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やること vs あること

Doing(やること)と Being(あること)のバランスをどう取るかって、終わりのない課題なのではないか、と思う。

Doing に注力しすぎて、疲労困憊して、燃え尽きて、何のためにやってたのか、わからなくなってしまうこと。。。これは、ひとつの極端。

Being に注力しすぎて、手も足も動かさず、心までも動かさなくなって、関心も意欲もなくなってしまうこと。。。これも、ひとつの極端。

いつも、この、ふたつのあいだで、うろうろしていて、あるときは Doing に寄りすぎ、あるときは Being に寄りすぎ。。。反省しては、右に戻り、また反省しては、左にもどり。。。人生のシーズンで、その色というか、濃度が、ちがうよね。。。

今日の聖書の言葉。

もし、善いことに熱心であるなら、だれがあなたがたに害を加えるでしょう。
ペトロの手紙一 3:13 新共同訳

去年の自分の姿をかえりみると、昨年の12月については「ふつう、こんなスケジュールの組み方は、しないよね? 自分はいいかもしれないけど、他人についての配慮に欠けてるんじゃないの?」という厳しいお叱りをいただいた。。。

あきらかに Doing に寄りすぎていなあ、と反省。

今年の自分の姿については、やろうと思っていたこと、計画していたことが、ぜーんぶ、神様。。。というか。。。コロナにストップされて、強制的に Being だけしか注力できない状態。

Being に注力するって、ヘンか。。。Being のために、いかに注力しないか、か?

まあ Doing と Being を二項対立図式にしてしまうのが、そもそも間違いなんだよね。。。きっと。。。

神様にとっては、いつでも、ただ「善いこと」しか、ないんだろう、と思う。神様にとっての善いことが、ある状況では Doing だったり、別の状況では Being だったり。。。で、それを受け入れられない自分がいる。

神が考える最善が、自分の考えてる最善と、一致してない、というのが問題なんだよね。。。

結局「神様の御心がなりますように、Doing であれ Being であれ」と祈り求めて行くしかないんだろう。。。そうなんだろう。。。そうしよう。。。


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