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根に持っていること

どうも!
不登校サバイバー
Welbeの平田真己です。

今日は
両親に対して地味に根に持っていること
について書いていこうと思います。

根に持っていること
それは
不登校1年目のとき
誕生日を祝ってもらえなかったことです。

ケーキが食べたかったとか
プレゼントをもらいたかったとか
そういうことではありません。

ただ一言「おめでとう 」と言ってほしかったんです。

まあ、一番辛い時期で
私も両親も何かを祝えるような心持ちではなかったのは確かなのですが。

それでもお祝いの言葉くらいはほしかった。

いくらどんより鬱々としているといっても
やっぱり誕生日なので何かあるんじゃないかと期待します。
ですがその反面
こんな状態で祝ってもらえるわけないよな
とも思っていました。

あまりにも何もない誕生日を迎えて最初に思ったのは

今の私は誕生日を祝われる価値もない人間なのか

ということでした。

その事実にはもちろんショックを受けましたが、「まあ、そうだよな」と納得している自分もいました。

それから時は経ち
なんだかんだで不登校ではなくなりました。

いつだったか忘れましたが
(たぶん大学に入学した年だったと思います)
その年の誕生日は両親がすごく祝ってくれました。

両親は祝う気満々で
「何か食べたいものは?」
「プレゼントは何がいい?」
と食い気味に訊いてきたのを覚えています。

そのとき思ったのは

はっ、結局そういうことか
わっかりやすー
所詮、条件つきの愛情でしかなかったんだな

ということでした。

私が「普通」に戻った途端に
手のひらを返すように喜び出した両親。
その態度の急変ぶりといったら。
悲しみや怒りを通り越して笑いがこみあげてくるほどでした。

愛情をくれるのは私が両親にとって「いい娘」であるときだけ
そうでなかったら私なんて両親にとってどうでもいい存在なんだ。

この二つの誕生日の記憶は
そう私に思わせるのに充分な出来事でした。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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