J.D.サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』を読んで。いや読んでない。

今、J.D.サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』を読んでいるんだ。何を今更、と思ってる人もいるんじゃないかな。

僕は、この本と『罪と罰』と『路上』だけは何度読んでも最後まで読んだことがないんだよ。この三冊はいつ読んでも必ず途中で挫折してしまうんだ。ホントなんだよ。うそなんかつかないよ。

『罪と罰』なんかはさ、上・下刊あって一冊だけでも物語がほんと長ったらしいんだ。校長先生の朝礼の話より長いんだぜ。まったくやんなっちゃうよ。途中でやめたら最後、長い名前の登場人物が誰が誰だかわからなくなってしまうのさ。

常にこんな感じなんだ。「アヴドーチヤ・ロマーノヴナが、プリヘーリヤ・アレクサンドロヴナが話をしていると、そこへアファナーシイ・イワーノヴィチ・ワフルーシンが部屋に入ってきた」。なんでいちいちフルネームで書
くのさ。こういうのは実生活では不便だから、短いニックネームで呼ぶというのが普通じゃないかい? 僕がロシア人だとしても、こんな長い名前は覚えられないね。

この本の目的は、完全に読み終えて、学の無い友達に読み終わったことを
自慢することなんじゃないかと思ってしまうぐらいだよ。たぶん、僕もそんな気持ちがあって買ったのかもしれないな。インテリぶることが目的で買ったんだ、きっとね。今じゃ、読み終えなかったことをネタにして自慢してるぐらいさ。大抵の人は同じなんじゃないかな。

ところでD・Bの『秘密の金魚』っていう短編集は読んだことがあるかい?自分の金をどうしても人に見せたがらない子供のことを書いたものなんだ。どうして人に見せたがらないかというと、自分の金で買ったからだっていうんだな。これには参ったね。

とにかく『ライ麦畑でつかまえて』は読み終わらないんだよ。今、やっと3/4まで読んだんだ。でもまた飽きてきてしまったんだ。本当さ。君は面白いと思ったかもしれないけど、僕は飽きてしまうんだな。

考えてみてご覧よ。翻訳とやらいうやつをさ。1950年代の悪ガキの英語を日本語に直すってこと自体が土台無理なのさ。僕が文学のことに詳しいとかなんとかいう、そういうことじゃないんだぜ。

なにしろそういう訳で凄く癖のある文体になってるんだな。その癖が読んでいる方にもうつっちまうんだ。うそだと思ったら読んでごらんよ。

だから、僕の今日の書き方も今回はこんなになっちまったっていう訳なんだ。

それぐらい癖のある文体なんだよ。本当なんだ。

一枚でも多くの写真をプリントできるよう、今後のアーティスト活動の後方支援をよろしくお願い致します。ありがとうございます。WE BELIEVE PHOTO POWER!!