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看護は概念、看護は自由。だから、サービスだって自由に作っていいじゃないか。

こんにちは。患者さんの日常生活を豊かにしたい会社PEER(ピア)の代表、佐藤真琴です。このnotesではピアの事業を通じてどのような社会づくりを目指すのかについて、またその周辺について、書いています。

ここからの内容を3行でまとめると、このような内容です。
・看護師は医療に関する国家資格
・看護は概念と考えてみると自由
・看護は保険制度以外でも事業化できるはず

看護と看護師の違い

看護と看護師は違います。日本の医療制度の中で定められる”看護師”という職種で働くためには、看護師免許が必要です。看護師免許は国家資格で、その時の厚生労働大臣が出してくれます。つまり、看護師という職業で働くための資格です。

看護は、看護という概念です。考え方と判断基準の基本フォーマットで、これは自由に解釈ができます。仏教のお経や、キリスト教の聖書に近いものがあります。

ウィキペディアに看護のことが上手にまとめられていますので、そのまま引用します。

個人や家族、地域社会が最大限の健康を取り戻し、できる限り質の高い生活ができることを目的とした支援的活動である。職業人である看護師の行う実践を指す場合が多いが、患者の家族などが病気や障害などを理由に生活上の困難を抱えている患者などに対して日常生活における世話や情緒的に支えることなどを含むこともある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%8B%E8%AD%B7

看護とは困ったときの支援的活動であり、職業としての看護師の仕事は、その一つの実践方法のようです。

看護といえば、ナイチンゲール。

看護といえば、ナイチンゲールが有名です。彼女は1820年〜1910年、90歳の人生を送った近代看護の創始者です。彼女が戦争負傷兵のところに看護師団を率いて乗り込んだことや、看護師はかくあるべきという「看護覚え書き」を書いたことは有名です。この本は世界中で大ヒットし、今でも看護学生が基礎教育で必ず触れる本です。

この「看護覚え書き」には多様な要素が含まれるのですが、特に代表的なものとして「看護はその人の生きる力を助けるものだ」という人の役に立つ概念と、「看護とは職業でありプロなのだから専門職として研鑽しよう」という人間教育について書かれています。(本の中には、それ以外も書かれています。)

あれ、とお気づきでしょうか。これって、別に医療制度、病院や施設ケアじゃないところにも当てはまりますよね。

看護が役に立つところは時代によって変わる

ナイチンゲールが生まれた1820年は、ウイーン体制の真っ只中です。ナポレオン戦争とフランス革命で荒れたヨーロッパを再建しようとした時代です。ことの発端のウイーン会議が1814年、ナイチンゲールが1820年生まれ、ウイーン体制が崩壊したクリミア戦争が1853−1856年ですから、青春真っ只中がヨーロッパ大戦争中でした。この時代の看護は、戦争で傷ついた人の手当が主な任務だったようです。とはいえ衛生概念のない野戦病院ですから、劣悪な環境でした。その中で衛生、栄養、人間らしく温かみのある対応を訴えたのがナイチンゲールです。この経験を通じて書かれたのが、前出の「看護覚え書き、看護であること看護でないもの」です。

近代看護の祖といわれるナイチンゲールの時代と、21世紀の現代における看護とは、かなり状況が違うことがわかります。現代の看護の「個人や家族、地域社会が最大限の健康を取り戻し、できる限り質の高い生活ができることを目的とした支援的活動」は、医療以外の日常生活にも及びます。爆弾が飛んできて、殺戮があり、人がすぐとなりで血を流すような時代の看護と、平和でその人らしい生き方を模索する現代の看護は、看護の手段はかわってきます。看護は時代によって変わります。

現代的な看護の場所を、地域の中に、事業として育てよう

最大限の健康を取り戻し、質の高い生活をしようとする個人を支えることを看護だと、私は捉えています。つまり、現代の看護の概念です。私は看護師になる教育を受けて、看護を学びましたが、医療保険制度内の看護師としての職業にはついていません。でも、看護の概念をもって、看護のできる場所を地域の中に作りたいと考えています。

ナイチンゲールの頃は、撃たれて血が出て、放っておくと死ぬ、という肉体の緊急事態に向けた看護でした。現代は、医療とともに生きる人が、そこからどう生きていこうかを考え、取り組んで、その人らしい人生を再構築することを支える、一歩進んだ社会的看護に進化しています。

医療と近いところの日常生活をケアする看護

医療はどんどん進化しています。多くの人が治療と共に日常生活を続けられるようになってきました。しかし、その時に少しだけ支援が必要な場合があります。たとえば、髪が抜けるとか、気持ちが不安定になるとか、キャリアが見えなくなるとか、いわゆる困りごとが発生します。それを支える場所が地域の中に自然に存在していたら暮らしやすいと思いませんか。病気になっても支えてくれる場所があるから大丈夫。そんなことが当たり前に慣れば、病気になったらどうしよう!という社会生活の不安が少なくなるはずです。

私たちはインフラになりたい。"電気ガス水道+PEER"

PEER(ピア)は、電気ガス水道くらいにどこにでもあるものになりたい、というのが私の野望です。看護がどこにもある社会で、医療に近いところの日常生活にちょっと困ったらPEERにいけばいいじゃん、みたいに軽い近いところになりたいです。電気ガス水道ピア。10年以上唱えていて大体苦笑されますが、懲りずにこれからも唱えていきます。

おまけ

こちらは私の看護師免許の実物です。看護師国家試験は年1回行われており、合格するとはがきが送られてきます。その葉書を保健所に提出し、暫く待つと看護師免許が送られてきます。免許は賞状タイプで、持ち運べず若干不便です。

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