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第9話「自覚」

前回 第8話「目覚め」

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訪問


東京で最も長いアーケードで知られ、いつも多くの買い物客で賑わい、テレビの取材もよく来る〝地元のシンボル”でもある商店街、亜衣はそんな商店街がある地域で生まれ育った。

亜衣の通っていた保育園は、アーケード街から私鉄の駅に向かう道の間にあり、卒園してからもいつも使う生活路の途中にあった。

にも関わらず、小学校から成人した今まで立ち寄ることはなく、先生方が立番をされている時にも無意識にそそくさと通り過ぎていた。だから園内に入るのは16、7年ぶりになる計算だった。

「おっ、ここか、君の保育園は。何というか、けっこう〝スペースを活かした作り”になっとるんやな。。」

伊丹が保育園の敷地を見ながら行った。
決して広くはない敷地に頑丈な門がある都市型の作りだった。

「インターホン、あるで。。。」

伊丹が亜衣に促すように言った。

「う、うん」

亜衣は、他の現場に飛び込み取材をしに行った時には感じたことのない緊張感を感じながら、「御用のある方はこちら」と書いてあるボタンを押した。

「はい、こんにちはー!」

保育士であるだろう女性の声。

「あ、こんにちは。私午前中にお電話差し上げたAメディアの岡村と申しますが、、、」

「ああ、アンケートの方、ちょっと待ってくださいね。」

いきなり新製品の営業ではなく、開発のための現場の声の調査にご協力をということでアポを取っていた。

園内からエプロン姿の40代くらいの女性が迎えに来てくれた。

「どうも、園長の今井です。」

そう言って、応接スペースに通してくれた。

「あの、ご、午前中にメールでも送らせていただいたんですが、わ、私どもはお通いの園児達の管理システムを、あ、安価で提供する開発をしておりまして。。。」

亜衣はビックリするぐらいどもった。自分の口が自分の意思でうまく動かないという経験は初めてだった。

「ええ、管理システムねぇ。前にも他の所のを試しに導入したけどねぇ。。園児がピッてするカードを忘れたりなくしたり。。読み取る機会自体が壊れたりねぇ。。保護者から余計なクレームも貰ってねぇ。。。」

〝新しい機器類を導入する”

日本がそうなのかどこの国でもそうなのか、とにかく実際に普及するまでには心理的な壁がまず大きく立ちはだかるのは、亜衣達が進めようとしている園児管理システムも例外ではなかった。

まして、日々人手不足の中でひと時も気を抜かずに園児達の対応をしている現場の先生達にとっては、「営業トークだけ上手くてその後はトラブル続きで対応担当も別の会社の人がする」ような新システムの導入には二の足を踏むのは当然だった。

「うちのシステムはですね。ピッとかプッとか要りませんよって。子どもさんの名札にチップを入れといてですね、あとはぜーんぶ先生の今お持ちのパソコンがやってくれるっていう優れものですんや。あ、チップは防水ですんで、間違って洗濯しても大丈夫です!」

営業マンらしく伊丹が淀みのないトークで説明をした。

「費用もですよ。1ヶ月でたったこれだけですねん。他所さんに先駆けてモニターになってくれはるんでしたら、何と1年間はタダ!タダでっせ、園長さん。」

亜衣の顔見せのはずが、喋り出すと止まらない伊丹。

「でも、保護者が何て言うかしらねぇ。」

片手を頬に当てて資料をペラペラとめくりながら園長が言った。

「保護者さんたちはですね。当面何も言わはることはありまへん。なぜなら最初に『導入しましたよ』と大体的に告知する必要がおまへんのや。『子どもさんの名札にチップを入れてますが、洗濯しても大丈夫です。』言うだけです。欠席電話は様子伺いでどっちみちやらはりますでしょうし。

モニター期間が終わったとしても、保育費に上乗せする必要もありまへん。その時にはシステムをうまく活用していることを口伝えで知ってもらっていれば、広告費としては安いくらいの安心感を創出できます。今の時代、安心言うのが大きなキーワードですさかい。

あ、園長さん、保護者さんが保育園を選ぶ時の理由、知ってはるとは思うんですが、これが改めて僕らが調査したアンケートですよって、ご覧下さい。」

もう完全に導入させるモードの伊丹。
亜衣は目線が定まらないかのような落ち着きのない表情をしている。

「1番目は立地、2番目が安心、、、でしょ。私らもプロですから、それぐらいは知ってます。ただねぇ、うちは狭い園内で目は行き届いているし、園外のイベント時には昔から専用の〝GPSネックレス”があるのよ。」

亜衣は体がこわばるのを感じた。息が苦しい。

「せっかくだけど、他を当たってちょうだい。だいたい今日はアンケートじゃなかったの?

とにかく新システムか何か知らないけど、うちは要らないわ。」

伊丹は「マズった!」と思った。いつもなら機が熟すまで充分に相手との関係を練ってから営業トークに入るのに、今日は何故だか気がはやって信頼関係のないまま商品説明をいきなりしてしまった。

「あ、うちのは子どもさんの居場所も判りますんや。判るだけでなく、音声で教えてくれるんですよ!『バスに子供が取り残されてます』言うて。」

伊丹は話を打ち切られるのを防ごうと、セールスポイントを付け足したつもりだったが、大きな大きな言葉の過ちを犯したことに気づかなかった。

「何ですって!! うちがそんな保育園って言いたいの!! 失礼な!!!!」

園長が大きな声を出し、ガラス張りの向こうの玄関スペースにいた保育士達が何事かと思って中を見た。

「うちはバスにブザーも付けているし、必ずバスに乗車した職員以外が毎回チェックに行くように規則化してるのよ!! 大事な大事な園児を取り残すなんてあり得ない!!うちをニュースでやっているような杜撰な所と一緒にしないでちょうだい!!失礼だわ、帰って!帰って!!」

園長は激昂して立ち上がり、亜衣と伊丹に出て行きなさいというような目で睨みつけた。

「あ、あ、すんまへん。決してそんなつもりじゃ。。。」

狼狽する伊丹。膝に両手を突っ張り下を向いている亜衣。

「いいから帰って!もう話すことなんてありません!」

2人を立たせて出口のほうへ園長が促したその時だった。

「待ちなさい。」

そう言いながら間仕切りで仕切られた隣のスペースから白髪でメガネをかけた初老の女性が入ってきた。

「私にも説明していただけるかしら。そのシステム、興味があるわ。」

亜衣はとっさに目をそらした。

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再会


亜衣はその女性に見覚えがあった。髪の色やシワの多さは当時と違うが、記憶力の良い亜衣が見間違えるわけはない。

亜衣がこの保育園に通っていた当時、一時は亜衣のことを辞めさせようとしたあの園長だった。今は園長職を退いて理事長となっていた。

「こんにちは。理事長の上原です。お宅のシステムは本当に取り残しが防げるの?」

園児の出欠管理というよりは、取り残し防止に興味があるようだった。

「り、理事長、私たちのことが信じられないのですか? 万が一にも事故が起こらないように最善を尽くしてます。情報共有もしています。欠席確認の電話も必ずしています。こんなシステムに頼らなくたって、、、」

現園長は「この保育園は自分が守っている」というプライドからか、「機械に頼るなんて」という意固地な気持ちからか、それともその両方か、とにかく「受け入れられない」という感情を前面に出していた。

「園長。。。どんなに気をつけていてもヒューマンエラーは必ず出るわ。保育士自身が急な高熱になることだってある。他のトラブルに気を取られることもある。欠席電話だって、必ず保護者さんが応じてくださるとも限らない。

事故っていうのは、マイナス要因が重なればいつだってどこでだって起こり得るものよ。

ここでだって。。。」

理事長は何とも言えない表情で亜衣を見ながら言った。

「で、ですけど理事長、、、」

怒りのやり場を見失ったのか、否定の言葉しか出ない現園長の目を見て理事長が言った。

「あるのよ、ここでも。事故を起こしたことが。警察も呼んで大事になってね。あなたにも前に話したでしょう?

起こしてしまうのよ、誰でも。私も。。。」

理事長は床に目をやりながら言った。

「私が園長の時もね。当時の理事長に再三に渡って『機械的に事故を防ぐシステム』の導入を促されていてね。

当時の私は、『運営は気配りでするもの』という思い込みがあったからか、事あるごとに反発してね。そう、今のあなたみたいにね。」

肩をすぼめながらほとんど目を閉じて「スーッ・・・」っと忘れていた息継ぎをする亜衣。伊丹が苦しそうな顔をしている亜衣を見て、心配そうに見ている。

「私の時は本当に運が良いことに大事にはならなくて、、、でもあの日のことは今でも夢に見て飛び起きるわ。自分の驕りのせいで、園児を危険に晒したと思うと、、、」

理事長はそう言いながら亜衣にチラリと目をやった。

亜衣はブンブンっと首を左右に振って、
(そんなことない。エンチョー先生のせいじゃない。わたしがわたしが。。。)

伊丹も現園長も、「もしや事件の時の園児とは亜衣?」という目で見ている。

「あの日皆が帰ってからね、1人で職員室で机に突っ伏したまま、、、1時間は経ったかしら。電気がついたままの園を見に来てくれた当時の理事長がね、、、

肩を震わせて泣いてる私を見て、『良かったね、あなた良かったわね。何事もなくて本当に良かったわね。。。』って言って抱きしめて一緒に泣いてくれたの。

あれから『私がもっとリスク管理をしていれば!あらゆる可能性を考えていれば!』そう思って最善を尽くしながらずっと園を守ってきたわ。」

理事長はニコッと微笑みながら亜衣の肩に手をやり、

「あなたのおかげよ、岡村さん」

と言った。亜衣のことを覚えていた。


「エ、エンチョー先生、エンチョー先生!!」

気づけば亜衣は大粒の涙を流していた。

「わたしのせいで、、わたしのせいでほいくえんにメーワクをかけて。。。わたしのせいで!!わたしのせいで!!!!」

理事長は亜衣の顔を見て驚いた。

「あ、あなた、そんなに。。。」

と唇を震わせながら亜衣の両の目を交互に見て、それからギューっと抱きしめてくれた。

「わたしが、わたしがかってなことせずに!かってなことなんかせずに〝フツー〝にしていれば!!ごめんなさい!!ごめんなさい!!」

ガラスの向こうから保育士達が何事かという目で見ている。

「違う!あなたは悪くない!決して悪くない!!」

理事長は、亜衣の心の中にずっと傷を抱えて生きて来させてしまったことを悟り、必死で「亜衣のせいじゃない!」と訴えた。

いかに知能が高かろうと知識が多かろうと、当たり前だが当時は精神的には園児だった亜衣。失踪したことになって大人達を奔走させ警察沙汰にまでなり保育園からは〝出て行け”と言われた時のショック、それ以降要注意人物として扱われた暗黒の生活、

幼かった亜衣が傷を負うには充分だった。


ひとしきり涙を流し、多少冷静さを取り戻した亜衣に向かって

「私のほうこそごめんなさい。あなたの心のうちをまったく思いやることもなく、傷つけてしまって本当にごめんなさい。」

とエンチョー先生が深々と頭を下げた。

「あなた、特別だったものね。あの時の私は経験不足であなたのことを〝特殊な子”として監視するような目で見てしまっていたわ。

後になってあなたのことを数学オリンピックの新聞記事で見かけてね。すべてを悟ったわ。私がいかにあなたのことを抑圧していたか、いかに怖い目つきで見ていたか、いかに将来を、、、」

言葉に詰まるエンチョー先生。

「いかにあなたの将来を潰していたかをね。。。悟ったのよ。遅かったけど。」

ブンブンっとまた首を左右に振る亜衣。

「いえ、先生のせいではありません。先生が強く言っていただいたおかげで、私は周囲に気を配れるようになりました。友達にも先生方にも恵まれて、本当に恵まれてここまでやって来れました。本当です。今気付きました。」

そう言いながら亜衣ははにかんだ。

「そういえば数学オリンピックの代表に選ばれた時は、この保育園や小中学校、商店街の皆さんから応援のメッセージをいただきました。新聞の切り抜きを貼り出してくれたお店もあって。。。

私は地元の皆さんに愛されて見守られながら成長してきたんだなぁって、今日ここに来て実感できました。ありがとうございます。」

亜衣も深々とお辞儀した。

「園長、モニターってことでいったんこの方達のシステムを試してみるのはどうかしら? その間だけでも〝失踪者”をすぐ見つけられることがあるかも? ふふふ。」

理事長が笑いながら行った。

「は、はい。そういうことなら、やってみます。」

現園長はさっきまでの意固地な抵抗はせず、保育園を守るためには最善を尽くすという顔になっていた。

「機材の導入やソフトのインストールは全部こちらでやりますよって。導入以降も、こちらの保守担当が遠隔でメンテナンスしますのでね。先生方は何もする必要はありまへん。」

すっかり気を取り直した伊丹が説明した。

「あら、助かるわ。そういえば午前中にもらったメールに、『園児の特性を見える化し、個々に合った保育ができます』ってあったけど、あれはどういう仕組みかしら?」

現園長も前向きになり、興味を持った顔で聞いてくれた。

「あ、それは脳波を測定することで、園児一人ひとりの〜」

亜衣はもう吃ることもなく、自信を持っておススメするといった口調で説明した。

(ああ、そうだ。先生達にもチップを付けて貰えばいいわ。そうすれば疲労やストレスや、、、心の傷も分かるようになる。

園児だけでなく、先生達をも助けることができるシステム。

うん、それで最終プレゼンをさせてくださいってお願いしよう。)

亜衣は自分がずっと宙ぶらりんで生きてきたこと、でも実はその足元で皆が支えてくれていたこと、今は自分が他人を支えるべき立場になりつつあること、そのための大きな〝インフラ整備”の一端を担える環境にいることなど、

いろいろと恵まれていることを自覚し、晴れ晴れとした気持ちになっていた。

(「本当は普通と思っているだけで、そこが特別なことをお前が知らないだけじゃないのか?」)

課長に言われた言葉の意味がやっと理解出来た。
全然普通じゃなかった。自分が普通だと思い込んでいただけだった。実際は唯一無二の特別な保育園だった。先生にとって、地域にとって、そして亜衣にとって。

「本当にありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。」

そうお礼を言ってから帰路についた。
もう部内会議でのプレゼンに対しても迷いはなかった。

「説明するのではなく、私の思い、先生方の思い、子供たちの思い、下手でも良いからそれを頑張って伝えよう。。。」

亜衣は〝生きていること”を自覚していた。

次回 第10話「つながり」


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