「あれ?ちょっと持っていたイメージとは違うぞ。」という自分の直感と彼らの熱意を信じ、この「BIG」という怪物に賭けることにしたのだ。


スティーブンに退職願を出した時、正直にBIGに転職すると言うと腰を抜かす程驚かれた。彼にとってBIG創立者のビアルケは子供の様な年下。思えば私のボスは黒川紀章から、ビルペダーセン(KPF)、スティーブンホール、とどんどん若くなり、ついにビアルケは年下という、なんとも不思議な話ではある。

こうして7年半勤めたスティーブンホール事務所に終止符を打ち、2015年1月、私は晴れて「ビッグスター」となったのである。

つづく

(写真は数年前マンハッタンに完成した住居棟VIA57。BIGは今までの建築の概念を取り去り、新しい常識を創り出している。https://big.dk/#projects)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?