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「こんにちは」にどう返す?

森をつきぬけて歩きながら、ミムラねえさんは考えていました。
(ミムラに生まれて、ほんとうによかったわ。頭のてっぺんから足の先まで、とてもいい気持ちだもの)

新版『ムーミン谷の十一月』 9章

ミムラの登場から始まる9章は
映像の立ち上がり度が群を抜いている。
ばらばらにムーミン谷にやってきた
(つまりそれまでは、ひとりずつに
スポットを当てて描かれていた)
6人が全員揃うのがこの章だから、
というのもあるが、
この章を読んでいると、各シーンの色合い・音・
空気感があざやかに思い浮かび、まるで
映画を観ているかのようなのだ。

真っ赤なロングブーツを穿き、
つやつやした薄オレンジ色の髪の
ミムラの華やかさと軽やかさ。

モノクロの挿絵だからこそ、読者は好きに映像を思い描けるのです

橋の上に座りこみ、仕掛け網で
魚獲りに勤しむスクルッタおじさんは
ナイトガウンにゲートル、帽子をかぶり
雨は降っていないのに傘をさしている。
小柄で褪せた色のイメージだろう。

スクルッタおじさん(挿絵は11章のもの)

ムーミン屋敷の階段に腰かけていた
フィリフヨンカは、ミムラの軽やかさや
華やかさとは対局にある。

ベランダにはフィリフヨンカが、足を毛布にくるんで腰かけていました。まるでこの谷がそっくり自分のものみたいな、でもそんなのはべつにうれしくないような顔をしていました。(P77)

ムーミン屋敷にたどり着いたミムラは
「こんにちは」とフィリフヨンカに
声を掛ける。
これに対するフィリフヨンカの返答は
旧版では:

「こんにちは。」
と、フィリフヨンカも、あいそうよく、でも、なんとなくよそよそしいようすで答えました。ミムラの仲間にむかうときには、フィリフヨンカは、いつもこうなのです。

旧版『ムーミン谷の十一月』

となっているのだが、原文を参照すると
ミムラがHejと呼びかけているのに対し
フィリフヨンカはGoddagと返している。

Hej, sa Mymlan. Hon såg genast att huset var tomt.
Goddag, svarade Filifjonkan med den kyliga älskvärdhet hon använde för mymlor.

Hejは様々な場面で使える挨拶だが
目上の人にも大抵はHejなので
Goddagはかなり改まった感じなのだ。
そして、「愛想良く」とは書かれてはおらず
新版ではこのように。

「こんにちは」
と、ミムラねえさんは声をかけましたが、ひと目でうちの中が留守だとわかりました。
「ごきげんよう」
フィリフヨンカはちょっとよそよそしく答えました。ミムラたちに対しては、いつもこうなのです。

新版『ムーミン谷の十一月』P79

そして、ヘムレンとミムラとフィリフヨンカの
噛み合わないやりとりは言い争いになっていくが
そんなものからはすーっと退散してミムラは
家の中に入る。すると、

視点が俯瞰からミムラのものに移ることで
シーンは静かな室内へと滑らかに移行する。

そこは冷え込んではいるものの
穏やかな空気が流れており
窓際に腰かけ、長い髪に櫛を入れるミムラの
描写は美しく、暖かささえ感じる。

 ミムラねえさんは、何度も何度もくしでとかしました。髪の毛から、パチパチ電気の小さな火花がちりました。とかせばとかすほど、髪はつやつや光ってきます。秋が来て、見ちがえるようにさびしくなってしまった広い庭を、ミムラねえさんはぼんやりながめました。木立ちはまるで、舞台の灰色の背景画みたいです。霧雨にけむる中、葉を落とした木が一本、また一本と描かれているように見えました。

新版『ムーミン谷の十一月』P83

窓越しに続く「音なしのいい合いっこ」
地面を見つめながらじっと佇むホムサ。
谷間に忍び寄る雨。
するとそこで、スナフキンが現れる。

スナフキンが橋をわたってくるのが見えました。そうです、スナフキンです。あんなにこい緑色の服を着たひとなんて、ほかにいませんからね。(P84)

そして、
Mymlan öppnade fönstret.
(ミムラは窓を開けた)という
極々短い一文で場面は
一気に「静」から「動」に変化し、
刺々しい言い争いの音と映像が飛び込んでくる。

状況を察したスナフキンは
役を負わされるのは願い下げとばかり
テントに潜り込む。

しばし雨の中に立ち尽くしていた
フィリフヨンカとヘムレンが
多分、バツの悪さを引きずりつつ
家の中に入っていくのを見届けた
ミムラが窓を閉めると、
シーンは再び、心地よさでいっぱいの
ミムラの空間に転換する。


窓の外のゴタゴタを回収するかのように
長い髪を玉ねぎヘアにまとめたミムラは
他の者たちとは一線を画している。

なんでもたのしく過ごすことぐらい、すてきなことなんてほかにないし、それってとてもかんたんなことなのです。ミムラねえさんは、だれかと出会ってすぐあとで、そのひとのことをわすれたからといって、ちっとも気にしません。そのひとたちといっしょになって、なにかをしようともしませんでした。みんなのことも、みんなのいざこざも、おもしろがったり、びっくりしたりして見ているだけでした。

新版『ムーミン谷の十一月』P86

超然ミムラが潜り込む布団の色は青。
暖色に差し色の青が効いている。
雨音をBGMに眠るミムラは夢を見ない。
これから起きるであろうゴタゴタにも
意を介さない。
スナフキンは面倒から逃げるように
テントに潜り込んだのに、ね。

(橋の上に寝そべって、流れる水をながめるのもいいものだわ。走ったり、赤いブーツでジャブジャブ沼をわたるのも気持ちがいいわね。体をまるめて、屋根の上の雨の音に、じっと耳をすますのもいいものよ。たのしくすごすって、ほんとにわけのないことよ。)
新版『ムーミン谷の十一月』P87


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