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滅びの予兆 22

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今日は6月23日 沖縄「慰霊の日」

滅びの予兆、というシリーズですが、地球上や日本の、様々な滅びの予兆を感じ続けると、自分は何者なのだろうという疑問が沸いてきて、その思いが不思議な事に、滅びへの疑問と並行して頭を駆け巡っています。今日はそんなお話をしてみたいと思います。

毎月23日は、私にとって特別な事が起きる日です。23日には実際いろいろな事が起きて来ました。そして今日6月23日は沖縄「慰霊の日」です。何故6月23日かと言うと、昭和20年のこの日、一応沖縄戦が終了したとされる日だからだそうです。

日本軍の指揮官が、22日か23日に自決し、沖縄線は終了するはずだったのですが実際にはその後も幾分の戦闘はあったようです。戦闘終了というか、状況終了の伝達が末端の兵士にまで伝わらなかったものと推測します。

想像を絶する激戦となった沖縄戦

誰にとって、どんな想像を絶する戦闘になったかというと、米軍にとって、充分すぎるほどの兵力を、一度に投入したのにも拘わらず、日本軍の抵抗が想像を絶する激しさだったという事です。真珠湾でも、南方資源地帯でも、東南アジア海域でも、日本軍の恐ろしさを十二分に知っていた米軍です。

日本本土攻撃の橋頭保にしようと、沖縄への上陸を画策した米軍は、過去の経験を踏まえ、つまり、恐るべき日本軍の精神性に充分対抗できるように、かつてないほどの物量を揃え、何が起こっても十分に対応できるだけの準備をして、沖縄戦に臨んだはずでした。

ところがここでも、米軍は想像を絶する日本軍の抵抗に遭います。詳細を述べると本が1冊書けてしまうほどなので、結論だけ申し上げますと、米軍の司令部は、この作戦における米軍兵士の損耗、つまり死亡者が、予想の数倍に達している事に衝撃を受けたのでした。

米軍兵士は、日本の戦闘機、攻撃機、偵察機が、爆弾を抱えて突っ込んでくる特攻「カミカゼ」に絶大な恐怖心を持っていました。沖縄戦では、特攻機の数は1200機を超える数になっていたそうです。1200機を超える飛行機が、爆弾を抱えて突っ込んでくるんです。それこそ、

死なばもろとも~~ッ!

とか叫びながら(本当に叫んでいたかどうかは知りませんが)突っ込んでくるんです。それが1機や2機ぢゃないんです。1日や2日でもないんです。約3か月に渡って、毎日毎日雲霞のごとくに突っ込んでくるんです。3か月毎日特攻があったのだとしても、90日ですから1200÷90=13.3で、毎日毎日平均して13機以上が、突っ込んでくるんです。

毎日毎日、3カ月間、1日平均13回、

死なばもろとも~~ッ!

ってやられるんです。こんな事が90日も続いたんです。米軍兵士、平静でいられるはずもありません。おかしくなっちゃいますよ。事実米軍の帰還兵は、帰国後、PTSDで苦しんでいたそうですが、戦闘には勝利したとはいえ、日本の抵抗の凄まじさは、米軍兵士を恐怖させるのに充分だったようです。

実は沖縄には複雑な思いがあります

何度も沖縄に行って自分の目と耳で確かめました。観光で行った事はなく、全て修学旅行の引率でした。ガマにも入りました。超能力はおろか、ちょっとした感知能力すらない私でも、ガマの内部では気分が悪くなりました。

ガマとは、沖縄各地にたくさんある自然の洞窟で、戦時中ここは住民や兵士が隠れて生活する場でした。米軍はこのガマに火炎照射して、中に隠れた兵士や住民を焼き殺すという非道な行いをしていたのでした。

感知能力の高い生徒が何人も、かなり気分が悪くなり、霊感の強い生徒は、通常の行動ができなくなり、確かそこで修学旅行を打ち切って埼玉への帰宅を準備していました。

ガマのせいだけではないでしょうが、私にとって沖縄は、どこに行っても、気分がしっくりこなかった事を鮮明に覚えています。食事も、何を食べてもしっくりきませんでした。何処を歩いても、しっくりきませんでした。何処に泊っても、よく眠れませんでした。

沖縄は日本に組み入れられる以前、琉球王国という日本とは別の国でした。自分は、つくづく琉球王国とは相容れない人間であると感じました。その頃から、自分が北国の人間である、という自覚はあったのですが、最近では、自分の出生地について、いろいろ疑問を抱くようになってきました。

自分の出生地は、本当はどこなのだろう

書類上の本籍は、現在の住所である埼玉県に移しましたが、本来の本籍は、北海道岩見沢市です。その祖先は津軽藩、現在の青森県の御用商人の油屋だったとの説もあります。しかし、実を言うとそれが自分の本当のルーツである確信がありません。複雑になるので事情説明は致しませんが。

とりあえず確かな事は、日本国内だとしても、南方ではないだろうという事です。決して琉球ではないです。間違いなく北方だと思います。そうだとすると、本籍が北海道である以上、蝦夷人なのかもしれないし、アイヌかもしれないし、あるいは祖先にロシア人がいた可能性もあると思っています。

なんせ昔は国境が曖昧でした。ロシアとの国境線は特に曖昧でした。だから戦争とかで奪い合いが起こったワケですが。祖先が北海道にいた、というだけでロシア人が系譜のどこかにいた可能性もあります。北海道の人、つまり蝦夷人なら、樺太あたりに住んでいてもおかしくないし、そこでロシア人と仲良くなって、記録に残らない混血が起こってもおかしくないと思います。

人類の大多数が滅んでしまって、天国に行ったとしたら(仲間たちは皆、私の行先を地獄だというのですが(笑))、そこで私の本当の出生地や祖先の事を、教えてもらえるんでしょうか。知りたいですね、真実を。

高麗神社のドクダミの花

国内で頻発している地震は南海トラフの予兆?

能登では毎日のように大きな地震が起きています。そして徐々にこれが全国へ広まり始めています。南海トラフが7月4日に起こることが、信じられるようになってきているのは、私だけでしょうか。

南海トラフ地震発生の予言まで、あと11日。 

我が家の庭にもバラが(^^♪

今日の「うさぎ」再生回数

生まれて初めて書いたラヴソングです(笑)。作詞は、あまり日常的にしているワケではありませんが時々します。作曲と編曲も私が、そしてピアノとギターは自分で弾いています。

歌ってるのは、うちのバンドのメインヴォーカル2人のうちの1人、なつひです。仲間内では721と書きます(笑)。ハーフハスキーの、不思議な声の持ち主で、素晴らしい説得力で、歌い上げてくれています。コーラスを付けてるのは、うちのピアニストのジャスです。歌も上手いんです。

「滅びの予兆」というシリーズタイトルとは、一見無関係そうな歌ですが、実はご紹介する曲の中では、この曲が最も「滅びの予兆」というタイトルにふさわしいかもです。歌ってくれている721の声も、だんだんと死神の声に聴こえてきましたか?(笑)

この曲を書き終えたのが2011年1月です。2月に所沢ミューズマーキーホールで発表しました。歌詞の「放たれた光が 蒼く水のように集まって 世界を溺れさせ 私を押し流す」という部分が、予言詩のようだと言われました。だって2011年2月って、2011年3月の直前で・・・

YouTubeに演奏動画をアップしてありますので、ご興味のある方は是非見てやってくださいまし。

今日の「うさぎ」再生回数は52回です。私の作品の中では、かなりポップに振った曲ですので、聴きやすいと思います。皆さん、どうか聴いてやってくださいまし💦


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