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伏線がどうのっていう人が苦手だけど、私もその視点から始まっているから言えない

最近ね。

一億総評論家時代とか、一億総ツッコミ時代なんて言われて久しいですけど、凄く気になることがありまして。

映画でもドラマでも、伏線がどうのって言いたがる人がものすごく多いんですよ。

ちょっとね、うんざりしているんです。

みんなね、「自分が一番分かっている」ってスタンスで観ていたいんですよ。なんだろう。私達ってただの視聴者じゃないですか。

なんでそんなに自分が一番になりたがるんだろう。
わかっている自分で居たいんだろう。

それを象徴するのが、伏線回収とか言いたがる人たちだと思うんですよね。

作り手の視点になって、冷めたところから観るの好きですよね。この手の方達。

こういう方に限ってテレビは観ないとか、まぁそれは最近ではメジャーだから自己主張でも何でもないんですけど、妙に世間の風潮みたいなものに対して斜に構えて。

その癖にアニメとかアイドルとか見てすぐ「神回」とか言いたがる。

自分のホームに対しては甘々になりがちで。
なんなんすかね。
神なんてそうそう降臨しないですよ。

ある意味で同じ流行を追っていたり、いわゆる「普通」なんていう言葉が存在していた頃の方が正常に見えてくるんですよね。

俺分かっているスタンスを取る一方で、真逆のことをやったり。身内に甘くなるっていうのは本当になんなんだろう。

多分ね。

ケチをつける楽しさがある。一方でケチって付け始めると際限なくてそんなに楽しめないのも分かっている。だから好きなものにはそれをしない。こんなところじゃないかな。

もっとシンプルでいいのにって思うんですけど、妙に考察したがったり作り手の視点に立ちたがったり。全然作り手側になれていないからこそ、作り手やプレイヤー側としては苦言を呈したくなるんじゃないかと思うんです。

ただ。
ふと考えたんです。

作り手やプレイヤー目線で語る素人の代表例って、他ならぬ私なんですよ。

だから色々と分かる部分もあるし、それはマズいと思う部分もあるんじゃないかと気づきました。

元々が俺分かっている目線からスタートして、案外それが支持されて、言いたい放題やっていたけど、その限界というか、変化が出てきて。

気づいたら書き手の側に回っていた。
故にこれって、私が通ってきた道なんですよね。

過去の自分を否定することでもあるし、ある意味これは今の自分に対する戒めのような話でもある。

人に見られているということを常に考えなければならない分だけ、俺分かっているではもうやっていけないっていうのはあるんです。

恐らくね、他の皆さんはそんなことは意識しなくても良くて、変化しなくても良くて、SNSでそれをやっても全然問題ない。私はそこに気づいたというか、自覚しなければならない状況になった。その違いでしかない。

ちょっと待てと言いたい想いはあるけど、それを全力でやってしまうのは立場上いいのか?っていう葛藤もある。

とはいえ。

やっぱりね、作り手やプレイヤーに対するリスペクトっていうのは持ち合わせていたいし、この経緯をたどってきた私だからこそ評論家し過ぎるのってそれほど楽しい見方じゃないっていうのはまとめとして伝えたいと思うんです。

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