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パーティーミステリー

ムーミン屋敷には水道設備がないため、
ムーミン谷の十一月』17章では
井戸水や雨水をバケツで汲み置きしたり
洗髪のためにバケツの雨水を火にかけて
温める場面がある。

そしてここで、翌日のパーティーのことを
ミムラに告げられて驚いたフィリフヨンカは
こんな風に語る。

いいことを聞いたわ!知らないものどうしが漂流して陸に打ち上げられたり、大雨や大嵐で閉じこめられたりしたときには、みんなそういうパーティーをするのよ――そして、パーティーの最中に、ふっとろうそくを消すの。そして、もう一度火をつけたときには、

『ムーミン谷の十一月』17章

旧版はこの後
「みんなの心がしっくりとけあって、
ひとりの人みたいになっているの」
となっているのだが、
原文を参照すると
när det tänds igen är det En Mindre i Huset
(英語版はand when they go on again there is One Less in the House)
となっていて、
再び蝋燭を点けたら
誰かいないという
何とも気味の悪い状況で、
ほっこり話とは
だいぶかけ離れている。

しかも、この一節は日めくりカレンダー
にも採用されていて、ううむ……

https://www.moomin.co.jp/news/products/64982

とはいえ思い込みの勘違いでは
大変よろしくないので、
Henrikaに確認してみた。

日本語版は凄く美しい訳だけど、全然違うの。Tove Janssonは結構、ぞっとする表現をするよね。ここはアガサ・クリスティーの推理小説のことを指してる。島に隔離された人たちがひとりずつ殺されていく、 "Tio små negerpojkar" が改題されて "Och så var de bara en"ってなった小説ね。

おお、『そして誰もいなくなった』だ!
だからミムラは「そして、それから、ひとりずつ
消えていって、最後はネコだけが残されて…」
って言っているのか!

パパも大好きアガサ・クリスティー!

新版ではここを
「そして、もう一度火をつけたときには、
ひとりいなくなっていて……
としたが、これは18章の
ミムラのつぶやきにもつながっている。

フィリフヨンカは、天井にかかった、大きな穴開きクラッカー用のさおにシーツをぶらさげました。それから、シーツの裏にあるたきぎ入れの箱の上に台所ランプを置くと、ちょうちんの火をつぎつぎと吹き消していきました。
「こんどあかりがついたときには、最後まで残ったひとりが食べられてしまうんだわ」
と、ミムラねえさんが、そっとつぶやきました。

『ムーミン谷の十一月』18章

ちなみに
てっきりフィクションだと思っていた
雨水洗髪は物語の世界のことではなく、
「洗髪には雨水がいちばん。
別荘のサウナにも雨水が欠かせない」
とHenrikaから聞いて、またまた
びっくりしたが、水道設備のない
ところでは当然のことだ。

Toveが夏を過ごしたクルーヴハル↓
水道も電気も通っていない。

内山さつきさんのクルーヴハル滞在記。
文章も写真も美しい。

https://www.asahi.com/and/article/20210701/405979738/

18章のパーティーの場面。ミムラのアドバイスどおり、フィリフヨンカはしっかり巻き髪にセットしている。


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