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ニョロニョロの目って…?

だいぶむかしのことですが、ムーミンパパがひとことの説明もなしに、いなくなってしまったことがあります――パパ自身も、なぜ飛び出さなくてはならないのか、わからなかったのですけどね。

新版『ムーミン谷の仲間たち』所収『ニョロニョロのひみつ』

「ベランダパパ」から脱却すべく
突然、出奔したパパ。
ふらふらと歩いて辿り着いた殺風景な浜辺で
ニョロニョロたちと出会う。

ボートに乗っていたニョロニョロたちの
目の描写は旧版では「青白い目」となっている。
英語版のpale eyesを訳したものと思われ、
原書表現のblekaを瑞英辞典で引くと
paleが一番最初に出てくる。

ニョロニョロの目については
新版『たのしいムーミン一家』
旧版の「青白い小さな目」を
白目がちの小さな瞳」と
既に改訳していたが、ここでもう一度考えてみた。

ヒトの目のようだけど、どこを見てるか
よくわからない目つきをしているということだろうか。
それとも瞳孔が小さいということだろうか。
Thomas先生にも訊いてみた。

「小さな目で、目玉の色が薄い色。虹彩とか瞳孔が
ライトブルーということだと思う」

※Thomasにとっては目の色というとまず
青が浮かぶので青で説明しているのだろう

それはつまり…

(紙に描いたものをMessengerでやりとり)

「そうだと思う。
白眼の部分が凄く多くて
Pale blueの虹彩、みたいな感じ」

でもこれじゃあ、一枚目の「こうじゃなくて」と同じになっちゃうか…

「下の方がいいよね。でも
もっともっと薄い色で、目の真ん中に
虹彩がある感じかと」


「うん、そうだと思う」(←個人的見解です)
挿絵の目玉はかなりお目めぱっちりではあるが、
字面から思い浮かぶのはシベリアン・ハスキーの
目のような感じだろうか。

出典:https://www.axa-direct.co.jp/pet/pet_dog/library/siberian_husky.html

結局、この物語でも
「ニョロニョロたちはくるりと向きなおると、
その白目がちの目をこちらに向けました」

としたが、物語の後半で使われている
パパの描写ではblekaをこんな風に訳している。

Pappan försökte inte prata med hattifnattarna längre.
Han stirrade ut över havet som de, hans ögon hade blivit bleka som deras och lånade himlens växlande färg.

ニョロニョロたちに話しかける努力さえ、
いつかやめてしまって、いっしょに海を
見つめているばかりでした。まなざしは
ニョロニョロのようにうつろになり、
変わりゆく空の色をうつしていました。

新版『ムーミン谷の仲間たち』所収『ニョロニョロのひみつ』

blekの派生語blekna(bli blek=become/get/turn "blek")
という語もちょくちょく登場する。例えば
同じく『ムーミンの仲間たち』所収の
『目にみえない子』ではニンニのことを
トゥーティッキがこんな風に説明している。

Och det var just så den här tanten gjorde.
Hon var ironisk från morgon till kväll och
till slut började ungen blekna i konturerna
och bli osynlig. I fredags syntes hon inte alls.

そういうのが、おばさんの口のききかただったの。
毎日毎日、朝から晩まで皮肉をいわれるものだから、
とうとうあの子は、はしのほうから
ぼんやりと色あせていって、だんだん見えなく
なってね。先週の金曜日には、まるっきりすがたが
消えてしまったのよ。

新版『ムーミン谷の仲間たち』所収『目にみえない子』


『ニョロニョロのひみつ』が収められているこの短篇集の原書タイトルは、『目にみえない子』となっています。

自分に対しても他者に対しても、
何か言葉にしたり説明したりする必要がないって
素晴らしい!と解放感に浸るパパと、
パパのことだから、そのうちきっと帰ってくるさ、
というスタンスの家族。

みんなおたがいに、人のことは心配しないことにしているのです。こうすれば、だれだって気がとがめないし、ありったけの自由がえられますからね。

新版『ムーミン谷の仲間たち』所収『ニョロニョロのひみつ』

これは<自由のひみつ>の物語でもあるのだろう。


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