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なぜ家にいたのか

どうも!
不登校サバイバー
Welbeの平田真己です。

今日は
居場所だと思えないのに家にいた理由
について書いていこうと思います。

家に居場所がないと思っていたのに家にいたのは、学校よりは家のほうがまだ居場所だったからなのではないか

ある人にそう言われた。

たしかに、なぜ居場所だと思えない家に留まり続けていたのだろう。

単純な答えは「物理的制約があったから」だ。

バスは1日2本
最寄り駅は8km先
コンビニは車で15分

そんな場所である。

家にいる以外どこにいられたというのだろう。

そもそも学校に居場所がないと思っていたわけでもない。居場所はあったけれど、自らそれを放棄したと言った方がいい気がする。

居場所がなくなるかもしれない

その漠とした、と同時に、明確な恐怖心が
日に日に大きくなって私を覆い尽くした。
恐怖心、猜疑心、不信感・・・
それらの感情が膨れ上がり、私を押し潰した。

それらの感情を抱くのは
最初、学校で関わる人たち、とくに同級生だけだった。
学校に行けなくなってからは
それが教師、親、近所の人へと広がっていった。

それと同時に、家も居場所だと思えなくなった気がする。

だから、最初のうちは、まだ、家を居場所だと思っていたのだと思う。
その頃は、まだ家にいることで何らかの安らぎや、精神的な落ち着きを感じられていた。

家が居場所だと感じられなくなった頃には
他の「居場所」を探す気力などとうに失せていたのだろう。

そういえば、探していたことには探していた。
でも、そのどれもが親の経済力に頼らざるを得ない選択肢だった。
その選択を受け入れてもらうには親を説得する必要がある。
学校に行けない状態を黙認してもらっているだけで、十分な負い目を感じているのに、そんな提案を願い出られるはずもなかった。
どうせ受け入れてもらえないだろう、という諦めもあった。いままで散々、私の意思を無視してきたのに、いまさら私の意思が尊重されるはずがない。そう思っていた。

だから、生命維持のために仕方なく家に留まり続けるしかなかった。私の存在はあってないようなものだけど、ここにいれば、衣食住は保証される。それを手放してまで逃げる覚悟と勇気は私にはなかった。

今日も思い出すままに書き連ねた。
まとめようと思ったが、まとめられるほど整理のついている記憶でもないので、無理にまとめずこのまま終わろうと思う。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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