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ウズベキスタンと資本主義③~加速する経済活動~

アッサロームアライクム。こんにちは、オカです。

本当なら今年は10月30日~11月13日までウズベキスタンで過ごすつもりだったので、、本当なら今頃帰ってきて、ウズロスになってる予定だったのに。。

2010年から2年間、青年海外協力隊としてウズベキスタンで活動し、その後も毎年ウズベキスタンを見てきたオカが、この国の移り変わり、加速し始めた資本主義のお話をと。

1,増え始めた「広告」

これは、特に首都タシケントの地下鉄のことですが、2010年当時、地下鉄のホーム、車内、広告は皆無でした。当時は、地下鉄での写真撮影が禁止だったので写真がないのですが(2018年撮影解禁)それがここ数年の間に広告が登場し、一気に増えだしました。

こんな広告、前はまったくなかった。

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液晶パネルまで。

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車内にも広告増えてます。以前は路線図くらいしかなかったんですけどね。

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英会話レッスンの広告がズラリ。

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これは、個人的な感覚かもしれないけど、旧ソ連という歴史的背景からか、アメリカ嫌い、英語嫌い的なところがウズベキスタンにもあり(あった?)。どちらかというと「ロシア語さえ出来れば、問題ないさ(仕事も見つかる)」的な感じが。

そういうイメージがあったので、地下鉄内でこの英会話の広告を見つけた時には結構、衝撃があった。SNSなんかも広がりつつあり(数年前からインスタが広まり、今はFacebookも少しずつ)、大学など学ぶ場としての選択、働く場としての選択が、英語圏にも広がってきているのかな。

2,チェーン店の登場

タシケントに複数の店舗を構える「Rayhon(ライホン)」。一通りのウズベク料理が食べられます。

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正直、「効率化」「合理化」といった言葉から、程遠いウズベキスタン。

メーターがなく毎回交渉しないといけないタクシー(この辺も配車アプリが出てきていたりする)。上に挙げた地下鉄に時刻表はなく大体8~10分置きに電車がくる。そもそも「時間」に疎いというか関心がないというか。レストランもメニューに書いてある料理があったりなかったり。

そんな国にチェーン店が出来るとは思ってもいなかった。サービスって、求める人がいるから出来るというより、より良いサービスが出来て、人が利用するようになるのかな。需要より供給が先というか。

このRayhonの系列店、いくつか行ったことあるけど、どこも人気。学生が多いけど、社会人、家族客も。リーズナブルだし、美味しいし、それなりに早く出てくる。なんならスタッフの配置も充実してる。タシケントの中で客数としてそれなりに規模も大きい。

3,外資の参入

2016年に大統領が変わって以降、それまでと一変して、経済自由化を進め、開かれた国になりつつある。それ以前は、外資が入ってきても数年で追い出されるなんて事も言われたんです。なので、2012年にこんな看板が登場しても誰も信じていませんでした。

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それが、数年の時を経て本当に参入したと聞き、ウズベクの元隊員たちは驚愕したのでした(この場所では結局オープンしてないけどね)。ウズベク人にとってもビッグニュースだったのでは。(何年オープンだっけな。数年前です。)

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(教え子たちと)

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普通に美味しかったです。元々、お肉料理が美味しい国だし。値段は、大衆食堂より少し高めなのかな。最近、スムのゼロの数が増えすぎてよく分からない。ただ、見ての通り、あまり流行ってはいなかったな。食文化として、受け入れられるのに時間がかかるのかな。

外資という点では、日本も既に参入しています。

H.I.S.ホテルホールディングス、タシケントにホテル建設へ

ちなみにの余談ですが、、

2012年に地方都市ウルゲンチのバザールに突如として現れたこのロゴには違う衝撃を受けたのを今でもよく覚えている笑 この伸びきった「M」よ笑

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これは、調査せねばと同期隊員たちで来店。

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メニュー。

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そしてこう。

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ダブルバーガー的な。確か。

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バンズというものがね。ないのよね。だからといってこの有様よ。上記した様に、お肉は美味しいので、もはやバーガーにしない方が良いレベル。

店長と話すと、以前にイギリスに留学していた時にマクドナルドでバイトしていたから自分はマクドナルドのメニューを再現できる、ということでオープンしたらしい。そう。ここはこんな国。そんな国に本物が入ってくる日が来るなんて。

何故かショーケースには食材。

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余談でした。

4,みんな憧れ「TASHKENT City」

KFCに一緒にいった教え子たちから「マサキ、『TASHKENT City』行った?」と言われ、何のことか分からず。ここがタシケントな訳で「TASHKENT City」と言われても訳が分からず。「めっちゃキレイやし、行こう!」と言われ、どうやら夜がライトアップされてて?キレイみたいなので、一度分かれて、夜に合流。案内されたのがこちら。

確かに「TASHKENT City」と書いてある。

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どうやら建築中のマンションがあって、マンションギャラリーが併設されている。けど、ここがゴールではないらしい。

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もう少し歩くと、さらに建築中のマンションがズラリ。なぜか歩行者天国。

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さらに歩くと、大きな公園とそこに集まる人だかり。

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聞くと、この1年くらいかけて開発が進んでいる高級マンション街。相当家賃高いらしい。その中央にこの公園があり、遊具もあり、レストランもあり、お洒落カフェもあり。

そしてさらに中央には、ヒルトンホテル。正直、ライトアップはない方が良いが。ウズベク人好みの装飾ですね。

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その横には国際会議場的な。

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これが「TASHKENT City」。こんな場所、他にないので、話題となり観光地と化しているのでしょうね。要するに、富の象徴ですよね。憧れの街というか。お金を稼いで、いつかアナタもTASHKENT Cityに住もう!的な。

なるほどなと思いました。国民に自国に目を向けさせる施策の一つなのかなと。ウズベキスタンは、国内に仕事が十分にないため、海外に出稼ぎに出る国民が多いのが実情。自分が活動していた村でも、学校の子どもに聞くと、7~8割の家庭が海外に出稼ぎをしていました。

また、これまで国として海外に対して閉鎖的であっただけでなく、首都タシケントが地方に対して閉鎖的な側面もありました。

国内の産業を国家が牛耳り、国外の企業の参入を拒んできた政策を一変し、国民に、海外に経済活動を開けることで、自国の発展を進めようとしている。TASHKENT Cityをタシケントドリーム的に、アナタもタシケントで夢を掴もう!的な。

そして、そんな狙いは早くもまちの中で形となって現れてきている。

「Shovot.uz」

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Shovot(シャワット)とは、オカが活動していた村の名前。その店の看板メニューがこちら。魚のから揚げ。

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日本人からすると何でもないメニューですが、ウズベキスタンでは、シャワットがあるホレズム州のご当地料理なんです。

つまり、この店は地方のシャワットの田舎村から、ご当地料理を引っ提げて、首都タシケントに勝負をかけて乗り込んできた店なのです。お店はお陰様で繁盛してました。

何と店には、また別の教え子が働いてました。衝撃。

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東京と同じく、タシケントは地方より沢山稼げますし、便利ですし、エンタメも豊富ですし、生活費が高くても、タシケントで働きたい(住みたい)という需要は多いです。

恐らくですが、開業に関する規制や、首都で住む働くことに関する規制も緩和されてきているのかもしれないですね。

このように、この4~5年で国はその方向性を大きく変え、街の姿も刻一刻と変わっています。この先の5年10年で首都も地方も、またさらに変わっていくだろうと思います。

この先しばらくは人も企業もタシケントに集まり続けて、タシケント一極集中がさらに強まっていくでしょう。ただ、人口自体はまだまだ増え続けると思うので(今も結婚適齢期?になるとお見合い結婚が多い)、すぐに地方は衰退、ともならないのかな。

ウズベキスタンの街中で見え始めた「資本主義」は、きっと想像以上のスピードで展開していくと思う。この情報化社会、シャワットではスタジオを借りて真剣にYouTuberを目指す教え子たちもいたりする。

ただ、単純に日本と同じ様に、経済が盛り上がり、便利が行き渡り、人と人の関わりが減り、コミュニケーションが薄くなっていく、とも思えない。きっとウズベク人はウズベク人であって。

2010年にウズベキスタンの地に降り立ち、この10年間、この国を肌で感じてきた。また10年経った時、タシケントで、ウルゲンチで、ヒヴァで、シャワットで、、地下鉄で、レストランで、学校で、バザールで、自分が何を感じるか。

街の変化に、驚くこと、寂しく思うこと、嬉しく思うこと、色々あれど、毎年、会いたいウズベク人に会って、食べたいウズベク料理を食べて、ウォッカ飲んで酔っ払って、それは変わらない訳で。

話がまとまらなくなってきた。ウズベキスタンの変わる"モノ"、変わらない"モノ"、そんな所にも注目して、これからもウズベキスタンを楽しんでいきたい。

ボラディ。ヤフシ。ホシュ。

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