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悠々自適

悠々自適とは、

のんびりと心静かに、思うまま過ごすこと。▽「悠悠」はゆったりと落ち着いたさま。「自適」は自分の思うままに楽しむこと。「悠悠」は「優遊」「優游」とも書く。

https://dictionary.goo.ne.jp/word/悠悠自適/

こんな感じの意味らしいのですが、

そんなふうに生きる事を心の底から望んだ結果、

おそらく私はかなり思っていた予定より早くにその言葉の如く、悠々自適という環境に身を置いているのだと思うのだけど、

どうしてもやっぱり「思うままに生きる」って、逆に何かを「思う」ことをし続ける必要があって、それって結構大変で、インプットがないとアウトプットすることなんて無理だから、悠々自適って自由なようで不自由だよなって思うのはまだ悠々自適の真髄には本当は辿り着いてないという事でしょうか。

変えようのない苦しい現実とか、絶対にお金がかかってくる子育てとか、そういう壁がとくにない私の今の現実にとっては、
今日一日仕事をしなくても明日困るとかそういうわけでもないし、「生きてる実感」を自分で掴みに行かないと、自由ばっかりあっても自由を使いこなせてないということに気がつきました。

多くのものを望んでそれを手に入れようともがいてる人の方が、充実した日々を過ごせるのかもしれないけれど、
結局のところあまり欲しいものがない私は、やっぱり残るのは旅する事なんだよなぁとつくづく思います。

旅のいいところは、ただ遊んでるだけなのに、それなりの大変なことがある程度向こうから訪れてきて、それを乗り越えるたびに達成感を得られて経験値を上げてくれるからです。
海外での暮らしもそうで、暮らす場所が海外っていうだけで今までと違うシステムの中に身を置くと、少なからず自分にとっての不便が勝手に生じて、その不便を少しでも使いこなせるようになると、ちょっと成長した気になれて、生きてるだけで嬉しいし楽しいって思える事だと思います。

27才くらいの頃だったと思うのだけど、東京で委託販売させてもらっていたお店の関係で、とあるトークイベントでお話させて頂いたことがあって、その時の映像がYouTubeに残っていて、たまたま見つけることが出来て見返すことが出来たんです。

スピリチュアル系のイベントで、確か30人くらいの観客と、ライブ配信でお話するっていう、今の時代からするとかなり当時は新しい試みだったんじゃないかなと思います。

なんせ10年前。


そのトークイベントで、私はとても生き生きと、一生旅をして生きていきたい。
そのために今の仕事を選んだんだと言っていた。

正直今もその気持ちは変わってなくて、一生旅をして生きていきたいって思ってて、私はとても恵まれた環境で生まれ育ってきたし、今も充分過ぎる環境に居るんだけれど、

同じところにいると、「ここではないどこかに行きたい」という欲求が溢れてきて、その度に全てを捨ててでもどこかに行きたくなるのです。

この心のままに生きる自適さは、時に人を困らせたりもして、やや面倒なことも多くて、つまり、話の振り出しに戻りますが、やっぱり自由って不自由なんだなあとつくづく思うというお話しでした。


この気持ちって誰しも必ず持っていいるものなのでしょうか?

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