見出し画像

僕がシンバルカフェに参加して感じたこと/土田“つっちー”嘉範

牧人さんから「シンバルカフェの東京版を三月に新宿でやるのですが、つっちーさんにもぜひドラムテックの目線で参加いただけたら・・・」と言うお誘いを頂いたのは確か二月の初め頃だったでしょうか。小出シンバルの小出社長や、横山和明さん、山本拓矢さんと言う「山の会」のお三方に加え、山本シンバル改め、ART CYMBALの山本学さん、それと独自のシンバル加工で注目を集めている延命寺さんなどが一同に会する、ということを聞いて僕は率直に「この中に僕がいても良いのだろうか・・・?なにか実の有ることを話せるかなぁ・・・」と思ったのが率直な気持ちでした。

なぜならば、僕はドラムというものに対しては自分でチューニングができる楽器という認識でそれなりの検証研究をしてきたつもりですが、ことシンバルに関しては、ある意味完全に「受け身」で接してきたことが大きな要因です。つまりは「仕事先でドラマーが持ってきたシンバルを受け入れ、音色を変えたいならシンバルそのものを変える」と言う手段だけでシンバルと言う楽器と付き合って来たと言っても過言ではありません。

とはいえ、皆さんが知っているような、ちょっとした小技、例えばシンバルに細長く切ったガムテープを貼って倍音を調整するとか、ハイハットのカップの裏にジェルミュートを貼ってみるとか、ヒビが入ったところをカットしたりなど、皆さんと同じようなことはしてきました。それでも僕がそれ以上シンバルに「踏み込まなかった」のはなぜだろうかと考えるきっかけになったのは某河川敷公園でドラマーが自然と集まって練習する場で自分であれこれ加工したシンバルを持ち寄っていた牧人さんや学くんのおかげです。

率直な気持ちを書きますと、僕にとってシンバルというのは「一期一会の楽器」であり、「その一枚の成り立ちに手を出すべからず」と自分勝手に決めつけていたのだと思います。

思えばシンバルという楽器はとても神秘的な楽器だとおもうのです。その発祥は未だに謎が多く、ルーツと言える体鳴楽器は世界各国で同時多発的に生まれている様に思います。
「錬金術というのは科学の前段階で、そこには宗教的要素も多分に含まれていた」と講義してくれたのは学くんでした。

鋳造、成形、ハンマリング、焼入れ、レイジング・・・

最も原始的な楽器を生み出すために要するプロセスは想像を遥かに超えるものでした。それは製作者の精神的、肉体的な側面から見ても。僕がシンバルに関して知れば知るほど、ある思いを募らせることになりました。

それは「シンバルは神話である」ということです。

ドラムそのものが「シャーマンの乗り物」であるならば、シンバルは「神話の語り部」なのかもしれません。
もちろん、その逆もしかり。そしてそこには常に「歌う人、歌われる音楽」があることも。かのアメリカ最大のバンド、グレイトフル・デッドの二人のドラマーの一人、ミッキー・ハートは著書「ドラム・マジック」に「素晴らしいゴングには虎が住んでいる、良いシンバルには僧侶が住んでいる」ということを書いています。

音楽を奏でる人間が楽器を介して神話を感じた証の一文と感じます。

何百年も脈々と受け継がれてきたシンバル作りはその時代に合わせて少しずつ少しずつ変化をして、今に至ります。現代でも素晴らしいシンバルたちが楽器屋の店先で主人が迎えに来るのを待っています。
時には試奏で乱暴に打ち付けられ、悲鳴のような音をたてる時もあれば、そっと触れるように奏でられ、奏者と愛の言葉を交わすように音を立てているときもあります。

僕がシンバルカフェで一番見たかった、感じたかった事は「現代に続くシンバルの神話を目の当たりにする」
ということだったのだと確信します。

シンバルに関して、技術的、科学的な分析、考察、検証研究、これはもう小出社長がものすごくロジカルにわかりやすく、情熱的に教えてくださいました。その穏やかな語り口調とは裏腹に物凄い熱血漢なのだろうと直感しました。Fezrを初めて試奏しましたが、とてもブライトで素敵な楽器だと感じました。ドラムセットとシンバルの棲み分けが明確に出ていて、大きなステージで使いやすそうな印象です。

延命寺さんのシンバルはもはや、「新しい楽器」として「楽器にインスパイアされて新しい音楽の芽吹き」を期待させるようなものでした。個人的に「シンバルを電気的に回転させる」と言う話題で二人盛り上がってしまいましたが、かつてのシンセサイザーがそうであったように先進的な楽器が新しい音楽を生み出すきっかけになるというのは珍しいことではありません。ただその可能性を目の当たりしたことで、僕はとても興奮しました。

山本学くんはもうその情熱が周囲を焼き尽くすのではないかと思うほどの熱さで、シンバルの歴史から、文化的側面を語りまくってくれました。ターキッシュシンバルの最古のものを手にしたとき、フラッシュバックのような懐かしさに襲われたのは僕だけではないはずです。初めて会ったとき、まだ彼は幼さの残る少年の目をしていて、例の河川敷でブラスシンバルをハンマリングしたものを持ってきていて、そのサウンドを聴いたとき僕は少なからず衝撃を受けました。この青年は一体どこに向かっていくのだろうか・・・と、ちょっと心配になるくらいの情熱は今も変わらず、いやもっと熱く力強くなっていると思いました。

山本拓矢さん、横山和明さん、牧人さんのお三方はもう、何度もお会いして、三者三様の求道的なお話をいつも楽しく、深く聞かせていただいていました。いつ会っても僕の知らない物事、価値観、視点を見せてくれ、僕自身も彼らとはまた別の視点でのお話を刺させていただいて、楽しく情報交換をしてきました。
いわば、ミッキー・ハートの言葉を借りるならば、「ドラム・マジック、ドラム・クエストをシェア」してきた仲間というべき存在です。いずれもめちゃくちゃ繊細な演奏力で独自の活動をしているドラマーであり、その経験や知識を惜しみなく若い世代に伝える優れたインストラクターでもあります。

このような興味深い人々が集まり、ひとつシンバルのことに関して語り合う、その現場こそが「神話は今でも生きている」と思えました。

宇宙誕生の瞬間を現代では「ビッグ・バン」と名付け、その神秘に迫るべく世界各国で研究が進められていることは誰もが知るところでございます。ですが、そのビッグ・バンの瞬間、52億年前の世界では耳を持つ生物もそれを具体的に抽象的に表現する知的生命体もナニもなかったのです。

頻出しておりますが、ドラム・マジックでは「原子と中性子と陽子のドロドロとしたスープが煮えたぎるような中で宇宙という大きな生命体の鼓動が脈打ち始めていた」というような記述があります。その鼓動を「ビッグ・バン」と言う極めてパーカッシヴなネーミングをつけた事はドラマー、パーカッショニストにとっては堪えられない喜びなのではないでしょう。

そんな大それた妄想、空想を掻き立ててくれる、シンバルカフェってそんなイベントだったのだろうなぁと想うのです。打ち上げの席では学くんや延命寺くん、そして急遽遊びに来ていて、ずっと会いたかった北山トライアングルの北山くんと熱いトークになりました。僕はそこでも彼らに「金属製の体鳴楽器の持つ神話を現代に伝えて欲しい」というようなまるで死にゆく仙人のような言葉をうわ言のように言っていた記憶がありますw

話がだいぶクドくなりましたが、シンバルカフェは目の前にあるシンバルが持つ神秘を様々な形で体験できた貴重な時間でした。ここで知り合えた皆さんとの関係もまた。このような本来の意味でのワークショップ、トークイベントが世界各国で同時多発的に開かれてほしいなと思いました。歴史を学び、未来への歴史のページにスタンプを押して次の世代に引き継いていく、昔から連綿と続いている文化的行為が世代国境を超えて続いていくことを祈ります。

まどろっこしい文章に最後までお付き合いくださりありがとうございました。

ドラムテック
土田嘉範

(2019.03.21ロックイン新宿にて)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?