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建具屋、廃業。

高校三年のとき、進路のことで、
父からではなく兄から継がないか問われ
「やだ」と答えた私。
前回はここまで。

大学からは親元を離れ一人暮らし。
なかなか家には帰らなくなりました。
だって、怖くて厳しい父親はいないし、
口うるさい母親もいない。
羽を伸ばしちゃいますよね。

大学卒業後、東京で就職してしまうと
もうほとんど帰ってません。

お盆休みのような決まった休みの制度が
会社にはないのをいいことに、お盆は
「仕事で帰れない」などと理由をつけて
ほとんど帰りませんでした。

そのくせ9日間の夏季休暇をとって
バイクでツーリングに行ってましたから
とんでもない親不孝者です。

正月だけは帰ってましたが。

社会人になって4年ぐらい経ったころ、
客先のプロジェクトルームへ出勤すると
突然会社の総務から出先へ連絡があり、
「すぐにご実家に連絡してください」
とのこと。

実家へ電話してみると、叔父さんが出て
父がもうすでに冷たくなっている
と告げられました。

本当に突然のことでした。
前の晩、父に電話しようと思っていたのに
電話できなかったことを後悔しました。

火葬場の関係で告別式まで日が空いていて
その間ずっと父の側にいたのですが
毎晩の弔問がありました。
父の仕事関係の仲間の人たちです。

みなさん、
父の顔をみて涙を流しているんです。

死んだら涙を流してくれる仲間がいる。

父が誇らしかったし羨ましかったです。

私も小さい頃から知っている人たち。
でも、高校あたりからほとんど
お会いしていません。

私が末の息子だとわかると、
みなさん、言うんです。

継がないか

と。

お父さんがこれだけの店にしたのに
終わらせるのはもったいない。
仕事のことはオジサンたちが
教えてやるから。

そうこうしているうちに告別式。

葬儀屋さんが「これだけの規模のご商売
でしたら200〜300人でしょう」と予想
した参列者の数を上回る500人の方々が
父を見送りに来てくださいました。

こんな時になって初めて
父の偉大さを知らされるとは。

告別式、初七日を終えて、
店をどうするかを話し合い。

というより、母は店をたたむことを
決めていました。
収入の不安定な自営業は、これを機に
もう終わらせたいと願っていました。
息子たちが安定して給料をもらえる
会社員でいてほしいと願っていました。

それまで店を継ぐなんてことを
考えていなかった私。
だから店を継ぐということが
どういうことなのかわからなかったし、
何から始めればいいのか、
何をすればいいのか想像もつかない。

まして、頼りの父はもういない。

当時の仕事の方はというと、
システムエンジニアとして一人前と
認められつつあり、
当時の先端分野をやらせてもらっていて
これから、というところ。

木製建具からアルミサッシへの
移り変わりはさらに進んでいて、
職人さんもその頃は一人だけ。
商売の勢いは見えている。

なんだかんだ考えても
怖くて継げなかったんだと思います。

いろんなことが怖くて。

ただ、
父が築いたものをなくしてしまうこと
店の名前が消えてしまうことには
罪悪感のようなものを感じていました。

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