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良いリズムとはどこにあるか #008

どうしたらうまくなりますか
どうしたら良いグルーヴになるんですか。
どうしたら良いチューニングができるんですか

自分も思ったこともあるけれど、ずいぶんと長いことこんな言葉が発せられるのを聞いてきたように思う。

ドラマーが集って「すんげ〜一体どうしたらこんな演奏になるんだよ〜」みたいなのとは違って。なんだか答えがあるんですよね?というニュアンスを感じることもあったり。揶揄するとかではなく、実際答えられない、答えにくい、自分も尋ねる側だった時に予想していたところには答えがなかったというのか。そしてそれは説明ができにくい、というかその問い自体がなにかこう構造的な罠にハマっているというか。

どうしたら良いのか。どこにあるのか。
青い鳥はね、近くにあるんだよ...
青い鳥ってなんですか?いまドラムの話してますよね...?

不毛ではあるなぁ。
いやこんな返答したことないけどw

どうしたら気分が晴れますか?
ってのと同じなのかもしれない。

大事なことは、良い状態を好ましいと思っていて、それはどうしたらできますか?ということでよいのだけれど。

良い状態を作り出す時代から、キープする時代になっているのかもしれず。
0から1になった時代と、1を1として持続させる時代の違いか。

音楽というのは、人間から生まれた突然変異なのか、それとも自然界の音が脳内で咀嚼されて出てきたものなのか。

青い空を眺めながら、風に揺れる木々の音を聞きながら、普段そんなこと考えたもしないのに「あぁ人間とは一体なんであろうか...」なんて口に出してみたり。

人間が「感じる」というのはどんなメカニズムなのだろう。それをわかりたい気持ちと、わかったところで、という気持ちと。もし完全に感情をコントロールできるようになったとき、どんな状態をデフォルトとして設定するだろうか。ハッピーで不安がない状態、少し警戒しつつ安堵を求める状態。常に怒っている状態、何も感じていない状態...。

お腹が痛い時に、水虫の薬を指に付けても、たぶんあまり効果はないだろう。逆もまた。ある状態に対して何かしらの作用をするものを、人は刺激と呼んだり薬といったり愛といったり暴力やハラスメントといったり...ちょっと大雑把すぎ?

しかしリズムとかアンサンブルにおいては、全員が別ベクトルで引っ張り合うことで、テントがピーンと張るような、在る種の均衡状態というものもあるように思う。

ベクトルが違うものが、実に本来のベクトルに良い効果を与えることがあっても不思議ではない。加勢するだけが正解ではなく、相反するものだからといって、敵対するとも限らない。

お正月のおせち料理に飽きてカレー食べたくなるみたいな?ご飯が続いたからパン食べたいとか?今日はビールじゃなくてホッピーかなとか?ジル◯ャンじゃなくてセイ◯アンとか?ちょっとした変化とか、口直しみたいなものってのは人生を豊かにしてくれるのだろうけど、一方で、いつ食べてもうまいものとか、いつ聞いても素晴らしい演奏とか、〇〇は癒やされる、〇〇はアガる、とか...人それぞれにあって。それは、それぞれの人の状態に対してなにかしら作用するものでもあろうから、冒頭の質問は、言い換えれば「誰が食べても美味しいもの」ということにもなってくる。

で、こういう質問を投げてくる人は、自分が美味しいものを勧めたらいいのでは?と思うのだけれど、そういうことを言ってみると「でも人それぞれですよね」「いろんな意見があって良いのでは」と返すこともある。個人的にはすごく矛盾も感じる。ではなぜ良い演奏をできたいかといえば、何らかの別の目的があるのかなと思ってみたりする。

まぁそこは良いとして、食べて美味しいと感じることと、美味しいものとして評することには、多少の違いがある。家庭で出される料理しか食べてない人が、うちの料理は最高だ!という場合の意味と、世界中の美食を食べ歩いて帰ってきた人がいう、やっぱりうちの料理が最高だ!の意味は違う。そこには素材、技法、時期、環境や状況という味に関与する要素も痛感するような体験があり、自ら発した「最高」と思っていたものが最高でなくなるときがあることも知り、その上で感じる「最高」と言いたくなる気持ちというものが云々。

このドラム最高に良い音がしますね!

これもね、モヤモヤする。自分でも言うけどw

このドラムは最高と思える良い音がする(他のは知らんけど
このドラムとしての最高の状態を感じさせる
このドラムはドラムセット誕生以降100年の歴史において最高
このドラムは俺と相性が良い
このドラムは仕事に使うには最高
このドラムは仕事には使えないけど趣味機材として最高
このドラムは良い音(好きとは言ってない

そもそも音楽を言葉で表しきれるものではないので、なんでもいいし、素直に「良かった」という大枠で捉えればよいのだけれど。そんな漠然としたものでありながらも、自分の問題解決となると確約した答えを欲してしまうところが、なんというか人間の業なのか。ある意味、自分が常に気に入るもの、美味しいと感じるものが無いと、むしろあんたら最高最高言ってるけど、なにが最高なん?ということの裏返しなのかもしれない。

感じることを言葉にしても、とは思うのだけれど。
やはり言葉にすることでまた膨らむ世界もある。

素晴らしい演奏を、生で聴くのか、 mp3か、ハイレゾか、カセットテープか、コンプレッサーのかかったラジオか...。それは容れ物の話だろうけれど、素晴らしい演奏に、楽器に、どんな言葉を添えるのが良いのか。

音楽や演奏を素晴らしいと言っている者として、ドラマーとして、どんな言葉を発して、どんな振る舞いをするのが、音楽や演奏を理解してもらえるのか。いやぁ自分で書いといて忸怩たるものですが、品行方正であるべきとかそういう話ではなく、自分を音楽より手前に置いていては伝わらないことってのはあるでしょうとは思うし、楽器をまとって、その武器をどう使うのかっていうところ、その行為のフィードバックの結果より自分の欲望を前に出しちゃうってのは、若気の至り100まで、みたいな偽物の標語でも作ったりして、アカンことだと認識しないとなぁと。

良いものを求めることは純粋な気持ちであるけれど、それは多くの場合、他人の成果であって。自分の目の前にあるものを、そしてなにより自分を良くするしかない。演奏する側になったら、楽器奏法という技能と技術を身体を動かして実践していって、その時に他人の成果の裏側から学ぶことはできるけれど、結局自分がよくなっていくということで。理屈はともかくそれを感じているからこそやってみたいと思う変身願望みたいなものが強い人は、自分の殻を破れる、みたいなところもあるのかな。

今回は短くしようと思いつつ、また長くなり。
リハビリのつもりが、どんどん深みに。
お読みいただきありがとうございます。
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