見出し画像

良いリズムとはどこにあるのか #003

ちょっとドラムと切り離して考えてみたときに。

リズムを感じるものにはどんなものがあるか。どんなものからリズムを感じるか。最近午前中に庭に出てこれを書いているが、鳥の鳴き声は実にリズミカルであるとは感じる。極端なことを言えば、音でなくとも、デザインとかモノのレイアウトにリズムを感じる、というのもあるのだけれど。

初めてサンフランシスコに行ったとき、ハンバーガーのオーダーごときでビビっていた自分が、1〜2週間経って夢を英語で見るようになって、耳が慣れてきたんだなと感じたことがあった。そして旅を続けて南米からニューヨークに到着、Manhattan Drum Shopだったかどこだったか、お店に入ってスネアを物色。そのとき誰かが試奏をしていたんですが、英語に慣れた耳で聞いたとき、Rudiments的な彼らのフレーズの「意味」みたいなものがものすごくすんなり入ってきたんですね。

英語の中に、フラムもディドルもパタフラフラもなんならチーズも…みんな言語の中に入ってるやんと。話は変わるけど、プログラミング言語も英語やってる人はより一層早いだろうなぁと思うことも多かった。ある意味言葉そのまんま、よく笑い話にしてたけど、ソフトウェアの名前に「Photoshop」とか普通に考えると「写真屋」だよなぁとか。

ポンタさんが、やつらは英語で叩いてる、仙波さんは日本語で叩いてる、みたいなことを言っていたことがあって、なるほどこういうことかもと。要するに言語というか、普段の言葉の発音が、テンポやリズムの感じ方にも影響はするであろうと。当時80年代後半くらいでしたが、欧米ポップス的メロディに日本語をうまく載せたのは桑田佳祐さんだと言っている人もいて、まぁ実際歌詞聞き取れないくらいに単語の発音が変わったりするときもあるんだけど、実際そうだよなぁと。

今では、日本語ももはやめっちゃビートに乗る発声がメインであると感じるし、なにより抑揚が昔の日本人の話し方とは違っていて、会話自体がリズミカルだったりフレーズとして成立しやすい形に略語にする傾向があったり。其後RAPなんてものが登場すると、むしろ本来歌として機能させていた英語の言い回しを、わざとフラットにしている感もあって、真似を成立させるクリエイティビティと、逸脱するクリエイティヴィティと、目的性の違いもまた。

生活の中にリズムを持つということに関しては、静と動なのか、動の連続なのか、それは筋肉主体の発動なのか、骨格構造による固有運動係数みたいなものが関与するのか...。

リズムは頭の中にあるか、心臓や内臓か、筋肉か、骨格か、血液の流れか、呼吸か、それとも生活や労働、人間の活動の中で生まれるか、それとも体外の、地球や環境、星、宇宙なのか。重力なのか量子なのか。絶対的な物体の存在か変化の波か。それらを直感に基づいて材料を集め、解き明かしジャッジしたとしても、おそらくはすべて一過性の仮説にしばし溜飲を下げるだけのことであろう。

ただひとつ、自分の心にグルーヴと認識されたものたちの正体とはなんであったのか、ということを考えること自体は、誰かの幸せを壊すことでも、誰かの演奏法を規定束縛するものではないと思いたい。

--

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?