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永遠に未完のプロジェクトは、今日も進行し続ける。。。

きのう、「裏切り」を「愛」の中に回収することによって共同体を「回復」させる仕組み、というテーマで note を書いたんだけど。。。

そのあと、つらつら考えた。。。共同体が共同体であり続けるためには、「排他性」も必須なんだよなー、と。

巨人軍が巨人軍であるためには、阪神が混ざっていたらマズイわけで(笑)

英語に「コモンマン」(Common Man)という概念がある。ありのまま、生まれたまま、そのままの一個の人間。まあ、裸の人間と言ったらいいんだろうか。。。属性が付与されない状態の人間?

で、世界を見渡した時、いまこの瞬間、いかなる属性も持たない人間なんて、ひとりもいないよね。

みんな、それぞれの共同体の中で、メンバーであることによって、属性が付与されて、しかも、その属性は「排他性」と表裏一体だ。

セカオワのパーソナルグッズをもらえる特典は、ファンクラブ会員だけです、とか。。。

おたくのブロックは、別の町内会だから、ここにゴミを出さないでちょうだい、とか。。。

おまえ、一年なのに、なんで二年のオレにタメ口きいてるん? とか。。。

そんなん、ばっか。。。

今日の聖書の言葉。

恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神。
たじろぐな、わたしはあなたの神。
勢いを与えてあなたを助け
わたしの救いの右の手であなたを支える。
イザヤ書 41:10 新共同訳

今日の聖書の言葉。。。とっても素晴らしい、神による守りの約束なんだけれど。。。

でも、それが書かれている前後の文脈を見るなら、これは、イスラエル・ユダヤ人という強い「排他性」を持つ共同体のメンバーだけに与えられた約束なんだよね。

その証拠に、直前で、こう言われてる。

わたしの僕イスラエルよ。
わたしの選んだヤコブよ。
わたしの愛する友アブラハムの末よ。
わたしはあなたを固くとらえ
地の果て、その隅々から呼び出して言った。
あなたはわたしの僕
わたしはあなたを選び、決して見捨てない。
イザヤ書 41:8-9 新共同訳

アブラハム、イサク、ヤコブの子孫として、神の契約の祝福にあずかる、イスラエル・ユダヤ人。

彼らが、特別に選ばれた民であり続けられるのは、ひとえに「排他性」にかかっている。だから、旧約聖書のあちこちに、他の民族と交わるな、雑婚するな、影響を受けるな、排除しろ、という勧めが、繰り返し出て来る。

だけど、その「排他性」を打破しなければ、共同体は「普遍性」を獲得することは、できないんだよね。。。

共同体のアイデンティティーと「排他性」という課題を、旧約聖書から引き継いだ新約聖書は、こういう驚きの解決を提示する。

実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、 規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、 十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。
エフェソの信徒への手紙 6:11-16 新共同訳

イスラエル・ユダヤ人を体現するアイコンとしてのイエス・キリスト。そのキリストが十字架につけられて、死ぬ。

そのイエスの死によって、イスラエル・ユダヤ人の「排他性」を規定していた「規則と戒律ずくめの律法」が、廃棄された、と新約聖書は言うんだ。。。このロジックは、神のロジックなので、神がそう決めたから、そうなった、としか言えないんだけど。。。

そして、イエスが復活することによって、異邦人も未開人も自由人も奴隷もイスラエル・ユダヤ人も区別なく、すべての人間を包含する「新しい共同体」が誕生した。。。そう新約聖書は宣言する。

そこには、もはや、ギリシア人とユダヤ人、割礼を受けた者と受けていない者、未開人、スキタイ人、奴隷、自由な身分の者の区別はありません。キリストがすべてであり、すべてのもののうちにおられるのです。
コロサイの信徒への手紙 3:11 新共同訳

排他性を除去した共同体。。。この「新しい共同体」の生き方は、当然のことながら、次のようなものになる。。。

しかし、人を分け隔てするなら、あなたがたは罪を犯すことになり、律法によって違犯者と断定されます。
ヤコブの手紙 2:9 新共同訳

キリストの教会は、排他性を除去した共同体としてスタートした。。。はず。。。なんだけど。。。長い歴史の中で、いつのまにか身についた排他性を自覚して脱ぎ捨てようとする努力が、いまなお進行中だ。

どんな属性の人も受け入れて、新しい共同体を、つねに新しく作り続けるという、永遠に未完のプロジェクト。。。

そりゃ、ほんと、大変なプロジェクトだと思うよ。だって、人間のサガとして、「あんたは町内会が違うから、ここにゴミ出すな!」って言っちゃうほうが、直観的にわかりやすいじゃん。

それでも、未完のプロジェクトは、進行し続けて行く。。。

22歳の詩人、アマンダ・ゴーマンは、先日の大統領就任式でのポエトリー・リーディングで、こう言った。まじ、レスペクトする。

日が登ると、我々は自問する、この終わりのない陰のどこに光を見つけることができるのだろうかと。

我々は損失を背負いつつ、海を渡らなければならない。我々は獣に勇敢に立ち向かい、静けさが必ずしも平和だとは限らないことを学んだ。規範や概念が必ずしも正義とは限らないことも。

そして、夜明けは我々のものになっていた。我々は、国が壊れているのではなく、単に未完成であるのを知り、乗り越えてきた。

国の後継者である我々は、奴隷の子孫でシングルマザーに育てられた痩せっぽちの黒人の少女が、大統領になることを夢見ることができ、その夢を朗読をすることができると知ったのだ。

そう、確かに我々は洗練されていないし、清廉潔白でもなく、完璧な団結を作ろうと努力しているわけでもない。

しかし我々は、目的に向かって団結し、すべての人の文化、色、性格、条件にコミットする国を作り上げようと努めている。

だから我々は、我々の間にあるものではなく、我々の前にあるものに目を向ける。我々は自分たちの未来が最も大切だと知っているので、分裂を終わらせ、我々の違いを脇に置く必要があるのだ。

我々はお互いに手を差し伸べることができるように上げた腕を下ろす。誰にも危害を加えず、すべての人に調和を求めるために。


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