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よくわからん。分かるための痛み

いざ文章にしようと思うと難しい。
思考回路が文章書く方に持っていかれてしまう。
自分の心の声を聞き取るための脳の機能が阻害されてしまう。

起きた時は心が痛いような気がして目が覚めた。
今は目が痛い。
でも目が死んでいる訳でもない。

よく分からない。

でもいつか分かるのでしょう。
時間が経てば気づくということに、気づいたから。

いつか分かるということで、今分かったことを記録しておこうと思う。

思い浮かぶことから。

消去法について。

消去するべきものがなかったような気がする。
選択肢の多い人間ではないから。

もしかすると休学は消去法だったのかもしれない。

消去法を使わないといけないくらい、心は追い込まれていた。
何かを叫びたがっていた。

使ったのは消去法であれ、きちんと決断した時分は成長だと思う。

なんとも言えない心の痛みについて。

この痛みは苦しい。物理的な痛みよりも苦しい。
けれど、恥ずかしいかと言われればそうではない。
でも痛い。
隠そうとは思わないけどね。
だれも周りにいない1人の世界で強がる必要は無い。
強がったところで何もメリットはない。

大事なのはものの表面ではなく、内側だと考えている。

強そうな人だなと思われるよりも、実際に強いひとになりたい。

今の自分は弱いんだ。

自分の弱さを認めることが第一歩だろ。

お金がある幸せについて。

自分にはお金がないからどうこういう資格さえない。
でも、求めているのはだれもが共通しているはず。
それは幸せだと思う。

お金で買える幸せを味わったことは無い。
人が幸せそうにしているのを見ているだけだ。
本当にその人が幸せなのかは分からない。
他人のことなのだから、推測しかできない。

もちろん、本当はどうであれ、羨ましく思う。
誰もが体験できることではないから。
自分にないものは羨ましく思ってしまう。
人間ってそんなものだ。

若くして成功を収めた努力家からはこう教わった。

「金はツールでしかない」

その通りだと思う。

お金は幸せを得るための手段なのだ。

とても大切だ。

でも自分の心は叫んでいる。

お金では買えない幸せの方が何百倍も何千倍も大切だと。

努力家の先輩にやりたいことを聞かれたことがある。

かっこいい車が欲しい。
大きな家を建てたい。
世界を旅行したい。

こんなことを答えたのを覚えている。
でも、そのやりたい事のために、左腕を落とせるか?と聞かれた。
僕の答えはNOだった。

なんでだろう。やりたい事のはずなのに。

書いていて気づいたことがある。

やはり、僕がやりたいこと、欲しいことは、お金では手に入れられない何かだったのかもしれない。

絶大な信頼を寄せる友人がお金で買えるのか。
どれだけお金があっても、どれだけ本気で探しても見つからないかもしれない。
だからこそ、ありがたみを感じる。
出会いに感謝している自分がいる。

絶大な信頼を寄せる恋人がお金で買えるのか。
これも、どれだけ頑張っても、どれだけお金があっても手に入らないかもしれない。
自分だけではどうしようもないものだから。
だから、大切だし価値があるのだと思う。

お金では手に入らないものへの魅力を感じることが自然と多くなっていたのだろう。

これは僕の本心かもしれない。

また新たな気づきだ。

手に入れることが難しいものほど、手に入れた時の喜びは大きい。

運と時間と努力が相まったものは、きっとあなたの宝物になっているに違いない。

僕は大切な友達のためだったら、腕を落とせるのかもしれない。
そいつがいなければ生きているのが楽しくなくなってしまうから。

僕は大切な人のためだったら、腕を落とせるかもしれない。
そいつがいなければ、自分の身体と心の半分を失うようなものだから。

また夢リストを書いてきてね。と言われたら、僕はなんて書くだろうな。

幸せが欲しいって書いてしまうかも。

幸せって何かと言われたら分からない。
でも、自分が生きていることに納得できているのなら、それだけでも幸せだろう。

ここ数ヶ月の様々な経験は確実に僕を変えている。

今まで当たり前だと思っていたことも、感謝すべき、とてつもなく幸せなことなんだと。
感謝すべきことなんだと。

そう気づかせてくれた。

いろいろなものを失って、いろいろなものをもらって、

失うという過程があったからこそだ。

失うということは文字通り辛いこと。
味わいたくないこと。

でも味わわないと成長はない。感謝できなくなってしまう。

失うことを味わって、また1歩前に進めればいい。

お金では手に入れられないものの大きさに再び気付かされた、今日この頃。

#幸せ



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