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伝説の泡沫候補:山下万葉に少年時代ニアミスしていた話

2000年以降クローズアップされた「泡沫候補」たち

インターネットの普及とともにメディアではクローズアップされにくい面白物件が注目されるようになった。

オタクカルチャーなどその典型で、CDランキングの上位にまで顔を出すようになりミュージックステーションのランキングにおいてアニメソングに触れる触れないで炎上していたのはふた昔前くらいのことだと記憶している。

さて、選挙前ということもありこのジャンルで思い出深いのは「泡沫候補」のことだ。

それ以前はまだドクター中松が話題になる程度だったが、ネット上では「泡沫候補」を探してきて主張や政見放送を面白おかしく楽しむという一つの動きがあった。

マック赤坂。

又吉イエス。

彼らは2005年前後で急速に知名度を高め、選挙のたびに話題になっていたように思う。「泡沫候補」では当選を目指す候補者に失礼なので「インディーズ候補」と呼ぼうと大川興業の大川総裁が主張していたが、言い換えたところで結局ニュアンスは変わらないしむしろ言い換えると本来のニュアンスが隠される分だけ失礼のグレードが上がるようにも個人的には思う。

話は逸れたが当然ながらその知名度が投票行動に結びつくことはなく「泡沫候補」から議員になったという話を私は知らない。

今日は私の中で非常に思い出深い「泡沫候補」の話をしたいと思う。

そう。

山下万葉のことである。

泡沫候補:山下万葉の目を惹くビジュアル

山下万葉とは2005年から数度に亘って選挙に立候補した政治活動家で、知っている限りでは二度の選挙に参戦している。

第44回衆議院議員選挙 (2005年) 得票数: 2,483 票
新宿区長選挙 (2010年): 953 票

敗れ方は正に「泡沫候補」なのだが、彼の場合得票数が低いことは取り立てて問題ではない。選挙の候補者にとって得票数が少ないことが大して特徴でもないと断言されるのはそれはそれでどうかと思うが、要は論点がそこではないということだ。

まず目を引くのはこのビジュアルである。

見てほしい。

まずはこのインパクトに圧倒される。

25歳時代のポスターについてはそれほど狙っている様子もないのに何かが出ている。選挙のポスターなんて大抵の場合は気にも留めないのだが、顔のパーツをじっと見ると取り立てて特徴があるわけでもない筈なのにトータルで見ると何かがおかしい。

どこでどう発注したら2005年当時このヘアスタイルになるのか?というのはかなり気になるところだが、全体的に漂う覇気のなさとそれを強化する白地のポスターというのも独特の雰囲気を強化しているように思う。

30歳当時の方は・・・もういいや。話は変わるが「シベリア超特急」も1作目の完成度に比べれば2作目以降は蛇足なのである。

「ディズニーランドの乙女たちを親善大使に!」

ビジュアルもかなりのインパクトだが、それに比肩する、いや、それ以上なのが彼の主張である。

2005年のポスターにはこのようなことが書かれている。

・ディズニーランドの乙女たちを親善大使に!
・より良き人間関係を創る友達バンクを!
・性風俗問題を啓発する法律の制定とグループホームを!
・アニメ・声優界を変える!人材バンクの設立を!
・巫女さんの将来に希望のもてるサポート体制を!
・ストップ・ザ・矢野!狛江市長の偏狭なナショナリズムを許さない!

2005年総選挙山下万葉ポスターより

選挙の争点が郵政民営化をどうするかだった2005年当時に世の関心をガン無視してこの主張を押していく。

アニメイトに貼られていれば身内の悪ふざけで済まされるが、国政選挙でもひるまずこの主張で行くところに単なる「泡沫候補」からは一線を画していることが分かると思う。

個人的に気になるのは狛江市長に対する不満を訴えているが、彼が立候補しているのは国政選挙だということである。山下万葉は仮に当選したとしたら国会議員の立場で狛江市長に圧力を掛けるつもりだったのだろうか?それもまたすごい話だ。

突っ込み始めたらキリがないところで、むしろまともにこの主張に反論していては時間の無駄というか自分の品位が落ちるというか、横目に見ながら「すげえ候補が居る」という程度のレベル感で見るが正常だとは思う。

探偵ファイルの山下万葉取材記事も存在する

この主張にこのビジュアルなので、当時からかなり注目を集めた山下万葉だったのだが、その知名度を高めたのは以下の記事だ。

山下万葉を取り上げたのが当時ネット界で地位を築き上げていた「探偵ファイル」というのも時代を感じる。笑いを取りたい箇所を引っ張ってフォントをデカくしているのも当時の記事の特徴だ。

全3回にわたる力作である。探偵ファイルがいかに彼を面白がっていたかがよくわかる。

異色候補山下万葉(ばんば)とは?

山下万葉集 ~衝撃の出馬理由~

山下万葉集最終章 ~万葉吼える!~

この取材では立候補理由に母の失踪を挙げているが、そこはポスターには明記しないのはなかなか面白い。巫女のことは書けるのに母のことは書けないというのは彼なりの意地なのだろうか。

西尾は「ヤマシタバンバ」とニアミスしていた

さてこの山下万葉だが、実は私も接点がある。

というより、ニアミスしていると言った方が正しいだろう。

話は小学校5~6年生の頃に遡る。

当時はバブル末期ということもあり、登戸の小学校では中学受験を志す生徒が続出していた。その数はクラスの三分の一にも上り、学校の授業向けではなく「つるかめ算」のような中学受験でしか聞かないような授業を行う学習塾に多くの生徒が足を運んでいた。

かく言う私も小学生の頃からこの手の塾に入れられた訳だが、理由は「私を先に塾に入れておけばあまり勉強しない兄が拒否できないから」というもので、中学受験もしないのに大して役に立たない勉強をさせられる羽目になった。いい迷惑だ。

ということで通う塾によって仲の良いグループが出来ていたのは必然だったと言えるわけだが、私が通っている塾と異なるところに通っている者たちがしきりに話題に出していたのが「ヤマシタバンバ」という単語だったのである。

ことある度に狛江から通っているという彼の名が登場し、しかもそのロジックが「かなり変わった人が今日も変わったことをしている」ということだった。

相当前のことなのでどのようなエピソードがあったかまでは覚えていない。ただ、登戸の日能研に通う中学受験生たちの間でヤマシタバンバという人はかなりの有名人だったということだけは明確に記憶している。

他のありふれた名前であれば同姓同名の別人であることも可能性として考えるが、山下はともかく万葉と書いて「バンバ」と読ませる上に狛江出身で私と同世代(偶然にも生年月日が同じである)とあってはその可能性は限りなくゼロに近い。

小学校の頃に「かなり変わった人が今日も変わったことをしている」としきりに聞いていた人物と同姓同名の人が巫女をサポートする体制を国政選挙で訴えているとしたら、さすがに「ヤマシタバンバ」と「山下万葉」を同一人物と断定せざるを得ないところだろう。

そんなわけで2005年に「ヤマシタバンバ」と「山下万葉」が繋がってしまったときに私はただただ驚いた。生き方一つで世の中が一人の人物を知ることになるとは。それを知るきっかけが「ディズニーランドの乙女たちを親善大使に!」という主張だとは。

山下万葉は今何をしているのだろうか

山下万葉が最後に選挙に落選したのは2010年のことだ。

もうあれから12年が経過している。

最初の選挙の時は25歳だった。同世代の人間が妙なことを主張しているという評価ではあったが、彼も私も41歳だ。Google検索してもその後の山下万葉については何も情報が出てこない。

山下万葉は何をしているのだろうか。

ディズニーの乙女を親善大使にすることを夢見ているのだろうか。

そして、母親は戻ってきたのだろうか。

そこまで気にはならないが、選挙が来ると山下万葉の名前と彼のぶっ飛んだ主張は思い出すことにはなるだろう。このような人物とニアミスしてしまったのだから。

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