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未知じゃないと思っていた名誉男性との遭遇

先日、100億年ぶりにずっと我慢していた焼き鳥を食べに行った。その店はひとりでくる常連客が多い。たまたま横に座ったおじさんも常連客のひとりだったが、信じられないくらい露骨に私の方をジッと見てくる。これはそのうち絡まれるな、と身構えていたら(私はカウンターに座ると、誰かと一緒にいるにもかかわらず必ずと言っていいほどおじさんに絡まれる)私のお皿にある食べかけのつくねを指さして「あのネタは熱くても一口で食べなきゃ。ほら、女の人が口を使う時と同じだよ。」と下卑た笑いを浮かべ、なんと口淫を示唆してきたのだ。私はおじさんを真顔で直視し「キッモ…」とはっきり相手に聞こえるように口に出したのだが、おじさんの向こう側にいた50代位の女性ふたり組は、嬉しそうにケタケタ笑っていた。まるで「私たちナンパされて嬉しい」とでも言わんばかりに。


はじめて遭遇したリアル名誉男性

セクハラGGIが帰った後、なんとその女性ふたりにナンパされて一緒に2軒目に移動したのだが「あんなの(さっきのセクハラ発言)笑ってスルーしなきゃだめよ〜」と、教科書レベルの名誉男性みたいなことを言ってきてかなりゲンナリした。(「名誉男性」については、こちらの記事で少し触れています:LGBTQ当事者同士のすれ違い、など )ふたりとも以前の結婚でだいぶ苦労されたようで、言葉の節々に男性に対する恨み辛みが見え隠れする。そんなに男性を憎んでいるなら、さっきのセクハラ発言なんて絶対にスルーしたらダメでしょ、と思い一生懸命説明するも虚しく、信じられないほど話が通じない。まるで異次元の生物みたいだった。

私は真顔で言い返せるしこのお姉様方二人は笑って流せるかもしれないが、あんなことを言われて自尊心を傷つけられて固まってしまう女性だってたくさんいる。自分を守るためももちろんだが、私はそういう傷ついてしまうかもしれない人たちのために発言しているのだが、なぜかそれが伝わらない。あのようなおじさんのせいでセクハラとは無縁なおじさんたちだって同じ括りにされて迷惑しているかもしれないのに、誰もそれを止めようとしないどころか、接待してしまっている。他の人が迷惑を被る可能性を自分で潰せるなら、そこで潰しておきたいとは思わないのだろうか。


実際に遭遇してみないとわからない

セクハラGGIや唐突暴言GGI、ぶつかりおじさんや買春GGIや痴漢などなど散々クソGGIどもに遭遇してきた私ですら名誉男性に遭遇するのははじめてで、酔いも手伝ってなのか途中から何も言えなくなってしまった。おっさんに対応する術は今までいくらでも練習してきたが、名誉男性である女性の対応をしたことがないからびっくりして固まってしまった。しかも初対面の人にいきなり失礼なことも言いたくない。なぜおっさんなら平気で言い返せるかと言えば、あからさまにあちらが失礼だからはっきり指摘ができる、という部分もあるが…

しかし、上記のセクハラGGIたちと同じくらい名誉男性はタチが悪い。自分よりも下の立場の女性たちに「私たちはこうやって上手くやってきたんだから、あなたたちも同じようにしなさい」という呪詛を撒き散らしてくる。こちらにとっては「あなた方が我慢せざるを得なかったのには同情しますが、なにもそれを私に強要する必要ないだろ」である。自分が辛い思いをしたんだから、下の世代のあんたたちも同じように苦労しなさいよとでも言わんばかりだ。自分が理不尽の被害者であることを認めるのは苦しいプロセスだが、それとは別に私は真っ向から理不尽に物申すし戦う。おいしい食事をしている最中にいきなり知らんGGIにフェラの話なんぞを振られて、笑って流してなるものか。

脊椎反射的に、怒るべき時に怒ったり強い語気で言い返すのは、思っている以上に場数を踏んでいないとなかなか実行するのが難しいと思う。男性に対しては初対面でも散々強く言い返してきた私ですら、年上の女性相手になったら突然口が動かなくなってしまった。新しい自分を発見した。ストレートの女性に突然ナンパされることも滅多にない経験だから今後の役に立つかはわからないが、自分が名誉男性に対してどのような反応をするかが判明したので良い経験になった。


最後に

私の中ではまだ、今回の出来事をどこに落とし込んでいいのかわからない。ただ、自分の中でどこか、名誉男性という存在は現実のものではなく、都市伝説のように感じていたのかもしれないと思った。どんな記事を読んでも自分で調べても、心のどこかではなぜか「またまた〜本当にそんな人いるの? 私出会ったことないですけど」と思っていたのかもしれない。恥ずかしい限りだ。

世の中の男性が、ぶつかりおじさんや痴漢の存在をやれ気のせいだの女のでっち上げた冤罪だのと言うのも、実際に目の前で遭遇したことがないからなのかもしれないな、とも思った。目の前に広がる世界が違うのだ。想像力がいくら豊かでも、この手のことは実際に目にしてみないと実感が湧かないものなのかもしれない。今後は私もそこに注意して、他者のいうことに注視していきたいと思う。

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