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黒之瀬戸の歌碑

2024年5月13日
鹿児島県の北西端にある長島町、昭和49年に橋がかかって県本土とつながりましたが、それまでは流れの激しい黒之瀬戸に阻まれて孤立した島でした。
東シナ海から八代海への出入り口にあたり、潮の満ち引きで強い流れが発生します。
この激しい流れは古くは「一に玄界、二に鳴門、三に薩摩黒之瀬戸」と呼ばれた三大急流だったそうです。https://youtu.be/Ix11bbp1FX4
大和朝廷の時代、隼人討伐で京の都から派遣された官吏達が歌を残しています。

隼人の 薩摩の瀬戸を 雲居なす
 遠くも吾は 今日見つるかも
   長田 王(ながたのおおきみ)

隼人の 瀬戸の巌ほも 鮎走る
 吉野の瀧に なほしかずけり
  大伴 旅人(おおとものたびと)

九州まで飛ばされながら京の川が恋しいなんて・・・

なんかショボい気もしますが、万葉集に載っている最南端の地だそうです。

大伴旅人は元号令和の出典となった
「初春の令月にして気淑く風和ぎ
 梅は鏡前の粉を披き 蘭は珮後の香を薫らす」

説明看板で学べます
後追いで石碑が出来ました

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