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有名な「洞窟の比喩」が出てくる。

人間の五感で感じられることは真実ではない。感官のシステムが脳にそういう形を表しているだけだ。五感に現れた事象の原因に真相がある。

洞窟の中で背後にかがり火を掲げられた人間は、洞窟の壁面に自分やその他の影を見て、それが現実だと思わされている。しかし、真相は背後のかがり火にあり、眩しいからそっちへ振り向けないで想像するしかない。これが現世の人間の状態である。

かがり火に真相がある。それは眩しくて容易には見れないものだ。最も明るいものは太陽の光だ。太陽の光がもっとも真理を示してくれる。しかし、人間は眩しすぎて上方を向けない。真理の光を直視するには慣れが必要である。太陽の光こそ善のイデア(実相)なのであり、究極の最終原因なのである。

この世界観は神秘主義の死後の世界にそのまま転用されているような気がする。

しかしながら、プラトンによると、魂が思惟によって知られる世界へと上昇していくと述べており、瞑想で神秘体験をするのとは話が違う。哲学的学究によって究極の真理が明らかになるという話なのではないか、と思われる。

そして、そういった真理の知識が、神的なものに所属している、という。それに到達できるのは哲学者である。

その神的な知識の最たるものは数学である。次いで幾何学である。次いで天文学、音楽、などと、抽象度の高い学問から徐々に具体性へと価値が下がっていく。

それはピタゴラス教なのであって、神秘主義における、神は愛であり悪を取り除いて霊性進化したいなどという概念とは違う。

知識には4種類ある。感覚的知覚、確信(それが何であるか)、悟性的思考(原因、真理を悟る)、知識(確定した悟り)である。前者2つは思わくに属し、後者2つは知性に属する。思わくは生成で、知性は実在である。生成と実在は対応しており、実在があるから生成が起こる。

7巻で重要な部分は以上と思われるが、プラトンはその他、哲人政治の国家を実現するために、色々と制度的な部分に言及するのだが、神秘主義のスタンスとしては、その辺は神意によるのであり、なるようにしかならない、とする傾向が大きいのではあるまいか。神秘主義に政治的傾向はないのである。

やはり、神秘主義の起こりはプラトンではなく、プラトンの参照から始まっていると思った方が良いような気がする。

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