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「しっとりしている感じ」とは何だろう?

今日は『触楽入門 -はじめて世界に触れるときのように-』(著:テクタイル)から「「水の触感」とはどういうものか、触りながら考えてみよう」を読みました。

昨日は「素材の触感を変える」という話に触れました。金属にふれたときに感じる「ヒンヤリ」とした触感。心地よく感じるときもあれば、そうでないこともある。ヒンヤリと感じるのはふれた金属に体温を奪われるからです。

どうすればヒンヤリとする感覚を和らげることができるのでしょうか?「素材の触感をどうすれば変えることができるのか?」という問いです。著者は「金属の冷たさを、まるで木材に触れているかのような触感に換えることができたら」と表現しています。

それには、金属に細かい溝を掘って「皮膚の接地面積を小さくする」という方法が提示されていました。「素材の触感を変える」と聞くと、素材の成分レベルから変化を加えなければならないのではと考えました。もちろんその方向性もあるかもしれませんが、「ふれ方が変わる」ように素材が変わるという方向性もあるのだと気づかされました。

「ふれ方を変える」と聞くと、人間が主体的に力加減や力を加える方向を変えるシーンを思い浮かべてしまいますが、そうではなくて、人間が意識せずとも「素材のほうから迎えにゆく」というのか、人の触れ方を素材が導く構図がとても新鮮でした。

「インターフェース」という言葉の意味は、触感が「ふれる・ふれられる」という組み合わせ・関係性の中で決まるのだという学びがありました。

さて、今回読んだ範囲では「水の触感」というテーマが展開されています。

ヒトには湿っているを感知する感覚器官が存在しない

幼い頃からお風呂に入ることが好きだったり、水泳を習っていたこともあり水に囲まれる生活でした。水にふれているときの、一体となって包まれているような、つながっている感覚が心地よいのかもしれません。

ですが「水にふれているときの感覚ってどんな感覚?」と聞かれると、案外答えるのが難しいように思います。

著者は「ヒトには濡れている性質を感知する感覚器官は見つかっていない」と述べています。とても不思議ですね。

 手を洗う。洗濯物が乾いたかどうか確かめる。お風呂に入る - 私たちは毎日、当たり前のように水を「感じて」います。ですが、手が「濡れている」という性質をどうやって感知しているのか、実はあまりよくわかっていません。昆虫では触覚で湿度を感知できるものもいますが、ヒトではそのような感覚器官は見つかっていないのです。水の感触は非常に魅力的なものですが、一体どこからこの「感じ」は生まれているのでしょうか。

水は決まった形がありません。やわらかく、ふんわりしている。深いところまで潜ると水圧で身体が押されているような感覚もある。そのときはどこか固体っぽさも感じる。空気のようですが、空気よりも実体があるような感じです。

水といえば「しっとり」しているという表現がなじみます。「しっとり」という言葉の響きには、どこか「濡れている」ような語感があります。「しめっている」とか「しっぽりする」というような「し」の音は「みずみずしさ」を感じさせるのかもしれません。

隅々にまで行き渡ることで生まれる「しっとり感」

著者は「しっとり感」が生まれるのは、指紋の凹みの部分にまで水が入り込むためと説きます。

 表面が平らな物体に触れるときは、指紋の凸部分が物体に触れるだけで、指紋構造の奥深くは刺激されません。しかし、水のように指になじむ媒質があると、指紋の奥、凹部分まで入り込むので、これを「しっとりした」感触だと感じるようです。

指には指紋(凹凸)がありますが、指先で何かに触れるときには凸(山)の部分が最初に触れている。普段は意識することがありません。

たとえば、やわらかくて毛先の細い布地にふれてもしっとりするような感覚があるのも、指紋の凹の部分に毛先が触れるからかもしれません。そう考えると「しっとり感」というのは「きめ細かさ」とも言い換えることができて「きめ細かさ」は量で測ることができます。

ドイツの心理学者D・カッツは、このような形のない媒質に触れるときの触現象を「空間充満触」と呼びました。ほかにも例えば、風を感じるのも空間充満触と言えるでしょう。水の感覚には、「なぞったときの特徴的な動き」「冷たさ」「指になじむこと」「明確な形がないこと」といった複数の特徴があります。こうした感覚を複合して、「水らしさ」は生まれているのです。

著者はしっとり感のほかにも、水の性質として、なぞったときに「キュキュっ」する感じや、冷たさなども挙げています。ヘレン・ケラーはなぞった時に「キュキュっとする感じ」がするとして「Water」を理解したそうです。

「決まった形を持たない」からこそ、自在に奥まで入り込むことができる。

水の触感から離れますが、私たちは「決まった形・型」を持ち、使いこなすことに慣れていることが多いのではないでしょうか。思考のパターン、行動パターン。

でも、相手にその形・型を押しつけてしまうと、相手の隅々にまで行き渡ることは叶わないのかもしれません。相手にはどんな凸凹があるのか、自分にはどんな凸凹があるのか。決まった形を持たずに、しなやかに変えていく。キメを細かくしてゆく。

「サバサバ」でも「べっとり」でもなく「しっとり」としたコミュニケーションというものが成り立つ可能性を模索したいです。

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