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写真集を作りたい人へ

まれに写真集を作りたい、という人から自分のような年に1冊くらいしか出版していなとこにもメールが来るのだけど、そういう時にたいてい、自分で出版することをお勧めしている。お金がないのなら今は銀行のカードローンで割と低金利のものがあるから、それで金を借りて出版すればいい、と。

それがわりと突き放したり冗談で言ってるのかのように捉えられるのだけど、大真面目にそう思って、そしてそれがその作家さんにとって最善の道だと信じて返信しているのだが、どうもそれがうまく伝わっていないような感じもするので、こちらに少し書いておこうかと思った。

僕自身、とても打たれ弱い人間なので、例えばバイトの面接なんかで落とされようものならそれだけで全人格を否定されたような気がして落ち込んでしまうわけなのだけど、そういう人間からすると、出版をしたい、と見ず知らずの人にメールを送ってくる段階ですごくえらい、やる気があって素晴らしいと思う。なので、できることなら協力してあげたい、自分にできることならやってあげたいと思う。だから自分のところでは出版できなくても、とりあえずメールに返信することにしてる。

ただ、それと同時に、この人は私が出版しているのがどのようなものかわかっているのか、と疑問に思う。roshin booksは牛歩の速度で出版を続けている写真集専門の出版レーベルだが、それぞれ写真集によって作品の性質、装丁のデザイナーは違うけれど(加藤勝也さんのデザインが多いが)、初期から現在まで通底した空気感のようなものはあると思っている。

その空気の流れを読んで、それでもなおここで出版したいからとメールをくれているのかどうか。おそらく、読んでないのだろうなあ。読んでる人は、自分のところに送るような無駄足はしないと思う。どう考えても、お!これは素晴らしい才能が眠っていた!よっしゃ出版したろ!っていう感じのレーベルではない。赤々や青幻舎で無理だったからこっちもとりあえずやってみよーっていう感じの人が大半ではないかと思う。でも、それはそれでいいと思う。やるだけでも偉いと思う。それすらやらない人が大多数な現実なのだから。

以前、twitterでも書いたけど、写真集の売り上げだけで会社やレーベルがなんとか運営できる時代ではない。それだけ体力があるとこなんかない。そもそも写真集の製作だけで運営できた時代なんてこれまであったのだろうか?少部数の発行、それによる原価率の圧迫、人件費、原材料に輸送費の高騰、正直、どこで採算を取ればいいのかやってる中の人でもわからない。純粋に商売として考えるとこんな割に合わない仕事なんてないと思う。でもだからこそ、買ってもらった時の嬉しさ、それを梱包して発送する時の満足感といったら他に代え難いものがある。作ったものの価値を認めてくれて、それを期待する人に届ける時の梱包作業ほど出版冥利に尽きると言ってもいい。ただし、新刊のプレオーダーが溜まってる時の出荷作業は10数時間に及ぶ苦行となるわけだけど、、、。

前置きが長くなってしまったが、出版のタイミングというのは作家本人が出したいときに出す、というのがベストだと思う。一昔前のインターネットのないような時代にポートフォリオを出版社に持ち込んでからの出版、というルートは確かに存在したのだろう。しかし今も昔も、見てもらってからのハイ出版!というような簡単なルートではない。映画「浅田家」で作家の浅田政志が出版社に持ち込んだ場面を覚えてるだろうか。出版社に利益を持たらさない出版に出版社がそう簡単に興味を持ってくれるわけもなく、会ってくれたとしても毒にもならないありがたいお言葉をいただく程度。そもそも直接の持ち込みはそれ自体ハードルが高い。それに比べて写真集を出してる出版にメールを出すことはとても容易なのだが、結局のところコンタクトの間口が広くなったとしても出版という出口の狭さはそのまま、もし出版側がちょっと気になってくれたとしても簡単に状況が動くわけでもなく、運よくそれが形になるまでには相当な年月を要することになる。

結局のところ出版社などで誰かと一緒に本というものを製作したいと思うなら、作家自身がまず出版社に何を求めるかということを明確に持たなくてはならないのではないかと思う。最初に述べたように写真集出版などという苦行のような仕事をするには、やはりその人の作品に相応の魅力を感じることができなければ、到底引き受けられるものではない。何を求めるかの例としては、赤々の姫乃さんと製作の初期段階から二人三脚で作りたい、マッチアンドカンパニーのマッチさんに自分の作品を料理してもらいたい、など。現在の日本の写真集にある程度敏感になっていれば、どこの誰とどんなのを一緒に作りたいか、は見えてくるかと思う。結局のところ、そういう気持ちが最初のメールに僅かでも書かれていないと、どれだけ作品が良くても受け取った側には全然刺さらないわけで、まずは刺さるところから始めないといけないのだが、私の極論からすると刺さるようなしっかりとした考えがすでにあるのならば、既存の出版のシステムに乗っかる必要などないと思う。

だから、自分で出版しましょう、と勧めています。自分で出版すると決めたからといってその瞬間に出版できるわけではないけど、すぐに動くことができる。お金の問題なら借りたらいいと。

おそらく。ある程度写真に携わってきてるなら、今の時代の人ならZINEくらいのものを作ってしまうことも簡単だろう。それができないなら、勉強するなり、友人のデザイナーを頼ればいいし、もっといえば好きな作風のデザイナーさんに直接、一緒に作りたいとメールすればいいいと思う。そこにハードルは存在しない。では、どこにハードルを感じるのかというと、作ったものの販売方法だろう。ここが出版と個人の大きな違いだと思う。しかし、これも難しいことではなく、今まで自分が写真集を購入してきた履歴を遡って考えれば、自分の本をどういうお店どういう書店に販売してもらいたいか、という能動的な考えが自ずと生まれると思う。それが出てこないのであれば、写真集を買ってこなかった、見てこなかった証拠だし、そんな人はどういう写真集を作りたいかなんてビジョンは持っていないだろうし、誰と組んだところで良いものを作ることができるなんて到底思えない。

その先に詰めたところ物理的な壁として次に登場するのがお金の問題。少部数でも印刷所で製作するにはそれなりのお金がかかる。その問題をクリアする手段としての出版社なり出版レーベルに話を持ちかけるのだが、実際問題、出版社だってみんなお金がない。写真集1冊の売り上げで、その制作費をカバーできているのは全体で一体どれくらいなのか検討がつかないが、おそらく少数だと思う。多くは他のヒット作で穴埋めしたり、そこそこ大きい会社では他の部門でその赤字を埋めているのではないだろうか。なので自分のような1年に1冊くらいの出版で、投入したお金を短期間で他で埋められない状況では出版の可否には本当にシビアな目線になる。かといって、1冊あたりの単価を上げるわけにもいかない。そして昨今の原材料や人件費の高騰など、売れようが売れまいが払うものはしっかり残るのだ。ただ、印刷費に関しては写真集というジャンルが売れないものだとわかってくれてるのと、挑戦的な試みには技術のトライアル&エラーにもなることから印刷所は相当頑張ってお安くしてはくれてるな、と感じる。その分印刷所からの外注になる装丁に関わる経費は、とても高騰していると感じる。10年前に製作した張り込み日記は、本当なら増刷時のメリットである経費が最小で済むというアドバンテージがありつつも初版の見積もりの額を超えてしまった。部数を20%も減らしてるのにだ。

またまた脱線してしまったが、そういうお金の問題で自らの出版を躊躇するならカードローンで借りてしまって、さっさと作って販売すればいいと思う。お金の問題、販売してくれる場所さえクリアになってしまったら、もう何も障害は残らない。売れば売るだけ負債は減っていく。金利を超えるスピードで売ってしまえば、金利なんてあってないようなもの。金利がない借金なんて借金でもなんでもない。どんな優良な大企業だって資金を借りて事業を回しているわけで、それが大きいか小さいかだけの問題。回っている円は同じ丸で進む角度は同じ。

とはいえ、カードローンでも15%くらいの金利の話をしているわけではない。5%か6%くらいの想定の話。その金利で借りるにはそれなりの信用が必要になってくるかとは思うが、逆にいえばそれくらいの社会的信用がない人に出版社が何百万の資金とマンパワーを投入できるかというと、普通に考えて難しいだろう。でも、俺はアーティストだから、と居丈高に振る舞ってみても現実はそんなものなのだから、ここは割り切って今現在、その金利で借りられない状況なら、借りられる状況になる努力をしよう。シュリーマン方式だ。現代でいえば新川帆立。作家が出したい時に出すのがベストと書きながら矛盾した提案ではあるが、いまはまだ機が熟していないと考えてもいいかと思う。その時間、作品と向き合う時間も取ることができる。

めでたく低金利で資金を調達できたら、いよいよ製作に入るわけだが、大事なのはデザイナー。でも自分でIn designを使えて自信があるなら、自分でやってしまっていいと思う。完璧を求めなくても、やりたい方向性さえ間違っていなければ、それが作品を毀損することにはならない。ただ、それを実行する条件としては、自身がどれだけたくさんの写真集を見てきた経験があるかどうか。自分で作るにもデザイナーに依頼するにも、自費出版において根本的に良い本に仕上げるためには、作家自らの方向性が明確になっていることに加えて、作品から離れてそれを本という物として見ることができるかという視点。出版社と一緒に作業した時の一番大きいメリットって、この「別の視点」、客観的な視点が得られる、ということだと思う。

例えば、roshin booksの場合、出版人である私は作品ができる工程から一歩離れて距離を置いている。基本的に、作家がベストだと思った気持ちや、プロフェッショナルなデザイナー視点、印刷所の職人さんの目などを信頼している。なので、多少の違和感などがあっても、特にそれを口にすることはない。自分は製作の進行中には、本を買ってくれた人が家の本棚にその写真集を収納してくれた時のことを思い描いている。その視点で、これはこうした方がいいかなあ、といった軌道修正を加えることもあるが、それくらい離れたスタンスで進行を見守っている。関わる誰もがベストを尽くしているときでも、それぞれの立場からでは見えてこない死角ができてしまうこともあり、出版人が同じ目線で主観に入っていては大事なことを見落としてしまうこともあるので、そういう場合に備えての「別の視点」が製作には大事だと考えている。それが出版レーベルなどと一緒にやる一つのメリットではないかと思う。

でも、借金して自分で出版した方がいいと勧めてるのは、そういうまどろっこしいことはともかく、本を作りたいんだ、という気持ちを大事にしてほしいと思うし、荒削りでも初期衝動の勢いで生まれる力っていうのは絶対にあると思う。写真というメディアの性質上、単純に音楽と比喩してファーストアルバムが一番かっこいい、なんてことにはならないのはわかっているものの、とにかく一度形にしてみることには意味がある。それで一度失敗してみれば、客観性という視点も養えるし、後で振り返ってみた時にそれは高すぎた投資にはならないはず。今の自分たちは先人の偉業の上澄みしか掬ってなくてそれをあーだこーだ言ってるわけだけど、例えば深瀬昌久の鴉の初版が完売するまでにはそれこそ十数年かかっているわけだし、出版した本が売れなくてその在庫の上に布団を敷いて寝たなんてエピソードは数多く。それほど売れない世界に挑むのだから、それなりの覚悟を持って挑戦してほしい。

それでもやはりお金を借りてやることに躊躇するような状態であるならば、それはまだ出版する時期ではないということだと思う。俺の写真集を買わないのはバカな奴らだ、後で後悔するぞ、それくらいの自信がなければ、借金するのも怖いはずだ。

とはいえ、売れなかったらどうしよう、どんな自信家でもそう思うことは自然だ。その時は作品をもう一度見つめなおそう。作品との対話こそが唯一の解決の手段だと思う。自分が組んだそのポートフォリオのページネーションは適切か、その次のページの展開は必然か?、果たしてこのピースは必要なのか、金という切実な問題を持って見返したとき、また違う視点で作品を見直せるチャンスだ。

これ以上ない、今の自分のベストで、それを世界に公開したいと感じた時、その時は金を借りてでも出版したらいい。それくらいの気持ちがあれば、扱ってくれる書店に対してどうしたらいいか理解してると思うし、アートブックフェアに積極的に出展していって自らの世界を切り開けるはず。アートブックフェアに呼ばれない?ブックフェアって実は地方でもあちこちでもやっていて、その情報を拾っていって自分から参加したいと主催者に連絡すればいい。やる気のある出展希望者からの申し出に対して、主催者はどうやったら出展できるかを考えてくれるはず。

そしてインターネットを使えば、世界のアートブックを扱う書店にアクセスできる。chatGPTを使えば英語の壁もない。取り扱ってほしい熱量を伝えれば、きっと正面から受け止めてくれる書店が世界中のどこかにあるはず。もちろん、そんなオファーは書店にはたくさん来ているので返信がないのは当たり前。でも挫けずに繰り返せば届くだろう。そして写真集があれば、海外のアートブックフェアに持ち込んで、売り込むこともできる。

送料や送り方は?梱包はどうしたらいい?そういう時には自分に相談してくれたら、いくらでも教えるし、それ以外のことでも相談してもらえればなんでも教える。むしろそのステージまできた人が自分に聞いてくれることはとても嬉しいし、応援したい気持ちで一杯だ。

だから、私が提案する「写真集はカードローンで作ればいい」という言葉は、冗談やあしらう手段ではなく、本気でそう思っているのだ、ということはわかってもらいたいと思った次第。







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