『文体の舵をとれ』練習問題③ 長短どちらも 問2 +追加問題 問2 +両問共通

半〜一ページの語りを、七〇〇文字に達するまで一文で執筆すること。

「ねえあなた何の病気でここにきたの」湯船で挨拶のように交わされるこんな会話にもようやく慣れてきたころには、一枚だけ支給された温泉タオルは洗えど洗えど茶色く煮しまったような色がぬけず、心なしか皮膚も温泉の湯の土気色に染まってきた気がしてきて、ほんとうにここは健康に良いと名高い天然ラヂウム温泉で間違いないのかとそこはかとない不安が蠢き——そんな私の心を読むかのように、いつも会話のイニシアチブを取っている玉のようにつやつやとしたおばさんが「わっしはこの温泉のおかげさんでガンが治って再発もせん、毎年ゴールデンウィークの1ヶ月、ここで湯治してるけえ」そう言ってガハハと笑い出したかと思えば、「おねえさん、ここにきて何日も経つじゃろ、何の病気なのかそろそろ教えてくれてもいいんじゃないのけ、水臭い」などと身辺を探るようなことを言われたりして、まさか心の病とも言えずに曖昧に笑ってごまかしているうちに、おばさんのいつものおしゃべり仲間がやってきてそちらの会話へと移っていってほっとしたのも束の間、今度は晩御飯の時に向かい合わせになってうっかり会話してしまった子連れの女性が入ってきて、私の顔を見たとたんに顔見知りがいるとばかりに近くを陣取るものだから会話をせざるを得ない状況になり、私は一体養生に来たのだろうか社交性を鍛えに来たのだろうかとわからなくなりながら、この後の旅行先とかいつまでいるかといったとりとめもない話で場をつなぎ、要らない水風呂に入るふりでその場を離れたとたんになんだかどっと疲れてしまって、ノルマは二時間だけれど今夜は一時間浸かるのも無理だろうと諦めかけたところ——再びドアが開いて新顔があらわれ衆目が集まり、おばさんたちが禿鷹のように群がってきて「あなた何の病気でここにきたの」と挨拶がわりのいつものヤツをお見舞いすると、新顔は筒状のニット帽をとりつるりと毛のない頭を見せ「ステージの進んだガンで、ここのお湯がいいと聞いて来ました」などと堂々と自己紹介をするものだから、おばさんたちはもう喜んでしまって、またたくまに彼女はアイドルになり、気がつくとアガリクス茸だの波動水だの民間療法の情報交換会が活発にはじまって——そんなわけで湯治場の夜はまだまだ終わらない、そして私は招ばれていない、よし今度こそと諦めて体を流し脱衣所に向かいながら、ふと昭和の文豪が恋しくなり、今夜は共同書棚にある三島由紀夫でも読みながら令和へのカウントダウンを迎えよう、と思ったのだ。

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せっかくなので普段書かないようなものをとも思ったのですが、制約の下で普段のありようを超えるのはむずかしかったです。

〈追加問題〉問2

今度は変則的な節や言葉遣いをいくらか用いてみよう。すでに試みた後なら、〜略〜もっと〈ほとばしる〉文を書いてみよう——さあ、あふれ出させろ!

「ねえあなた何の病気でここにきたの」

湯船で挨拶のように交わされるこんな会話にもようやく慣れてきた。携帯の電波も届かない奥地の温泉に来て四日目。このごろは一枚だけ支給された温泉タオルは洗えど洗えど茶色く煮しまったような色がぬけず、心なしか皮膚も温泉の湯の土気色に染まってきた気がしてきて、ほんとうにここはあの健康に良いと名高い天然ラヂウム温泉で間違いないのだろうかと、そこはかとない不安が蠢きだす。

そんな心の内を読まれたか、これまで話しかけられそうになってはうまくかわしていたはずの、いつも会話のイニシアチブを取っている、玉のようにつやつやとしたおばさんから、ついにロックオンされてしまった。「わっしはこの温泉のおかげさんでガンが治って再発もせん、毎年ゴールデンウィークの1ヶ月、ここで湯治してるけえ」そう言ってガハハと笑い出したかと思えば今度は「おねえさん、ここにきて何日も経つじゃろ、何の病気なのかそろそろ教えてくれてもいいんじゃないのけ、水臭い」などと身辺を探るようなことを言われたりして、まさか心の病とも言えずに曖昧に笑ってごまかしているうちに、おばさんのいつものおしゃべり仲間がやってきて、おばさんは難なくそちらの会話へと移っていった。

ほっとしたのも束の間、今度は晩御飯の時に向かい合わせになってうっかり会話してしまった子連れの女性が入ってきた。私の顔を見たとたんに顔見知りがいるとばかりに近くを陣取ってきて、アウェイ感たっぷりの雰囲気の中藁をもすがるように話したそうにしているので、また会話をせざるを得ない状況になってしまった。私は一体養生に来たのだろうか社交性を鍛えに来たのだろうか、とわからなくなりながら、この後の旅行先とかいつまでいるかといったとりとめもない話で場をつなぐ。そこそこで会話を切り上げ、逃げるように要らない水風呂に入るふりをしてその場を離れると、急にどっと疲れが来た。湯治における夜の入浴ノルマは二時間とされているが、今夜は一時間浸かるのも無理だろうと諦めかけ、上がろうとすると——

再びドアが開いて、まったくの新顔があらわれた。この中ではまだわかいであろうぴかぴかの彼女に、衆目が一度に集まる。早速おばさんたちが禿鷹のように群がり「あなた何の病気でここにきたの」と、挨拶がわりのいつものヤツをお見舞いしてくる。新顔も負けてはいない。筒状のニット帽をとりつるりと毛のない頭を見せると「ステージの進んだガンで、ここのお湯がいいと聞いて来ました」などと堂々と自己紹介するのだ。この潔いカミングアウトに、おばさんたちはもう狂喜乱舞してしまって、またたくまに彼女はおばさんたちのアイドルになった。気がつくとアガリクス茸だの波動水だの民間療法の情報交換会が活発にはじまって——湯治場の夜はまだまだ終わりそうにない。そして今宵の私はたぶん、招ばれていない。よし今度こそ、と諦めて体を流すと、脱衣所に向かう。かるい眩暈がする。ふと、温泉地で一人読む昭和の文豪の味が恋しくなって、今夜は共同書棚にある三島由紀夫でも読みながら令和へのカウントダウンを迎えよう、と心に決める。

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改稿、苦手なことに気づきました……。既にあると、これでいいじゃん、になりがちで、よりよいものへと溢れさせるの、難しい。

あれ、これまだ長文で一文のままいじるんでしたっけ……? 間違えたかも。

〈両問共通〉

二種類の文の長さでそれぞれ別の物語を綴ったのなら、今度は同じ物語を両方で綴って、物語がどうなるのか確かめてみよう。

(一文を15文字前後に切ってみる)

「あなた何の病気でここにきたの。」

挨拶がわりに交わされる言葉だった。こんな会話にもようやく慣れてきた。支給の温泉タオルがくたびれてきた。煮しまったような茶色が抜けない。皮膚も土気色に染まってきた。ラヂウム泉は健康に良いと聞いた。本当にここで良かったんだろうか。そこはかとない不安が私の中で蠢く。すると心を読まれてしまったか。苦手なおばさんに話しかけられる。「この温泉のおかげさんで生きとる。見放されたガンが治って再発もせん。毎年大型連休はひと月湯治してるけえ。」そう言ってガハハと笑い出す。「お姉さんここにきて何日たった。何の病気かそろそろ言おう、水臭い。」恐れていた身辺をついに探られる。まさか心の病とも言えないだろう。私は曖昧に笑ってごまかしている。おばさんのいつもの仲間が入ってくる。おばさんはそちらの会話へと移った。

やれやれとほっとしたのも束の間だ。晩御飯で向かい合いになった人が来た。子連れで、つい会話してしまったのだ。私の顔を見るとその人は安堵を浮かべた。顔見知りがいるとばかりに寄ってくる。この状況ではまた会話をせざるを得ない。私は一体、養生に来たのだろうか。社交性を鍛えに来たのだろうか。とりあえず無難な話で場をつなぐ。要らない水風呂に入るふりで離れる。離れたとたんどっと疲れてしまった。湯治の夜のノルマは二時間とされる。だが今夜は一時間浸かるのも無理だろう。諦めて風呂場から上がろうとする。

再びドアが開くと、新顔があらわれた。まだ若い彼女に衆目が集まった。おばさんたちが禿鷹のように群がる。「あなた何の病気でここにきたの。」挨拶がわりのいつものヤツだ。驚くことに新顔も負けていない。新顔はニット帽をとり禿げ頭を見せた。「ステージの進んだガンで治療中です。ここのお湯がいいと聞いて来ました。」堂々とした自己紹介に場が沸いた。この告白でおばさん達は狂喜乱舞だ。瞬く間に彼女はアイドルになった。アガリクス茸がいい、波動水がいい。いつしか民間療法の情報交換が始まった。

そんな訳で湯治場の夜は終わらない。確かなのは私は招ばれていない。よし今度こそと諦めて、体を流す。脱衣所に向かいながら、眩暈がする。ふと昭和の文豪の文章が恋しくなる。今夜は共同書棚にある本を読もう。平成初めに読んだ三島由紀夫がいいか。三島を読み令和へカウントダウン。なんとなく良い考えな気がしてきた。

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連ねていた修飾はばっしばっし省略されますね。15字前後の文たちを一文にするよりも、こちらの方が苦しい作業でした。