共同親権が女性の地位向上につながる?

 選択的夫婦別姓制度が女性の地位向上につながることを疑う人はあまりいないと思うが、なぜ選択的夫婦別姓が女性の地位向上につながるのかということをきちんと理論立てて考えている人は案外少ないのかもしれない。
 だから、私がツイッターで「夫婦別姓と共同親権は女性の社会的地位向上のために必要な制度だから、選択的夫婦別姓制度に賛成する人は、選択的共同親権制度にも賛成するのが自然なのです」と書いたとき、理解されなかったのだと思う。
 まず、選択的夫婦別姓が、なぜ女性の社会的地位向上につながるのかを考えてみよう。
 夫婦別姓が要求されるようになった背景には、女性の社会進出が進み、社会の中で「氏名(姓)」の同一性を保持できないことの不合理に多数の女性が「もう我慢できない」と声を上げ始めたことがあることは間違いあるまい。歴史的に見れば、封建時代には女性は結婚すれば「家に入るもの」と考えられており、その家の「姓」を名乗るのは当然のことであった。日本国憲法はこうした「家」の考え方を否定し、男女平等の立場で婚姻生活が営まれることを規定する(24条1項)。しかし、実際の家族生活を見れば、男(夫)が外で仕事をして生活費を稼ぎ、女(妻)は家庭で家事をするという明治憲法下で続けられていた生活スタイルが急激に変わるはずもなく、徐々に、徐々に家庭から外に出て仕事をする女性が増えてきたというのが現実である。法が社会のあり様に先行して変わり、社会を変えてきた一つの例であろう。そして、今や共働き世帯は普通のこととなり、女性の労働力は日本社会にとっても欠かせないものとなった。
 ところが、女性の多くは結婚によって『改姓』を余儀なくされる。(男性が改姓する場合もあるが、1割程度に過ぎない。)すると、それまで社会活動を行ってきた「甲野花子」という氏名は突然消えてしまい、「乙田花子」という氏名を法的に押し付けられることになる。これが、「家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。」とする憲法24条2項に反するのは明らかだ。(いささか乱暴な立論だが、本題ではないので)
 それでは、選択的共同親権制度はどうだろう。
 私は、選択的共同親権制度も女性の社会的地位向上につながると考えているが、それはどうしてか。
 こちらも、共同親権が要求されるようになった背景から考えていく必要がある。女性(妻)が社会に進出し、職を持てば、当然それまで女性が担ってきた家事労働の負担を男性(夫)に求めるのは必然である。日本でも「イクメン」という言葉が浸透しているように、男性に家事負担を求めるのは当然のこととされる時代になっている(日本では、男性の家事負担率はまだまだ低いが)。 「子の養育」が家事労働に含まれることは言うまでもない。かくして、男性(夫)も育児に積極的に関わるようになっている。
 ところで、「親権」という概念は「家制度」の下では戸主権の一部であった。「戸主権」概念では、子はまさに戸主(通常は男)の所有物であり、進学や就職、結婚まで支配することが可能であった。戦後、日本国憲法は家制度を否定し、「親権」という概念を作った。(この「親権」という言葉にも「親が子を支配することができる権利」という思想の残渣が残っており、適当ではないものであるが、それはここでは論じない。)憲法24条の要請する両性の平等からは、当然、父母はその性別等によって差別されることなく、「親権」を有するものとされた。ただし、婚姻中に限って。
 離婚した後は父母のいずれかが親権者となるというのが、当時は『当たり前』の考え方だったのだろう。そして、当初は子どもは「家の子」、という考え方から父親が親権者となることが多かったが、核家族化が進むことによって、よほど裕福な家庭ならまだしも、そうでない家庭では子の養育が実際にはできない(父親は仕事に出るから)ことが問題となり、母親が親権者となる場合が大半を占めるようになった。これを「離婚後は家父長制の名残で家長に単独親権(法的には別居親が親権も可能)→実情、離婚後は母が家長の母子家庭が多いので母に単独親権」と表現したした人がいたが、なぜ、離婚すると日本国憲法から大日本帝国憲法へと逆行するのか、私には理解できない。
 女性が社会進出して社会で職を得ていれば、育児の負担を「母親の単独親権」の名のもとに女性だけに押し付けてよいはずがない。男性(父)も平等に育児の負担を担うべきである。「親権」は親が子を所有し、支配する権利などではなく、子の養育を行う義務だと捉えるならば、共同親権でなければ「男女平等」は果たせないはずだ。
 また、弁護士である猪野亨氏によれば、共同親権は「父権の復活を目論む保守勢力」が主張しているという。(猪野氏のブログより) なぜ、猪野氏がそういう結論に至るのか、何度読み直してみても私には全く理解不能である。このように、共同親権は理念的には女性を家事労働から解放し、社会参加への道を広げるものなのである。反対に、単独親権維持を唱える論者の言をよく見れば、猪野氏に限らず、女性は家事労働を担うのが当然だという、封建的な性別役割分担論から抜け出せていないことに気づくだろう。
参考までに、憲法学者木村草太氏の子育て論をあげておく。
憲法学者・木村草太さんの子育て論

 







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?