普通ってなんだろね

普通って、なんだろね。

ずっと気になっている。
「普通、こうでしょ」「普通、そうするよね」
大学生になってアルバイトなどをするようになった頃からよく言われるようになった。

中学や高校くらいまでは、普通の子でいられた。
なんなら普通であることがコンプレックスだった。
真面目で平凡。それが私だったから、
何か「普通」じゃない子が羨ましくて、
人気のあの子も、ちょっとクラスから浮いているあの子でさえも私の憧れだった。

大学生になってアルバイトを始めて、自分が普通じゃないらしいことを知り始めた。
でもその非凡さは、私の求めていたそれではなくて。

「普通そうはしないでしょ!?」
「普通ならここまでやるよね!?」

「普通」ではないと怒られてばかりいた。
私はどうやらいろいろ「普通」ではないらしい。
指示や、相手の思考を正しく読み取れないことが多々あり、どこにいっても浮いてしまい、除け者にされるようになった。
何をしても怒られたし、ため息をつかれた。
ものすごく申し訳ないと本気で思っているのだがなぜ怒られているのかはよくわからなかった。
私としては自覚がなくても、やられたことをやっただけのつもりでも、やるべきことはやったつもりでも、所詮「つもり」でしかないらしいということは理解していて、相手を不快にさせ怒らせていることは確かで、でも、明確な理由は理解できなくて、いつもそんなことばかりだ。

世の中の人の言う「普通」から自分がズレているらしいことを理解して、とても苦しかった。

中学や高校くらいまでは気にならなかったのに、
普通であることが嫌だったはずなのに、
仕事をするようになって「普通」と言う言葉の中に窒息しそうに塗り込められるようになった。

いつからか働くことが怖くなった。
アプリの指示通りに自転車を走らせるフードデリバリーの仕事はストレスがなくて楽だった。
就活にも失敗して、この世界に居場所がないという感覚でいた。
モデルや役者として、なんとかお仕事をいただけていて、この世界には少し間借りさせていただけているが実は今でも居場所がないという感覚は現在で、日常の些細な事柄から世界のどこにも居場所がないと感じてしまい年甲斐もなく泣いていることなど実は日常茶飯事だったりする。

病院に行ったら、もう脳みそからして、端から普通ではない傾向を持っていたことがわかった。
普通ではないことは、受け入れるしかない。
それがわかったときはとても残念で、
「ああ、私はどう足掻いても普通になれないんだ」と1日泣いた。

認知に歪みや認識のズレによる失敗はいままでつい最近までも、幾度となく繰り返してきて、その度に自分が嫌いになるけど、
私の文章やモデルとしての表現やお芝居を好きと言ってくれる人たちや、作品作りを一緒にしたいと言ってくださる皆様のおかげで私は今日も生きています。
だからこそ心は誠実にいようと思っている。
それでも失礼をしてしまったり、不足があって、至らないところばかりで自分が嫌になるけど、学んで成長していきたい。
反省して、同じことは繰り返さないように。

にしても普通って、何なのでしょうね。
普通から逸脱したくて悲しんでいたのに
こんどは普通じゃないことに苦しんでいる。
人間って難しいし、常にないものねだりだ。
カナブーンが頭の中でギターを鳴らす。

芸能は、ある意味どこかしら普通じゃないことが武器になる世界だと聞いた。
その中ではやはり私は平凡なのだとしても、
やっぱりここで生きたいと、
心の芯から願っている。

そう思うと、やっぱり「普通」ではないことを望んでいるのかも?
人間の心は難しい。


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