見出し画像

針?標識?唾を吐くって…?

ムーミン谷から遠く離れた
小さな島が物語の舞台である
ムーミンパパ海へいく』は
海や船に関する用語が多数登場する。

ムーミン谷を出発する前から
辞書を引いただけではわからない
言葉ばかりで、船舶に詳しい
スウェーデン人の友人には随分と
助けてもらった。

*********************
ちなみに。
底本訳者の小野寺百合子さんは 私が
いちばん好きな、心から尊敬する翻訳者。
小学生のとき小野寺さんの翻訳を読んで、
こんなに美しい文章の元になっている
外国語の文章って、一体どんなものだろう?
と思ったのが、スウェーデン語を学ぶ
きっかけであり、新版翻訳あれこれ話で
心の師匠を貶す意図は全くない。
もとより、他の巻の訳者である
下村隆一さん・山室静さん・鈴木徹郎さんにも
尊敬の念しかない。50年以上前に瑞語の
翻訳をするのはどんなに大変だったことか!
ロクに辞書もないし、もちろんネットもないのだ。
そこを大前提として、読み進めていただきたく。
**********************

さて、ムーミン谷を出発する前の
帆は巻き上げてあるのか・張っているのか、
満潮線よりも上に引きあげているものは
何なのか問題をクリアし、
一家が島に到着して灯台の中にようやく入り
灯台の窓から外をママが眺める場面で難航した。

【旧版訳】
 最後の窓のところで、ムーミンママはけずってないえんぴつ一本と、さかなをとるあみの修繕に使う糸と、針を見つけました。ムーミンママは、えんぴつをおもちゃにしながら立っているうちに、なんとなく窓わくの上に小さな花をかいて、葉にきれいにかげをつけはじめました。

旧版『ムーミンパパ海へいく』

ここで問題になるのが
「けずってないえんぴつ」anilinpenna と
「針」nätsticka

削っていない鉛筆で描くことはできず、
削った描写もない。anilinpennaは
いわゆる大工用鉛筆だとすぐに判明し、

anilinpennaで描いたサインというのも確認できた。

ところが、nätstickaを調べると
こういう形状のもので↓

昔ながらのものは木製らしい↓

https://samlingar.vbm.se/items/show/54823
Tove展でもトーベが使っていたnätstickaが展示されていましたね…

しかし、これで網を縫えるとは思えず
謎はなかなか解けなかった。ここを
保留したまま先を訳していたら、
次の章でこんな一節にぶつかった。

【旧版訳】
あみの標識が、窓わくの上にのっかっていました。そりゃそうですよ。パパはあみをしかけるのをすっかりわすれてしまったのですもの。(中略)
三つのあみをおろしおわったとき、ムーミンパパは、標識の上に三度つばをはきました。そのつばは、空中に尾をひいて、まっすぐ水の中に消えていきました。

旧版『ムーミンパパ海へいく』

上記の「あみの標識」「標識」が
原書を参照するとnätstickanなのだ。
えっ、標識?そして唾を吐く?
*nätstickanはnätstickaに定冠詞(英語でいうところのthe)が付いた形

更に混乱しながら「三度つばをはく」
について調べていたら、とある方のブログに
「パパはいつもnätstickanに "tur-spottade" 
(幸運を願って唾を吐く)をしていて…」
という一文があった。

このブログ主はオーランド諸島のカフェ
Pettas ekologiskaのKarinさん。
思いきってメールで質問をしてみた。

"tur-spottade"について教えてください。
ムーミンパパはnätstickanに3回唾を吐きますが、
これは"tur-spottade"と同じですか?そしてこれは
もしかして大漁を願ってすることですか?
そして、nätstickanは網を補修するためのもの
なのでしょうか?

すると、Karinさんからお返事が!

古い習慣で、大漁を願ってnätstickanに3回唾を吐くのです。
Nätstickanは網を補修するものではなくて、網を引き揚げるときに、取っ手のようにして使う道具です。網を回収するときに、これに引っかけて手繰り寄せます。

nätstickanの写真も撮って送ってくださった!

ここでふと、思い出した!
これは…『さみしがりやのクニット』にも
登場している道具だ!

絵本の文字は、トーベの手書き文字です

なるほどなるほど!しかしこれを
どう訳せばよいのかと悩んでいたところ、
埼玉県鴻巣市の三谷釣漁具店さんが
詳しく教えてくださった。

これは刺網用の収納ハンドルです。
主にヨーロッパ、アメリカで使用されております。
網を仕掛ける時と回収の際に便利ですが、日本国内ではあまり普及しておりません。このため正式名称もないので、ハンドルと呼んでおります。
当店で販売している物の画像を添付いたします。

これを操作することにより、初心者でも簡単に素早く、網を仕掛けることができます。回収の際も網に上部を突き刺すようにしながら簡単に作業ができます。厚手の手袋をしてもこの作業ができるのは、このstickのおかげだと思います。

ありがたやありがたや。
使い方はよーくわかった。
しかし名称が…と悩んで、結局このように。

最後の窓のところで、ムーミンママは建築用えんぴつ一本と、さし網の修繕に使う糸と、まき取りハンドルを見つけました。

新版『ムーミンパパ海へいく』2章

網のまき取りハンドルが、窓台にのっかっていました。そりゃそうですよ。パパは網をしかけるのをすっかりわすれてしまったんですもの。(中略)
三つの網をしかけると、大漁を願って、パパはハンドルに三度つばをはきました。つばは空中に尾を引いて、まっすぐ水の中へ消えていきました。

新版『ムーミンパパ海へいく』3章

nätstickanに唾を吐く、については
Facebookのスウェーデン語系フィンランド人の
言語コミュニティでも質問してみたところ
「昔の習慣だよ」「今でもやってる」という
コメントと共に、三度唾を吐く前に唱える言葉として
”Fy fläsk, fin fisk” や
”Tvi fläsk - go fisk" などを教えていただいた。

更にはnät(網)関連で、nätpinnarの謎も。
旧版では「それから、雨がふりださんうちに、
あみをしかけなければならないし、いけすをつくらにゃ……」
とあるが、棒状のものを設置するということでは?と
前述のKarinさんに併せてお訊きしたところ、

nätpinnarを使って網を干して、絡まったところはきれいにして、また海で使えるようにするの。うちではこんな風に 並べて立てて使います。

と、写真付きで解説いただいた。
そして、新版では、このように。

それから雨がふりだすまえに、網干し場を作らねばならないし、いけすも作らねば…

新版『ムーミンパパ海へいく』3章

Nätstickan問題、解決!と
すっきりしていたが
本が出来上がって冷汗が。

2章ラストの挿絵です

これはNätstickan!
どう見てもNätstickan!
そして海草が絡まっている!

「網は三つとも同じように海草だけで、網のハンドルまで海草が束になってからんでいました」

新版『ムーミンパパ海へいく』4章

この挿絵は、2章ではなく
4章に載せなくっちゃ。
今から挿絵のレイアウト変更は
できないそうなので(涙)
次世代新版もしくは新訳の際には
ぜひ!この挿絵は4章に移動を!
未来の翻訳者さん・編集者さん、
どうぞよろしくお願い申し上げます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?