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カズラ島散骨記 ①発病

2023年9月24日(日)
島根県隠岐郡海士町の諏訪湾入り口にある
無人島「カズラ島」に母の遺骨を散骨した。
三回忌を過ぎてようやく、
母との約束を果たせたのだった。

「私、お墓は大嫌い。死んだあと、
お墓には絶対に入れないでほしい」

まだ元気だった頃から母は、そう断言していた。
母はさっぱりとした性格で、自分の意志を
はっきりと示せる人だった。基本的に
インドア派だったが、かれこれ25年来
社交ダンスを愛好していて、適度に体を
動かし、体は丈夫な方だったのだが。

新版『ムーミン谷の冬』

2020年1月27日、当時私は新版ムーミン全集の
改訂翻訳仕事の真っ最中で、この日は
『ムーミン谷の冬』の修正稿を
編集さんに戻して、ちょっと一息ついていた……
ところに実家の父から電話がかかってきた。
曰く、
母さんの具合が悪い。身体が痛くて重くて
動けない。歩くのなんてとても無理な状態。
実は年明けから体調がよくなくて、
かかりつけの医師に紹介状を書いてもらっている。
明日、総合病院に行きたいから付き添ってほしい。

母は体が丈夫だった。そして、滅多なことでは
「痛い」とか「苦しい」とか言わない人だった。
そんな母が不調を訴えているということは
余程のことなのだ。

翌1月28日、朝イチで総合病院に行き、
血液検査と診察の結果、即入院となった。
難病の「皮膚筋炎」という診断だった。
(当初は「壊死性ミオパチー」の疑いだった)

母は細身だったが、更年期後にコレステロール値が
高くなってしまったため、
スタチン系薬を服用していた。
恐らく、この薬の影響で
CK(クレアチンキナーゼ)の値が異常に高い
値となっていた。
CK値が高い=筋肉組織が破壊されているため、
手足の体幹に近い部位の筋力低下や筋萎縮・
筋肉痛が出ていたらしい。

とにかく安静にしながら各種検査をし、
治療方針を定めることになった。

この頃はまだ、コロナの感染拡大前で
病院の面会も自由にでき、
お風呂に入れない母のタオル清拭など
身辺の世話も自由にできる状況だった。

母が入院している病院は私の自宅から
徒歩圏にあり、買い物ついでに病院に顔を出しては
リクエストの品を調達したり、雑談をしたり。
そんな日々だった。

1/21『ムーミン谷の仲間たち』修正稿戻し
1/23『ムーミン谷の冬』再校受取
1/26『ムーミン谷の冬』再校戻し
1/30『ムーミンパパ海へいく』1章~5章原稿提出

新版『ムーミン谷の仲間たち』


新版『ムーミンパパ海へいく』


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