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根本(ねもと、こんぽん)を探る、ということ。

今日は「根本」という言葉について。

「ねもと」や「こんぽん」と読みますが、前者や柱などの具体的な存在に対して、後者は「〇〇を根本から理解する」のように使い、〇〇には具体的な存在だけでなく、抽象的な概念・存在も含まれます。

いずれの読み方も「土台、基礎、足場」という意味は共通しているわけですが、根本が不安定だったり、疎かになっていると、その上に積み上がったことはちょっとしたきっかけで揺らいだり、崩れてしまうかもしれません。

そう思うと、自分という存在はどれぐらいの、どんな「根本」で支えられているのだろうか、という問いが浮かんできます。逆に言えば「なんとなく」で済ませてしまっていることがどれぐらいあるのだろうか、と。

「根本を理解する」ためには「そもそも…それってどういうこと?」という問いを立てて意識的に色んな角度から眺めてみたり、逆に考えすぎてしまうと大事なことを見失うかもしれませんし、一筋縄ではないことも多いです。

日々、膨大な情報があふれる現代社会ですから、大量の情報を取り入れて、「なんとなく」記憶して、取り入れたことをそのまま吐き出すように生きることもできます。

ただ「なんとなく」に偏ってしまうと、いつしか自分自身が「空虚」に感じられてしまうことになりそうだな…という気がします。

「根本」を考えるのは、いささか面倒に感じられるかもしれませんし、簡単には分からないかもしれません。でも、それでいいと思うんです。

根本を見つける道のりは決して直線的ではないかもしれませんし、最初から見通しが立っているわけではないかもしれません。だからこそ、回り道では思いがけない出会いがあったり、「未知を発見する喜び」があります。

そう思うと「根本を探る」上で大切なことは、むしろ「決して分かった気にならない」という姿勢や態度なのかもしれません。時折「自分は分からなさをどの程度受け入れているだろうか?」と自問してみたいものです。

そう、ここ最近、出会う人たちがとても輝いている。自然を相手にいろんな工夫を凝らして技術を身につけて、果てに自給自足の生活を営んでいる人もいる。そういう人たちの生活は、とてもシンプル(選択するのも躰を洗うのも食器を洗うのも、別々の洗剤を使うのとは真逆)。やはり、ものごとの根本がおもしろい。

高木正勝『こといづ』 ちゃんと、ひとまず

「そもそも、どういうことなのか」「なぜ、これをこう使うのか」。きちんと理解していると、とてもシンプルに生きられるし、自分なりの工夫も思いつける。例えば、食に欠かせない塩。塩は躰を温める。そして、砂糖は躰を冷ます。単純だけど、これを知っているだけで、ずいぶんと見えてくるものがある。逆に、知っていないといろいろやややこしいことをやってしまいそう。

高木正勝『こといづ』 ちゃんと、ひとまず

世の中、「パズルをしているだけ」「組み合わせをしているだけ」が多い。すべてのものが、何かと何かの組み合わせなのかもしれないけれど、同じ組み合わせなら、根本に近いもの同士の結びつきがいいな。根本を知っている人のつくるご飯は、おいしい、とてもおいしいよ。ちゃんと辿り着きたい、根っこのもと。ひとまず躰を温めてみる。

高木正勝『こといづ』 ちゃんと、ひとまず


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