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ウィズコロナ時代の信仰①

フィリピの信徒への手紙から、ウィズコロナ時代の信仰の姿勢について考えてみましょう。引用している聖句はすべて新共同訳からのものです。

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ウィズコロナ時代に、何よりもまず、するべきこと。それは、お互いのために祈り合うことです。祈りには力があります。祈りは、距離を越えて届きます。それは、聖霊さまが祈りを運んでくださるからです。なので、WiFiが遅くても、ネット障害が発生しても、問題ありません。お互いの近況がわからない場合には、相手のためにどう祈ったらいいか、とまどうかもしれません。。。しかし、どんなときでも、必ず祈れることがあります。それは「〇〇さんが、わたしと一緒にイエスさまの救いの恵みにあずかっていることを感謝します、ハレルヤ!」という祈りです。これは、どんな条件下であっても、祈れて、感謝できることです。

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ウィズコロナ時代には、あらゆる計画が中断し、あらゆるスケジュールがキャンセルされました・されています・これからもされるでしょう。だから、自分の目には、物事がちっとも進んでないように見えて、焦燥や葛藤を感じることも多いでしょう。でも、神さまは、神の心のなかで思い描いておられる計画に向かって、すべてのものごとを案配して、着実に完成の日に向かって動いておられます。前回のメッセージで「自分」を主語とする人生から、「神」を主語とする人生への転換をお話しました。それと同じように、自分の計画を自分の努力で前進させる、という感覚から、神の計画が神の動きによって確実に完成して行く、という感覚に、切り替えて行きましょう!

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ウィズコロナ時代は、世界のあらゆるひとが、インターネットを通して、自分の意見・分析・研究成果・主張・期待・信仰・陰謀論を、全世界に向けてかんたんに発信できるネット時代と完全にかぶっています。このため、情報の洪水の中で、わたしたちはアップアップしている状態です。だからこそ、情報を吟味する「識別力」を身に着けることが求められています。ネットで目にしたことを、すぐうのみにしないで、根拠となる裏付けを確認する習慣を持ちましょう。一度発信したら取り消しが難しいために、慎重に調査してから報道する姿勢が「古臭い」「時代遅れ」とされる新聞などのペーパーメディアですが、だからこそ彼らはダブルチェック・トリプルチェックを欠かさない姿勢を、いまも続けています。情報を目にしたとき、心にザワツキ、ザラツキを感じたら、ペーパーメディアが何と言っているかに注意を払いましょう。あれ、この情報、なんか、へんかも? という心の直観も大切にしましょう。正しい「識別力」を働かせるなら、わたしたちは疑心暗鬼や被害妄想に陥ることなく、平和な義の実を結ぶ経験を重ねることができるのです。

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ウィズコロナ時代には、マイナスをプラスに転換する信仰が求められます。パウロがこの手紙をフィリピのクリスチャンたちに向けて書いたのは、獄中からでした。みなさんの牧師が刑務所の中から励ましの手紙を送って来たとしたら、みなさんは、はたして励まされた感じになれますか? たぶん、なれないでしょう(笑) でも、驚くべきことに、フィリピのクリスチャンたちは、獄中からのパウロの手紙を読んで、大いに励まされたのです。それは、イエスの十字架と復活を信じる信仰によって、彼らは、マイナスの状況をプラスに転換して受け取ることができたからです! 

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マイナスをプラスに転換する信仰が求められる、ウィズコロナ時代ですが、信仰を究極までつきつめれば、生きることもキリスト、死ぬこともキリスト、ということになります。。。これは、ふつうの感覚をもったひと、クリスチャンではないひとには、ちょっと理解できないこと。。。もしかしたら、ドン引きされてしまう世界観かもしれません。しかし、クリスチャンの信仰をつきつめると、これになります。わたしたちは、この地上では、キリストのうちに・キリストと共に・キリストのために、生きています。また、死んだならば、やはり天国で、キリストのうちに・キリストと共に・キリストのために、永遠に生きるのです。。。つまり、地上と天国には、本質的な違いが、なんら無いということですね。この信仰を持てたなら、わたしたちはウィズコロナ時代に、ゆるぎない心の平安を経験することができるのです。

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生きるもキリスト、死ぬるもキリスト、という信仰が求められる、ウィズコロナ時代。しかし、早く天国に行きたいからと、死に急ぐべきなのでしょうか? そうではありません。わたしたちは、あらゆる努力と注意を払って、可能な限り長生するべきなのです。なぜなら、生きることは益になるからです! だれの益になるかというと、それは、自分の益ではありません。だれかの益になるのです。わたしたちは、だれかの助け、だれかの励まし、だれかの力になるために、できるかぎり生き延びて、長生きしなければならないのです。そのために、マスクを付け、手を洗い、社会的距離を保ち、よく睡眠をとり、食事をし、ストレスを解消し、免疫力を高めて、コロナに感染しないようにする必要があります。お互い、生き延びて、長生きしましょう!

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このウィズコロナ時代に、どうしても考え込んでしまうのは、神さまはなぜ、こんなコロナ禍が起きるのを許しておられるのか、という疑問です。これは、世界になぜ悪があるのか、という神義論の問題になります。いつも難しいことばかり考えている神学者たちが何百年議論しても、この神義論の問題には簡単に答えが出ません。でも、ひとつだけ、はっきりしていることがあります。それは、わたしたちはイエスさまを信じて、救われて、すべてが祝福されて、ぜーんぶ自分の思い通りに行くような「恵み」だけを与えられているのでは、ない、ということです。これは、紙に赤いマジックペンで書いて、在宅勤務している部屋のドアに大きく貼りだしておいた方がよい聖句です。すなわち「わたしたちには、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられているのです」 イエスさまは十字架を通って復活にいたりました。イエスさまが歩んだ道をたどっている、わたしたちクリスチャンも、それぞれが負うべき小さな十字架が与えられています。このコロナ禍にあって、心に感じるすべての苦しい思いは、ある意味すべて「小さな十字架」です。それを受け取って、それでも生きよう、と決意した瞬間、わたしたちの心にも体にも、もうイエスさまの復活の力が働いているのです。


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