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SFと自己犠牲


はじめに

さて、SF世界には、一つ定番の物語の終わらせ方がある。それは「多数の幸せのために、個人が犠牲になる」という流れである。今回は、いくつかの例を引いて、その面白さを確認していこう(バリバリにネタバレするので、もしこれから読みたい方は飛ばして下さい)。

伝説の作品

宮沢賢治と言えば、超有名な文豪?であり、童話作家として「風の又三郎」とか「風ニモマケズ」とかが有名ですよね。でも「銀河鉄道の夜」はちょっとSFっぽくないですか?死後の世界だし。
そして、もっとSFな話があるのです。それが「グスコーブドリの伝記」です。ちょっとした短編小説なので、ぜひご一読を(リンク先で全文読めます)。

主人公のブドリは、子供の頃に冷害で両親を無くし、妹とも行き分かれてしまいます。その後火山局の職員となり、最後にこんな会話になります。
ブドリ「クーボー大博士、火山を噴火させれば、その二酸化炭素で冷害は回避できますか?」
クーボー「可能性はあるが、最後は一人残らないとできん」
ペンネン技師「私がやろう」
ブドリ「ペンネン先生には、今回の結果で今後に繋げてもらわないと」「ボクが行きます」
結果として火山は噴火し、冷害は回避されます。生き死には言及されませんが、まあ死んでますよねって終わり方。
こんなハードSFを童話として、宮沢賢治が書いているのが意外でしょ。ちなみにこの話は、ますむらひろしが猫の絵でほぼ原作通り漫画化しており、アニメ映画にもなってます。

が、アニメ映画は最後の肝心の部分が「ファンタジー」に変更されており、がっかりです…

原作をいじりすぎ がっかり…

みんな大好き小松左京

以前、このブログでも紹介した「さよならジュピター」が、まさにこのジャンル。

元々、外惑星帯開発の為に、木星自体を恒星化して周辺の衛星の植民を行うという「木星太陽化計画」があり、そこにマイクロブラックホールが太陽系にやってきて、それならそのブラックホールに木星をぶつけて軌道をそらせよう、という話。地球人類全体の存続がかかっています。
が、クーボー博士やペンネン技師と違うのは、最初はちゃんと人命を損なわない PJ として計画されていること。結果として現場監督の本田チーフは殉職し、木星のあった場所に残る小惑星に弔われます。もちろん「遺骨」「遺灰」も何もないのですが…
当然小松左京は「グスコーブドリの伝記」を読んでいるでしょうから、自分なりのブドリを本田チーフで書いてみた、ということなのでしょうね。さすが小松先生、リスペクトした作品を超えている。

最後は洋物を

実は、この手の話は「自己犠牲」の話として、日本人は好きなのですが、欧米のSF作家はあまり好みません。そんな中、巨匠クラークが書いたのが「楽園の泉」です。24分頂ければ、NHK「100分で名著」での紹介が見られます。

主人公モーガンはエンジニアとして軌道エレベータ開発 PJ を完遂し、幾多のトラブルを乗り越えて完成させるのですが、最後にそこで… というオチ。最後の CORA という警報装置よりも、現在の AED の方が優秀かも知れないなあ、クラークも AED 見た時には驚いただろうなあ、と思いつつ終わるのでした。

まとめ

人生にはいくつも PJ があり、その都度自分の役割も変わると思います。
その時、ブドリの様に真摯に、本田チーフの様に情熱的に、モーガンの様に冷静に対応できるか?を、私はいつも考えてます。難しい。

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