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ロックを振り返る。

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2022年秋から大学で音楽文化論の受講を始めました。講義内容の整理と、自分なりの受け止めを加えてまとめています。
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マレーネ・ディートリッヒと「リリー・マルレーン」

マレーネ・ディートリッヒ(Marlene Dietrich, 1901 - 1992)は、ドイツ、ベルリン生まれ。演劇学校で学んだのち、1922年に映画デビュー。1930年に映画「嘆きの天使」( Der blaue Engel )に出演し、「100万ドルの脚線美」と称えられる。同年のアメリカ映画「モロッコ」( Morocco )ではアカデミー賞主演女優賞にノミネート。米ハリウッドに本拠を移し、 1932年の映画「上海特急」( Shanghai Express )に主演、スター

1950年代アメリカのテレビ放送

 アメリカのテレビ放送は、1939年4月に NBC(National Broadcasting Company)が定期的な放送を始め、CBS(Columbia Broadcasting System)がこれに追随して始まった。テレビ放送を推進したのは、30年代に急成長したラジオ放送産業、特にNBCの親会社のRCA(Radio Corporation of America)とCBSだった。テレビ放送事業単独では赤字であったため、ラジオ放送であげた利益を、テレビ放送に投資した。

「ジョン・ヘンリー」に刻印された白人音楽文化の影響

この9月から大学に通い、聴講生として音楽文化論を受講しています。ここでいう音楽とは、ポピュラー音楽のこと。それもロックの成立と発展の道筋を、アメリカ史とイギリス史を踏まえつつ辿るというもの。かねがねきちんと勉強をしたいと思っていた念願がかない、週に一度の通学を始めました。 2回目の授業において、ロックの音楽ルーツのひとつとしてのブルースについて、"ブルースは黒人の労働歌と西洋起源の白人系バラッドの結合と考えることが、今日では常識となっている"との教示がありました。そういえば

カントリー&ウェスタンはいつ始まったのか

音楽文化論の聴講[第3回] ロックンロール前史2 | ティン・パン・アリーとカントリー&ウェスタン 昨日、聴講生として通学している大学の音楽文化論の授業の3回目がありました。 テーマは、「ロックンロール前史2 | ティン・パン・アリーとカントリー&ウェスタン」。 ロックの重要なルーツであるロックンロールは、"ブルース〜R&B"と"ティン・パン・アリー音楽"と"カントリー&ウェスタン"を、その要素としているとの前提を踏まえて、「ティン・パン・アリー」と「カントリー&ウェス

追い返されたエルヴィス・プレスリー

音楽文化論の聴講[第4回] 1950年代 | ロックンロールの誕生と南部アメリカ 聴講生として通学している大学の音楽文化論の授業の4回目が、ありました。テーマは「1950年代 | ロックンロールの誕生と南部アメリカ」。 リンカーンが奴隷解放宣言に署名してから90年近く経ったものの、制度的には白人と黒人は分断されていた(1876年から1964年まで続いた南部諸州の州法"ジム・クロウ法"が、人種差別を公認していました)。とはいえ南部一帯では白人と黒人の生活が、北部ほどには分離

大人に対する「反抗」とロックンロール

音楽文化論の聴講[第5回] 1950年代 | ロックンロールの展開と若者 大学の音楽文化論の授業の5回目は、「1950年代 | ロックンロールの展開と若者」でした。「その後のロックンロールの展開と失速、ロックンロールと若者たち、そしてその背景となった米国社会の事情を理解」するというものです。 まずはエルヴィス・プレスリー以降に登場した代表的なロックンローラーについて、それぞれのアーチストが革新したことを論点に、教示がありました。 ファッツ・ドミノ R&Bとロックンロールの

エルヴィスにはなれなくとも、ロニー・ドネガンにはなれる

音楽文化論の聴講[第6回] 1950年代 | イギリスとアメリカポピュラー音楽 大学の音楽文化論の授業の6回目は、「1950年代 | イギリスとアメリカポピュラー音楽」でした。「イギリスでのロック誕生以前のポピュラー音楽の歴史を、イギリスの社会状況とともに理解」し、「アメリカ文化、アメリカのポピュラーが音楽が、イギリスに与えた影響について理解」するというものです。 冒頭でイギリス社会を理解する上で必須となるイギリスにおける階級について、そして大英帝国最初が最初の植民地とし

"名誉と財産を得た次に望むものは?"との質問に、ビートルズは「平和」と答えた

音楽文化論の聴講[第7回] 1960年代 | ビートルズの登場とブリティッシュ・インヴェイジョン 大学の音楽文化論の授業の7回目は、前回に引き続きイギリスのポピュラー音楽状況を振り返るもので、「1960年代 | ビートルズの登場とブリティッシュ・インヴェイジョン」でした。 「イギリスにおけるビート・ミュージックとビート・バンドの誕生とその展開について理解」し、「ブリティッシュ・インヴェイジョンが、アメリカのポピュラー音楽に与えた衝撃、そして「ロック」というジャンルの形成に

ロックンロールにおいて始まった「黒人音楽と白人音楽の混合」が、その後、どのような展開を見せたのか

音楽文化論の聴講[第8回] 1960年代 | R&B、ソウルと独立系レコード会社 ●大学の音楽文化論の8回目を欠席しました。レジュメを元に、授業内容を書き起こしておきます。 ●大学の音楽文化論の8回目の授業は、「米国ロック史の「谷間」の時期としてみなされがちな60-64年の動向を確認」し、「分断されてきた白人音楽と黒人音楽のミュージシャンと聴衆者の関係の変化を理解」し、そして「新しいR&Bとソウルの誕生の概要を理解」するというものです。 以下に、先生の指摘や説明をまとめま

ボブ・ディランが受けたブーイングの真相は?

音楽文化論の聴講[第9回] 1960年代 | フォーク・ロックの誕生 プロテスト・ソングと社会運動 ●大学の音楽文化論の授業の9回目は、ロックの誕生に寄与したアメリカにおけるフォーク〜フォーク・ロックの動きについて、振り返るものでした。 「フォーク・ロックの源流であるフォーク・ソング(ミュージック)とは何かを理解」し、「フォーク・ロックの誕生の契機と展開とその社会背景について理解する」というものです。 ●フォーク・ソング、あるいはフォーク・ミュージックとは何か?を、厳密

いつ戦争に徴兵されてもおかしくない不安の日々を過ごす若者たちと、60年代ロック

音楽文化論の聴講[第10回] 1960年代 | 1960年代のウエストコースト、カウンター・カルチャーとロック ●大学の音楽文化論の授業の10回目は、1960年代のウエストコーストの状況、カウンター・カルチャーとロックを振り返るものでした。 「1960年代の全体的なロックの動向について確認」し、「ウエストコーストのロックについて概要を理解」し、「1960年代のカウンター・カルチャーとロックの関係について理解」するというものです。 ●ロックンロールがロックと呼ばれるように

1970年代アメリカで、なぜ自己告白的なシンガー・ソングライターの輩出が起こったのか

音楽文化論の聴講[第11回] 1970年代 | ロックの商業化 米国での「ロック」の多様化 英国でのプログレシブ・ロックとハード・ロックの誕生 ●大学の音楽文化論の授業の11回目は、「音楽メディアとしてのレコードとロック・ビジネスの巨大化について理解」し、「ロックの多様化を知識と多様な曲の視聴によって理解」するというものです。 ●レコードはポピュラー音楽の歴史の中で、長い間に渡って主流であった物理的なメディアであり、1960年代以降のロックの普及に最も貢献したメディアでし

"豊かさの終焉"がもたらした1970年代のアメリカとロック

音楽文化論の聴講[第12回] 1970年代 | 続ロックの多様化、テクノロジーの進歩とロック表現の進化、ファンクの登場 ●大学の音楽文化論の12回目の授業は、「ロックの多様化に影響を与えた70年代米国の社会状況をさらに理解」し、「ロックの表現の多様化とテクノロジーの進歩の関係について理解」し、そして「R&Bから派生した70年代のソウルとファンクについて理解」するというものです。 以下に、先生の指摘や説明をまとめます。 ●60年代後半、ロック演奏における大音量の誕生と、それ

アメリカのディスコは性的マイノリティの集いの場だった

音楽文化論の聴講[第13回] 1970年代 | クロスオーヴァー、フュージョンの誕生と大人のロック/ディスコ・ブームの到来 ●大学の音楽文化論の13回目の授業は、「クロスオーヴァー、フュージョンとは何か/そしてそれらがロックに与えた影響について理解」し、「70年代のディスコ・ブームとその背景を理解」し、そして「対抗文化(カウンター・カルチャー)の象徴であったロックが、また対抗文化それ自体が、メイン・ストリーム(主流)化してゆく動向の一端を理解」するというものです。 以下に、