[メモ]黙示録と小黙示録の対応づけを考える。

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「キリストの再臨」をテーマに黙示録全体を概観すると、以下のようになっています。

●1章 「再臨」?の予告

"見よ、彼は、雲に乗ってこられる。すべての人の目、ことに、彼を刺しとおした者たちは、彼を仰ぎ見るであろう。また地上の諸族はみな、彼のゆえに胸を打って嘆くであろう。しかり、アァメン。"
- ヨハネの黙示録 1:7

2-3章 7つの教会への宣告

4:1 「ここに上ってきなさい。そうしたら、これから後に起るべきことを、見せてあげよう」

5章-7つの「封印」が解かれ始める
8章- 7つめの「封印」が解かれる、7つの「ラッパ」が吹かれ始める
11章 「二人の証人」の活動(「千二百六十日間」) → 7つ目の「ラッパ」が吹かれる
12章 「龍」から「女」が逃れる(「三年半」)
13章 「獣」の活動(「四十二か月間」)

●「再臨」?①…雲に乗った人の子

"また見ていると、見よ、白い雲があって、その雲の上に人の子のような者が座しており、頭には金の冠をいただき、手には鋭いかまを持っていた。すると、もうひとりの御使が聖所から出てきて、雲の上に座している者にむかって大声で叫んだ、「かまを入れて刈り取りなさい。地の穀物は全く実り、刈り取るべき時がきた」。"
- ヨハネの黙示録 14:14-15

15章- 7つの「鉢」から災害が注がれ始める
17-19章 「大淫婦」が火で焼かれる

●「再臨」?② 獣と諸国民を撃つ「神の言葉」という名の騎手が現れる

"またわたしが見ていると、天が開かれ、見よ、そこに白い馬がいた。それに乗っているかたは、「忠実で真実な者」と呼ばれ、義によってさばき、また、戦うかたである。"
"彼は血染めの衣をまとい、その名は「神の言」と呼ばれた。そして、天の軍勢が、純白で、汚れのない麻布の衣を着て、白い馬に乗り、彼に従った。その口からは、諸国民を打つために、鋭いつるぎが出ていた。彼は、鉄のつえをもって諸国民を治め、また、全能者なる神の激しい怒りの酒ぶねを踏む。"
"なお見ていると、獣と地の王たちと彼らの軍勢とが集まり、馬に乗っているかたとその軍勢とに対して、戦いをいどんだ。"
- ヨハネの黙示録 19:11, 13-16, 19

20章 「第一の復活」とキリストの「千年」の支配(「千年王国」)

●「再臨」?③ 死者への裁き

"また見ていると、大きな白い御座があり、そこにいますかたがあった。天も地も御顔の前から逃げ去って、あとかたもなくなった。また、死んでいた者が、大いなる者も小さき者も共に、御座の前に立っているのが見えた。かずかずの書物が開かれたが、もう一つの書物が開かれた。これはいのちの書であった。死人はそのしわざに応じ、この書物に書かれていることにしたがって、さばかれた。"
- ヨハネの黙示録 20:11-12

●「再臨」?④ 新天新地の到来

"また、御座から大きな声が叫ぶのを聞いた、「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。"
- ヨハネの黙示録 21:3-4

●22章 「再臨」?の予告

"これらのことをあかしするかたが仰せになる、「しかり、わたしはすぐに来る」。アァメン、主イエスよ、きたりませ。主イエスの恵みが、一同の者と共にあるように。"
ヨハネの黙示録 22:20-21

ここで、先ほど述べたように、「大淫婦が火で燃やされる」出来事がエルサレムの滅亡、エルサレム神殿の炎上である、と考えると、黙示録では「人の子の雲に乗った到来」(14章)→「大淫婦の炎上」(17-19章)という順序になっています。
福音書でも「人の子の雲に乗った到来」は「神殿崩壊」の「予兆」を聞かれた時の返答の中で語られているため、黙示録と同じ時系列の理解が示されていると考えることができるかもしれません。

19章以降の記述は、神殿崩壊の後に起こる出来事であるため、新約聖書の諸予言が事後的に書かれたものであると考える立場からすれば、共観福音書は神殿崩壊の前後に、神殿崩壊の予言をイエスに仮託して語り、黙示録は神殿崩壊後しばらくしてから、その後の二〜五十年の歴史も含めて黙示的(暗号的)に語った、と考えることができます。

マルコ福音書では以下のような順に語られます。
(神殿崩壊の予兆としてイエスが語ったこと)
①「『産みの苦しみの初め』(惑わす者、戦争のうわさ、地震、飢饉)」

②「弟子たちへの迫害・親族間の殺し合いと、『全ての民』への福音宣教」

③「『荒らす憎むべき者』が立てられる(山に逃げるべき)」

④「その日…最大の患難がある」
⑤「太陽と月が暗くなり、星々が落ちて、天体が揺り動かされる」

⑥「そのとき…人の子が雲に乗って到来する」
(↓)
⑦神殿崩壊

②の「弟子たちの迫害」と「親族間の殺し合い」はマルコ伝の書き方では関連が明確でないですが、ルカ伝では関連づけた言い方がされています。

"しかし、あなたがたは両親、兄弟、親族、友人にさえ裏切られるであろう。また、あなたがたの中で殺されるものもあろう。"
ルカによる福音書 21:16

これらは完全な時系列とは限りませんが、
①・②が第一グループ、③・④・⑤・⑥が第二グループとすると、

第一グループ → 第二グループ → ⑦

という時系列関係は示されているように見えます。
また、第二グループの中では、

④(患難)→⑤(その患難の後)

という時系列関係も示されていると思われます。

丁寧に書くと、
①→③→⑦
①→④→⑤→⑦
①→⑥→⑦
②→③→⑦
②→④→⑤→⑦
②→⑥→⑦
の時系列関係が読み取れます。

ここで黙示録17-19章を「神殿崩壊」のことであると仮定して福音書との対応を見てみます。

そもそも黙示録が時系列的であるかはかなり怪しいですが、黙示録の構造上重要なこととして、
(5-8章) 7つの「封印」

(8-15章) 7つの「ラッパ」

(15-16章) 7つの「鉢」
というモチーフが登場し、
7つ目の「封印」の解除によって7つの「ラッパ」が登場し、
7つ目の「ラッパ」が吹かれることによって7つの「鉢」が登場します。
これにより、「封印」グループ→「ラッパ」グループ→「鉢」グループは時系列を示していると考えた方が解釈に不整合が起こりにくそうです。

さて、これまでの議論から、まず以下のような対応があると思われます。

●黙示録
14章 ⑥人の子の雲に乗った到来

17-19章 ⑦神殿崩壊

他に、
⑤著しい天象(月と太陽が暗くなり星が落ちる)
に含まれる現象が全て書かれている箇所として黙示録には二つの対応箇所の候補があります。

候補1)
黙示録 6:12-17 「第六の封印」
候補2)
黙示録 8:10-9:11 「第三のラッパ」から「第五のラッパ」まで

実はルカ伝では「著しい天象」が二回に分かれて言及されています。

"また大地震があり、あちこちに疫病やききんが起り、いろいろ恐ろしいことや天からの物すごい前兆があるであろう。"
- ルカによる福音書 21:11
"また日と月と星とに、しるしが現れるであろう。"
- ルカによる福音書 21:25

この二回に分けて記された著しい天象を、黙示録の二つの候補にそのままあてはめるなら、マルコの福音書の言及する天象(ルカ伝での後半と対応)は黙示録8:10-9:11と対応します。

●黙示録
8-9章 ⑤著しい天象 = 第三から第五の「ラッパ」

14章 ⑥人の子の雲に乗った到来

17-19章 ⑦神殿崩壊

次に③「荒らす憎むべき者」を考えますが、このワードは黙示録には登場しません。先に述べたように、「荒らす憎むべき者」はダニエル書を参照する必要性がマタイ福音書著者によって指摘されています。

"預言者ダニエルによって言われた荒らす憎むべき者が、聖なる場所に立つのを見たならば(読者よ、悟れ)"
マタイによる福音書 24:15

ダニエル書では、「荒らす憎むべき者」について以下のような言及があります。

"彼から軍勢が起って、神殿と城郭を汚し、常供の燔祭を取り除き、荒す憎むべきものを立てるでしょう。彼は契約を破る者どもを、巧言をもってそそのかし、そむかせるが、自分の神を知る民は、堅く立って事を行います。"
- ダニエル書 11:31-32

これは11章の詳しい預言内容との一致から、紀元前2世紀にセレウコス朝シリアによる王アンティオコス・エピファネスがユダヤに侵攻し神殿祭儀に介入した事件のことを述べていると考えられており、プロテスタント聖書には含まれないけれどカトリックと正教の正典に含まれているマカバイ記第一には明確にそのような解釈が述べられています。

"第百四十五年、キスレウの月の十五日には、王は祭壇の上に「憎むべき破壊者」を建てた。人々は周囲の町々に異教の祭壇を築き、家々の戸口や大路で香をたき、律法の巻物を見つけてはこれを引き裂いて火にくべた。"
- マカバイ記第一1:54-55

ただし、ダニエル書11章ではこの出来事の記述を挟んで「まだ終りの時ではない」と語られます。

"このふたりの王は、害を与えようと心にはかり、ひとつ食卓に共に食して、偽りを語るが、それは成功しません。終りはなお定まった時の来るまでこないからです。"
- ダニエル書 11:27
"また賢い者のうちのある者は、終りの時まで、自分を練り、清め、白くするために倒れるでしょう。終りはなお定まった時の来るまでこないからです。"
- ダニエル書 11:35

ダニエル書11章40節から「終りの時」に話が入り、以下のように語られます。

"わたしは、かの亜麻布を着て川の水の上にいる人にむかって言った、「この異常なできごとは、いつになって終るでしょうか」と。かの亜麻布を着て、川の水の上にいた人が、天に向かって、その右の手と左の手をあげ、永遠に生ける者をさして誓い、それは、ひと時とふた時と半時である。聖なる民を打ち砕く力が消え去る時に、これらの事はみな成就するだろうと言うのを、わたしは聞いた。わたしはこれを聞いたけれども悟れなかった。わたしは言った、「わが主よ、これらの事の結末はどんなでしょうか」。
彼は言った、「ダニエルよ、あなたの道を行きなさい。この言葉は終りの時まで秘し、かつ封じておかれます。多くの者は、自分を清め、自分を白くし、かつ練られるでしょう。しかし、悪い者は悪い事をおこない、ひとりも悟ることはないが、賢い者は悟るでしょう。常供の燔祭が取り除かれ、荒す憎むべきものが立てられる時から、千二百九十日が定められている。待っていて千三百三十五日に至る者はさいわいです。"
- ダニエル書 12:6-11

この「ひと時とふた時と半時」を黙示録では「千二百六十日」と言い換えていることが、黙示録12章から推測されます。

"女は荒野へ逃げて行った。そこには、彼女が千二百六十日のあいだ養われるように、神の用意された場所があった。"
ヨハネの黙示録 12:6
"しかし、女は自分の場所である荒野に飛んで行くために、大きなわしの二つの翼を与えられた。そしてそこでへびからのがれて、一年、二年、また、半年の間、養われることになっていた。"
ヨハネの黙示録 12:14

ここで黙示録著者がわざわざ「三年半」のことを「一年、二年、また半年」という言い方をしているかを考えると、それはダニエルが予言した期間がこの場面に対応する、という黙示録著者の見解がここで示されているのではないかも思われます。黙示録では「三年半(or四十二か月or千二百六十日)」という期間が何回か登場しますが、「1+2+0.5」という言い方は12章のみに登場します。

直前の11章前半でも「三年半」という期間が登場します。しかし11章後半に第7の「ラッパ」が吹き鳴らされる、というイベントが挟まっているので、11章の三年半と12章の三年半は別の期間である可能性もあり、別々であるとすれば、12章の三年半がダニエルの述べた「ひと時とふた時と半時」である、というのが黙示録著者の見解ではないかという予測がありえます。
黙示録では「七つのラッパ」の後に「七つの鉢」というモチーフが出てきますが、11章の後半から15章までは「第七のラッパ」に含まれる範囲で、16章が「第一の鉢」から始まります。そのため、11章の後半から15章までは、時系列順の可能性もあるけれど、同時的な出来事について語っている可能性もあります。もちろん、(そもそもそんなに時系列がわかるように黙示録が書かれてるのかは疑問ではありますが)

ともかく、荒らす憎むべき者が立てられる時から定められている(およそ)「三年半」の期間は、黙示録で言えば第七のラッパが吹かれた後の「三年半」であるという対応が考えられます。すると、このようになります。

●黙示録
8-9章 ⑤著しい天象 = 第三から第五の「ラッパ」

12章 ③荒らす憎むべき者が立てられる = 三年半の「女」の逃避期間が開始する

14章 ⑥人の子の雲に乗った到来

17-19章 ⑦神殿崩壊

この対応から、福音書での「荒らす憎むべき者が立ってはならないところに立つのを見たならば、ユダヤにいる人々は山に逃げよ」という言明の後半で警告を受けている「逃避する人々」が、黙示録では12章の「龍」に追われる「女」であると予想できます。

次に、とりあえず
①産みの苦しみ(偽メシア、戦争、飢饉、死)
②弟子たちの殉教
の黙示録中での対応を探すと、以下のように考えることができます。

黙示録6章の7つの「封印」
「第一の封印」… 「白い馬に乗った勝利者」
白い馬は黙示録19章でキリストと思われる人が乗っているため、キリストのように思えるが、第二〜第六の封印が全て災いであることを考えると、「偽キリスト」かもしれない。福音書の「惑わす者が現れる」と対応。

「第二の封印」 … 「赤い馬に乗った戦争をもたらす者」
福音書の「戦争のうわさ」「民は民に、国は国に対立して立ち上がる」に対応。

「第三の封印」 … 「黒い馬に乗った、食物価格の異常な高騰をもたらすもの」
福音書の「飢饉」に対応

ここまでが福音書の「産みの苦しみ」と対応か?

「第四の封印」 … 「青い馬に乗った、死をもたらすもの
(福音書との対応不明)

「第五の封印」… 「殉教者たちの魂が報復を求めて嘆願する」
福音書の「弟子たちへの迫害と、肉親の間でさえ起こる引き渡しや殺害」に対応

まとめると、

●黙示録
6章前半 ①産みの苦しみ = 第一〜第三の封印

6章中盤 ②弟子たちへの迫害、親族間の殺し合い = 第五の封印

8-9章 ⑤著しい天象 = 第三から第五の「ラッパ」

12章 ③荒らす憎むべき者が立てられる = 三年半の「女」の逃避期間が開始する

14章 ⑥人の子の雲に乗った到来

17-19章 ⑦神殿崩壊

最後に
④「かつてない患難の日」
ですが、黙示録には特別な日に関する言及が以下の3箇所あります。

(1) 御怒りの大いなる日 … 第六の「封印」

"小羊が第六の封印を解いた時、わたしが見ていると、大地震が起って、太陽は毛織の荒布のように黒くなり、月は全面、血のようになり、…御怒りの大いなる日が、すでにきたのだ。だれが、その前に立つことができようか」。"
ヨハネの黙示録 6:12, 17

(2) その時、その日 … 第六の「ラッパ」

"ラッパを持っている第六の御使にこう呼びかけるのを、わたしは聞いた。「大ユウフラテ川のほとりにつながれている四人の御使を、解いてやれ」。すると、その時、その日、その月、その年に備えておかれた四人の御使が、人間の三分の一を殺すために、解き放たれた。"
ヨハネの黙示録 9:14-15

(3) 全能の神の大いなる日 … 第六の「鉢」

"第六の者が、その鉢を大ユウフラテ川に傾けた。すると、その水は、日の出る方から来る王たちに対し道を備えるために、かれてしまった。また見ると、龍の口から、獣の口から、にせ預言者の口から、かえるのような三つの汚れた霊が出てきた。これらは、しるしを行う悪霊の霊であって、全世界の王たちのところに行き、彼らを召集したが、それは、全能なる神の大いなる日に、戦いをするためであった。"
ヨハネの黙示録 16:12-14

今のところ、福音書から読み取れる時系列関係について
①→③→⑦ … 黙示録でも成立
①→④→⑤→⑦ 不確定
①→⑥→⑦ … 黙示録でも成立
②→③→⑦ … 黙示録でも成立
②→④→⑤→⑦ 不確定
②→⑥→⑦ … 黙示録でも成立
となっており、
④が①②と⑤の間に入れば福音書の神殿崩壊の予告と対応づけることが可能になります。

よって結局以下のような解釈がありえます。

●黙示録
6章前半 ①産みの苦しみ = 第一〜第三の「封印」

6章中盤 ②弟子たちへの迫害、親族間の殺し合い = 第五の「封印」

6章後半 ④大きな患難 = 第六の「封印」

8-9章 ⑤著しい天象 = 第三から第五の「ラッパ」

12章 ③荒らす憎むべき者が立てられる = 三年半の「女」の逃避期間が開始する

14章 ⑥人の子の雲に乗った到来

17-19章 ⑦神殿崩壊

ここまでで、黙示録の6章から19章のうち福音書と対応づけられていない箇所は

7章、10章、11章、13章、15章、16章です。

このうち、13章は三年半の「獣」の活動期間についてであり、12章の三年半の「女」の逃避期間とセットで考えることができます。

7章はイスラエル民族と異邦人の中から白い衣を着せられた人々の幻であり、福音書で言えば
②「弟子たちへの迫害、その殉教死と、全ての民への福音宣教」と対応させて考えることができます。

10章と15章はそれぞれ、7つ目の「ラッパ」と「七つの鉢」の予告編のような章です。

11章は10章の最後の

"その時「あなたは、もう一度、多くの民族、国民、国語、王たちについて、預言せねばならない」と言う声がした。"
ヨハネの黙示録 10:11

という言明に続いて始まる二人の「証人」の活動期間で、ここは福音書との対応が見えません。

16章の「七つの鉢」も、災いが起こるという点で言えば福音書と共通していますが、「封印」と「ラッパ」の項ほどは具体的な対応がありません。

こう見ていくと、黙示録の6章から19章は、大まかには共観福音書のイエスの神殿崩壊の予告(「小黙示録」と呼ばれる)に関する黙示録記者の解釈、解説と見なすこともできます。
ただし
11章 「二人の証人」
15-16章 「七つの鉢」
については黙示録記者の独自性がより強い箇所となっていそうです。

次の記事:
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