根本(ねもと、こんぽん)を探る、ということ。
今日は「根本」という言葉について。
「ねもと」や「こんぽん」と読みますが、前者や柱などの具体的な存在に対して、後者は「〇〇を根本から理解する」のように使い、〇〇には具体的な存在だけでなく、抽象的な概念・存在も含まれます。
いずれの読み方も「土台、基礎、足場」という意味は共通しているわけですが、根本が不安定だったり、疎かになっていると、その上に積み上がったことはちょっとしたきっかけで揺らいだり、崩れてしまうかもしれません。
そう思うと、自分という存在はどれぐらいの、どんな「根本」で支えられているのだろうか、という問いが浮かんできます。逆に言えば「なんとなく」で済ませてしまっていることがどれぐらいあるのだろうか、と。
「根本を理解する」ためには「そもそも…それってどういうこと?」という問いを立てて意識的に色んな角度から眺めてみたり、逆に考えすぎてしまうと大事なことを見失うかもしれませんし、一筋縄ではないことも多いです。
日々、膨大な情報があふれる現代社会ですから、大量の情報を取り入れて、「なんとなく」記憶して、取り入れたことをそのまま吐き出すように生きることもできます。
ただ「なんとなく」に偏ってしまうと、いつしか自分自身が「空虚」に感じられてしまうことになりそうだな…という気がします。
「根本」を考えるのは、いささか面倒に感じられるかもしれませんし、簡単には分からないかもしれません。でも、それでいいと思うんです。
根本を見つける道のりは決して直線的ではないかもしれませんし、最初から見通しが立っているわけではないかもしれません。だからこそ、回り道では思いがけない出会いがあったり、「未知を発見する喜び」があります。
そう思うと「根本を探る」上で大切なことは、むしろ「決して分かった気にならない」という姿勢や態度なのかもしれません。時折「自分は分からなさをどの程度受け入れているだろうか?」と自問してみたいものです。
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