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物が「しなる」という事に於いて在る。

「しなる」ということ。

今日はこのことについて、思うままに綴ってみたいと思います。

朝からいつものようにヨガに取り組んでいたとき、背骨全体がしなやかなアーチ状になり、全身が心地良くストレッチされた感覚がありました。無理なく全体が伸びているとどこにもストレスがなく、身体の存在が意識を離れてゆくことがあります。

この感覚を広げてみると「しなる」という状態には「調和」が内在しているように思います。たとえば、石をアーチ状に積み上げた橋をイメージしてみると、石は互いに互いを支え合い、その力関係の均衡、調和の中に強度が生まれるだけでなく、やわらかな美しさがもたらされます。

虹も七色の美しさに意識が向きますが、その形、すなわち「アーチ」であることも等しく美しい。虹が「かかる」というのはアーチが「かかる」に通じているように思いますが、もし虹色が七色でなくとも、モノクロであったとしたら、その柔らかな曲線の美しさがより意識されるのかもしれません。

あるいは「竹」をイメージしてみると、竹は強い風を受けた時に自らを「しならせる」ことで、風の力を受け流しています。「しなる」というのは「なびく」とは異なり、元の状態あるいは中心軸に戻ろうとする「反発力」が内在しています。受け止めるのでもなく耐えるのでもなく「適度に受け流す」ということ。

ある方向に動くと同時に真逆の方向へと向かう反発力・復元力も大きくなってゆく。相反する正負の力が均衡を保ちながら共存している。それが「しなやか」であるということ。

ほうれん草のお浸しも「しなしな」していますが、そこには食べやすさにつながる「やわらかさ」と「シャキシャキ」とした歯応えが調和しています。「クタクタ」ではなく「しなしな」です。「しなる」と「しなしな」に共通する「しな」という音には、やわらかさと力強さが含まれているのでしょう。

「しなる」という性質が存在しなかったら、世界は少し窮屈になっているのかもしれません。しなやかな事物・物事は我が身を振り返るきっかけになるかもしれません。身近な「しなり」に気づく感性を育みたいものです。

まずは、自分の身体から。身体の持つ「しなやかさ」を日々保っていきたいと思います。「しなる」というコトをレンズとして、様々なことにつながりを見出せたらと。

一方、「どのように」を基軸に現象世界を見ることもできる。これはモノとその属性との間の主従関係を逆転して、さまざまな異なったモノが同一の状態に「於いてある」と見る見方である。夕陽もバラの花弁もすべて赤いという状態に於いてある。「赤い」という性質が一つの場所を作っていて、そこに夕陽やバラや炎が包み込まれるというイメージである。

蔵本由紀『新しい自然学』

個物が互いにばらばらではなく、さまざまなつながりをもってこの世界を構成していることが知られるのはこのような見方、つまり述語的統一によっている。述語的統一においても、通常私たちは惰性的なものの見方しかしていない。しかし、思いがけない述語的統一が導入されると、それによって個物間の関係が一新され、そこに新鮮な世界像が現れる。そこではモノとして新しい何かが見出される必要はまったくない。後に述べるように、「新しい自然学」の斬新さは、この事実を自覚的に追求するところにあるのではないかと私は思っている。

蔵本由紀『新しい自然学』


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