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自分たちに今できる支援の方法

長岡市でもっとも古いマルシェ「五十市」の非公開アイドル★マミシーのところに音連れてくれた方との話を少し書きたい。

その前に防災関係の私自身の簡単プロフィール

私は東日本大震災に発災時、安心安全に関する情報をインターネットで配信するNPO法人のスタッフだった。その後、長期にわたり、東日本大震災の避難者支援、長岡市で起こった乙吉地区水害、豪雪災害などの情報配信に携わった。

今日の主役は写真の一番手前に写っている帽子をかぶったおっちゃん。本人に無許可で書いているので「(仮名)戸塚さん」とする。

ふらふらっと、来た戸塚さんが、私に唐突にこんな話をする。「がっちゃん被災地に行かないのか?」。

さらに、戸塚さんの話は続く。
「広島に住んでいる仲間がボランティアに来てくれ!っていうのだけど、先立つものがなくて。」

ボランティアは、すべて自己完結が原則。どこからから活動費をもらえるわけじゃない(普通は)。

発災から1週間~10日くらい。今こそ、人の手の力が必要なとき。きっと、多くのボランティアが現地に入っているだろうし、日本中のボランティアセンター運営経験者が集中支援に入っていることだろう。

ボランティアセンターの運営は、経験豊富な人がいないと簡単には回せないものである。安定して回せないと、被災者はもちろん、ボランティアに来た人とも溝ができてしまう。特に、現地は高温多湿、悪臭、粉塵が入り混じる通常時でも気が狂いそうな悪条件だろう。

まさに、このような中で、多くの人の手の力が必要なとき。戸塚さんが広島の友達のために、なんとかボランティアに行きたいという気持ちは、よくわかる。送り出せるだけの資金があれば、そのまま手渡したい気持ちだ。

しかし、事実はそれを許さない。

そんな私は、戸塚さんにこんなアイデアを提案した。

むろん、「義援金」「支援金」「寄付金」「見舞金」どれでもよいが、それらを集めて送るという方法もある。

もちろん、お金の支援は非常に重要だ。だが、本当にそうなのか?それだけでいいのか?

行くことができない。でも、支援したという気持ち。それを届けたらどうだろう。

下の写真は、東日本大震災に際して、長岡市のボランティアバックアップセンターにお越しいただいたみなさんからメッセージをいただき、現地に荷物と一緒に送ったものの一部。

災害は、当たり前の日常を逃れられない非日常の世界に引きずり込みます。しかも、いつ日常に戻れるかわからない蟻地獄です。

共に、苦難を乗り越えましょう!というメッセージを届けるというのは、些細な支援かもしれません。でも、心をつなげることのできる大きな支援なのかもしれませんよ。

そんな提案を戸塚さんにさせてもらった。

戸塚さんに感謝。

私自身、防災支援の最前線から一歩も二歩も下がった現在、今回の災害は対岸の火事のように傍観していたのも事実。このような支援の呼びかけなら、私にもできると思う。

そう、心に明るい気持ちをともすことができた。

戸塚さん。ありがとう。
さて、どう動こうかなぁ。

なんと独りよがりな文章だと笑われるでしょう。でも、それが私です。ほかの歩き方はできません。面白い人間だと思ったかた、是非、ご支援ください。