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秋が教えてくれること

11月にしては、まだ少し暖かい気温が続いている。

それでも、やっぱりこの季節が好きだなぁ。と日々思う。
冬の凛としたパキッとした空気もそれはそれで好きなのだけれど、
やっぱり秋の柔らかくも、澄んだこの空気がたまらなく愛おしい。

そう実感するたび、幸福感と「あぁ、また変われてるんだなぁ」という想いに満たされる。


少し前までは、好きな季節は冬だった。
あの冷たく凛とした、他を寄せ付けない孤高の感じに憧れていた。

そして、もっと前は、好きな季節すらなかった。

季節どころか自分の好きなものを聞かれるのが苦手で、
自己啓発書によくある「やってみたいことリスト」も全く書けない私がいた。

そして、そんな自分に心底絶望していた。


「変わりたい」そう強く願うほど、「変われない」という現実が目の前に突き付けられた。


好きな季節も、好きなものも、やってみたいことも、
上手く答えられなかったのは「わたしを認めてあげられなかった」から。

いま思えば、くだらなくて笑えてくるけれど
「秋が好きだなんて、私っぽくない」
「唐揚げが好きだなんて、笑われるよね」
「こんなこと、私にできるはずない」

そんなことを割と本気で思っていたからだと思う。

「冬のほうが似合ってるよ」
「好きなものなんてないですって感じじゃん」
「え、あなた現実主義者でしょ?」


どこからか聞こえてくると思っていたその声は、全部私自身の声だったんだね。

けど、あの頃の私はそれに気付けなかったし、
仮に気付けたとしても何もできなかったと思う。

そういう時期だったから。

変わりたいと願って、変われないと知って、
そんな自分に絶望しながらも、もがき続ける。

そんな時期だった。それが必要だったんだ。


好きなものも、叶えたい未来も、
日々たくさん増えていく今だからこそそう思う。

きっとあの頃の私なら
「叶えたいのに、叶えられないことがたくさんある」って
きっとまた自分に、現状に、絶望してたんだろうね。

今でも一瞬そんな想いが頭をよぎるけれど、
今はね、こう思うんだ。


「これから叶えていけることが、こんなにもあるんだ」って。


あの頃と同じで、いまだに10年後の自分とか
期限を決めて、それを叶えるために今やるべきこととか
そういうきちんとした未来を考えるのはやっぱり苦手。

そこは変わってないから、わたしの本質なんだと思う。

けどね、あの頃に願った未来は意外と手に入れられているし、
きっとこれからもそうなんだと、割と自然に思えてる。


「言葉を仕事にする」



そんな未来も、きっと。
いつ、どんな形で叶うかはわからないけれど
きっとそれくらいがわたしにはちょうどいい。

「大丈夫。なんか気が付いたら叶ってるし、変われてるから」

わたしには、それくらいがちょうどいいのよ。

きっと、わたしが秋が好きなのは、
なんだかそんな風に思わせてくれるから。



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