『文体の舵を取れ』 練習問題⑥ 老女 一作品目、二作品目+任意の追加問題

全体で一ページ(七〇〇字?)ほどの長さにすること。
一人の老女がせわしなく何かをしている——そのさなか、若い頃にあった出来事を思い出している。
ふたつの時間を超えて〈場面挿入〉すること。〈今〉は彼女のいるところ、〈かつて〉は彼女が若かったころに起こった何かの記憶。その語りは、〈
今〉と〈かつて〉のあいだを行ったり来たりすることになる。
この移動、つまり時間跳躍を少なくとも二回行うこと。
一作品目:一人称(わたし)か三人称(彼女)のどちらかを選ぶこと。時制——全体を過去時制か現在時制のどちらかで語りきること。〈今〉と〈かつて〉の移動は、読者にも明確にすること。

(三人称・過去時制)
 鮮やかな手つきで彼女は芋を剥いていた。「ミズエさん、流石の早さですね」デイサービスの若いスタッフに手捌きを褒められると、「はたらいたんだよぉ」と彼女はしわだらけの目を更に細めた。昨日の夕食を思い出すことができない会話からは想像できないほどその手技は保たれており、彼女に剥かれた芋はあっという間に小山のようになった。「はたらいた、素敵な手ですねぇ」スタッフが彼女のシミだらけで節くれて曲がった手指を見つめると、「はたらいたよぉ」と彼女はまた目を細めて答えた。遠い、遠い日の、芋を剥いた記憶が蘇った。
 南方では紅芋がよく採れた。荒地でも比較的収穫しやすく保存がきいて重宝した。しかし八人の子供と夫婦そして姑の糊口を凌ぐには芋を剥いても剥いても足りず、子供らはいつもお腹をすかせていた。芋を剥くといつも姑は「手が遅い」と彼女をぶった。早く剥こうとすると今度は「皮が厚い」とぶった。酷い時は茹で湯をかけられそうになった。手を休めず座りもせず彼女は働いた。子を産んだ翌日にも台所に立った。姑の足腰が弱るにつれ、姑は台所から遠ざかっていった。彼女は紅芋を手早く剥いて茹でるといつものように潰し、山に咲くあの目の覚めるような青い花をしっかり潰して一緒に丸めると、「滋養にいいんですよ」と紫の団子を甘辛いたれを添えて出した。
「ミズエさん、茹で具合ちょっと見てもらえませんか」沸騰するあぶくをぼんやりと見つめる彼女に、スタッフが芋の一つに箸を挿して見せた。「……お団子にするのかい? いいようだねぇ」我に帰ると、彼女はスタッフに太鼓判を押した。「一押しはみたらしでしたよね」心得たスタッフは甘辛いたれを作り始めた。
 あの日、姑は心臓発作で死んだ。姑を見送ると今度は身体がひどく弱く癇の強い一番下の子の様子がおかしくなった。歯を食いしばり、母から与えられる芋をどうしても食べなくなり、衰弱したこの子も死んでいった。その次に肺病みの夫の様子がおかしくなった。妙に優しくなった。彼女は訝しみ、夫に弟子入りしているわかい女の書生を疑い、紫色のみたらし団子を土産に持たせた。それきり書生の顔を見ることはなかったが、夫も家に帰らなくなった。戦時中のこと、誰がいなくなり誰が死のうが一々追うことなどなかった。次から次へ、記憶は芋づる式に蘇っては消えた。変わらなかったのは——いつでも芋は彼女の味方だったということ。
「お芋さんは、貴重だったんだよぉ」芋が苦手でと箸が進んでいないスタッフを前に、彼女が言った。穏やかだがどこか重みのある調子に、スタッフは不承不承、芋団子を口に運んだ。
「お腹いっぱい、たぁんと、食べるんだよぉ」孫のような年のスタッフらを見ているのかいないのか、中空に目をこらし、うたうように彼女は語りかけた。

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現在→過去→現在→過去→現在を欲張ってやりました。700字の目安ですが大幅超過です。やはり臨場感出したいところは現在時制を使いたくなりました。普段、末尾の「た」の連続はもしあるとすれば意図的にやりたいほうなのですが、過去時制にすべてしようとすると、文の末尾がほとんど「た」になりました。時制を揃えると脚韻について気になる事象が、日本語だとあらわれてくるようです。

二作品目:一作品目と同じ物語を執筆すること。人称——一作品目で用いなかった人称を使うこと。時制——①〈今〉を現在時制で、〈かつて〉を過去時制、②〈今〉を過去時制で、〈かつて〉を現在時制、のどちらかを選ぶこと。

(一人称、時制①)
 芋を剥く、芋を剥く。難しいことは知らないが、芋を剥くのなら息をするようにできる。「ミズエさん、流石の早さですね」知らない子がなぜかわたしの名を呼び、ほめている。孫だったろうか。最近は自信がない。芋を剥くのが早いって? そりゃあそうさ。いつの時だって、芋を剥いて、剥いて、はたらいてきたんだから。「はたらいたんだよぉ」遠い日、芋ばかり剥いた日々など、今の子にはわかるまい。「はたらいた、素敵な手ですねぇ」こんなシミだらけの手、素敵なもんか。はたらいたんだ。ただそれだけ。「はたらいたよぉ」遠い、遠い日の、芋を剥いた記憶。
 芋をひたすら剥いた頃——南のほうに暮らしていた。紅芋がよく採れた。痩せた土地でもそれなりに採れたし、保存もきいて重宝だった。八人の子供、夫とわたし、そして姑の大家族だ。いくら芋を剥いても剥いても、子供らはいつもお腹をすかせてた。芋を剥けば、いつも姑に「手が遅い」とぶたれたものだ。早く剥こうとすれば今度は「皮が厚い」と、理由をつけてはぶたれていた。機嫌が悪い時は芋の茹で湯をかけられるところだった。手を休めることも座ることも許されなかった。子を産んだ翌日ですら台所に立つように言われた。産後の肥立が悪く体を害した。それでも台所に立った。そうは言っても、姑もいつまでも元気ではなかった。足腰が弱ってきて、だんだん台所に立たなくなってきた。わたしは前からの計画を実行した。紅芋を剥いて茹でて潰し、ことによってはと目をつけていた、夫の図鑑で調べた、山に咲くあの目の覚めるような青い花をしっかり潰して一緒に丸めた。すっかり目も悪くなった姑に、「滋養にいいんですよ」と紫の団子を出した。姑の好きな甘辛いたれを添えて。
「ミズエさん、茹で具合ちょっと見てもらえませんか」若い声に呼ばれて引き戻される。芋の一つに箸を挿している。芋の柔らかさを聞いているらしい。よし、ちょうど良い加減じゃないか。若いのにできた子だねぇ。「……お団子にするのかい? いいようだねぇ」「一押しはみたらしでしたよね」この子はわかっている。わかっていないのは、それはわたしの好みというよりも、染み付いてしまった姑の好みだということ。
姑は心臓発作で死んだ。そういうことになった。姑を見送ったら、今度は下の子の様子がおかしくなった。身体が弱く、一番癇がつよい子だった。どういうわけか歯を食いしばり、お芋さんをどうしても食べなくなった。この子もほどなく痩せてしまって死んでいった。その次は夫の様子がおかしくなった。肺病で徴兵を免除された夫も頑健なほうではなかったが、どういうわけかわたしの顔色を伺うようになった。姑が生きていた時は一度としてわたしの味方をしなかったくせに、妙に優しくなって、気味がわるかった。浮気をすると夫は優しくなると、隣のトメさんから聞いたことがあった。弟子入りしているわかい女の書生が怪しかった。どちらが具合悪くなるものか、紫色のみたらし団子を土産に持たせてみた。答えはわからない。それきり書生の顔を見ることはなかったが、夫も家に帰らなくなった。戦時中のことだ。誰がいなくなり誰が死のうが当時は一々追うことなどなかった。芋からはじまる記憶——次から次へと蘇っては消えた。わたしに残ったのは——いつでもお芋さんはわたしの味方だったということ。
 いけない。若い子がせっかくのお芋さんを残そうとしている。なんと勿体ないことを。「お芋さんは、貴重だったんだよぉ」わたしが言うと、若い子は箸をまた動かし始める。芋が嫌いだった、二番目の子によく似ている。見える、見える、子供らが揃った食卓が。こんなにたくさんのお芋さん、ありがたいねぇ。ひさしぶりだねぇ。
「お腹いっぱい、たぁんと、食べるんだよぉ」いつものように、子供らにわたしは言う。

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一人称にして、長さが長くなりました。ここは予想通り。時制はそんなに苦労はなかったです。②のパターンが、どうなるのか予想つかない。過去パートが迫真になりそうな気がする。

任意の追加問題:一人称、②の時制(現在を過去時制、過去を現在時制)で書いてみた。

 芋を剥いていた。難しいことは知らないが、芋を剥くのなら息をするようにできた。「ミズエさん、流石の早さですね」知らない子がなぜかわたしの名を呼び、ほめた。この子は孫だったろうか。すっかり自信が持てなくなっていた。芋を剥くのが早いって、そりゃそうだ、わたしたちのころははたらかなければ生きていられなかった。「はたらいたんだよぉ」今の子にはわかるまい、と思いながらわたしは答えた。「はたらいた、素敵な手ですねぇ」こんなシミだらけの手、素敵なもんか。そう思いながらも、はたらいたことだけは誇っていいと思った。「はたらいたよぉ」思い出した。遠い、遠い日の、芋を剥いた記憶。
 芋を剥く、くる日もくる日も芋を剥く——紅芋がよく採れる土地なのはありがたい。痩せた土地でもそれなりに採れ、保存もきいて重宝する。とはいえ八人の子供、夫とわたし、そして姑の大家族では、いくら芋を剥いても剥いても、子供らはいつもお腹をすかせて泣く。また芋を剥く。剥けばいつも姑に「手が遅い」とぶたれる。早く剥こうとすれば今度は「皮が厚い」と、理由をつけてはぶたれる。機嫌が悪い時は芋の茹で湯をかけられそうになったことだってある。手を休めることも座ることも許されない。子を産んだ翌日ですら台所に立つように言われたではないか。産後の肥立が悪くとも、体を害してもわたしは台所に立つ。そう、姑もいつまでも元気ではない。わたしにはある準備がある。ほら、足腰が弱ってきた姑はだんだん台所に立てなくなってきている。わたしには準備がある。ことによってはと目をつけていた、夫の図鑑で調べた、山に咲くあの目の覚めるような青い花。明け方に山で花を摘み、紅芋とともにしっかり潰して一緒に丸める。姑は最近すっかり目も悪い。「滋養にいいんですよ」と、紫の団子を、姑の好きな甘辛いたれを添えて出す。
「ミズエさん、茹で具合ちょっと見てもらえませんか」若い声に呼ばれて引き戻された。若い子が芋の一つに箸を挿していた。芋の柔らかさを聞いているらしい——ちょうど良い加減だった。若いのにできた子だった。「……お団子にするのかい? いいようだねぇ」「一押しはみたらしでしたよね」この子は心得ていた。一つ付け加えるならば、それはわたしの好みというよりも、染み付いてしまった姑の好みだった。
「心臓発作でしょうね」医者が言う。わたしは胸をなでおろし、身体の力が抜ける。姑を見送ると、今度は下の子の様子がおかしくなる。身体が弱く、一番癇がつよい子だ。どういうわけか歯を食いしばり、お芋さんをどうしても食べない。この子もほどなく痩せおとろえて死んでいき、次は夫の様子がおかしくなる。肺病で徴兵を免除された夫も頑健なほうではなかったが、どういうわけかわたしの顔色を伺う。姑が生きていた時は一度としてわたしの味方をしなかったくせに、妙に優しくなって、気味がわるい。浮気をすると夫は優しくなると、隣のトメさんから聞いたことがある。そうだ、弟子入りしているわかい女の書生が怪しい。どちらが具合悪くなるものか、紫色のみたらし団子を土産に持たせてみよう。答えはわからない。それきり書生の顔を見ることはないし、夫も家に帰らない。どうでもいい。戦時中のこと、誰がいなくなり誰が死のうが、一々追うことなどないだろう。芋からはじまる記憶が、次から次へと蘇っては消える。わかっているのは——いつでもお芋さんはわたしの味方だということ。
 いけない——若い子がせっかくのお芋さんを残そうとしていた。なんとも勿体ないことだった。「お芋さんは、貴重だったんだよぉ」わたしが言うと、若い子は箸をまた動かし始めた。芋が嫌いだった、二番目の子によく似ていた。子供らが揃った賑やかな食卓が目の前に見えた。ありがたいねぇ、たくさんのお芋さん。みんなでこんなにお芋さんを食べるのはひさしぶりだった。
「お腹いっぱい、たぁんと、食べるんだよぉ」いつものように、わたしは子供らに言った。

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時制のあべこべは思っていたより気になりませんでした。過去時制にすると、少し距離の置いた感じになり、現在時制は切迫だけでなく視野が狭まる感じがあります。これを学ぶために、任意の追加問題があったのかな。