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大殺界中と知っていたら、、、の話(後編)

(約2,900文字です)


私は、気がつけば2月の赤城大沼、「ブリザード」の真っ只中にいた。

ほぼ普段着で、、、。

イメージ:セーター、レインコート、ゴム底レインブーツ

車の中でマイナス4度ということは、吹きすさぶブリザードの中、体感気温はマイナス10度ほどだったと思われる。

これくらい着ないとダメな世界


氷上では、ワカサギ釣りのテントがあちこちに張られていた。

だが、そんな風物詩を愛でる余裕などまったくなかった。

赤城ブリザード
氷上を粉雪が流れる、吹雪です

凶暴な風で顔が痛い!

雪もあるにはあるのだが、雪遊びなんて甘っちょろいことは、1ミリも許されるような状況ではない。

なんせ、ツルツルの氷の上にゴム底で立っているのだ。

風で押されて、自分の体が持って行かれそうだった。

子供は大喜びだったが、、、。

グリップの効く靴を履いた夫が、がっちり手を掴んであげていた。

おかげで子供はスケートよろしく滑ってはキャッキャッと騒いでいる。

TPOの大切さを痛感!

私は、そんな様子を撮りながらも、強風に体勢を崩される恐怖を感じていた。

あまりの寒さで身体は硬直し、踏ん張りたくても、ゴム底では滑って安定しない。

なんか、氷の上をズズズっと動かされている?
そんな感覚があった。

そして、ついに、、、

ガツッ!!!!!

いきなり視界が変わった、と同時にと大きな衝撃が私の脳天を貫いた!

あ、死んだ、と思った。

、、、雲間からのぞく真っ青な空が見えた。

私は、つるっと滑ってひっくり返り、文字通り大の字になっていた。

ついでに全体重をかけ、後頭部を思いっきり氷に強打していた。

生れてこの方、こんなにガツンとした衝撃を受けたことはなかった。

ちょっと離れたところにいた夫と子供が、慌ててそばに来てくれた。

私は、痛みを感じる以前に盛大にすっころんだ恥ずかしさから、よろよろと起き上がろうとした。

が、つるっつるの氷は、もっと遊ぼうよ~と私を死のダンスへと誘う。

死の恐怖が、、、

この時ようやく、ここにいてはキケンなんだ!と理解した。

さっきから、子供もスケートのように小さく滑っているが、私のように転べば固い氷で頭を強打してしまう!

とにかく車へ戻ろうということになった。

そろりそろりと、本当だったら四つん這いで行きたいくらいだったが、夫にしがみつき慎重に歩を進め、ようやく氷上から脱出できた。

車に乗りこむと、一刻も早く下山したかった。

が、夫は、降りる途中にあるスキー場で子供を遊ばせてあげよう、と提案してきた。

確かに子供にとって、まだ十分雪遊びをした、という感じではない。

スキー場につくと、氷ではなく一面真っ白い雪が広がり、風も吹いていなかった。そして、遊べるような場所も十分にあった。

皆、スキーウエアを着て遊んでいる中、フリースにタイトなコーデュロイパンツで遊んでいるのはうちの子位だったが、雪だるま、かまくらもどきを作っては楽しそうだった。

寒々しい、、、

15分ほど遊んでいると、子供が震えながら寒いと言い出した。
実は、この時には私の後頭部も、ズキズキと尋常でない痛みを発していた。

そっと頭の後ろを触ってみると、あきらかにたんこぶが出来あがっている。

その瞬間、「ときめきトゥナイト」の真壁俊を思い出した。たしか、ドラム缶で頭を殴られ、ちょっと経ってから脳内出血で死亡。
(少女漫画のキャラクターです、、、)

のちに、魔王の子である彼は復活しているが、私の場合はどうだろう、、、

とにかく、とんでもなくヤバイ事態である。

パニックになった私は、鬼の形相で救急病院へ連れて行くよう、夫に迫った。

とにかく、連れてけ!

ことによれば緊急手術になるかもしれない。

死をも含め、諸々覚悟しつつ、私はあることに気が付いた。

、、、そもそも、最初からスキー場での雪遊びで良かったんじゃね?

なんでわざわざ頂上のと化した大沼で赤城ブリザードに凸せなあかんのや?
(関東の人間です)

あ、ワカサギ釣り!?

テントの中は、暖かい、、、

釣り好きの夫は、ワカサギ釣りのメッカを訪れてみたかったのだ!

こうなると、怒り倍増な訳で、、、。

車中、園児にさせる雪遊びが、なんでこんなガチでハードモードな必要があるんだーと怒りまくりながら、次の瞬間には「ごめんね。ママ、死ぬ」と涙ぐんだりを繰り返した。

(幸い、子供は疲れ果て寝ていたため、母の寸劇を見ることはなかったです)

いつ意識を失うか分からない。

こうして、怒りと哀しみが交互に襲い混乱するなか、ただただ子供のことが心配だった。

しかし、転んだのが子供でなくて良かったー、とそこだけは強く赤城大沼の神に感謝した。

自分が身代わりであったならばと思うと、尋常でない痛みにも多少、耐えられたのだ。

死を覚悟した妻の強烈な圧を背中に受け続け、夫は真っ青になって運転に集中した。

こうして、脳外科のある救急病院まで、すっ飛んで帰ってきたのだった。

お世話になりました(~_~;)

幸い、救急の待合室はそれほど混雑はしていなかったが、先に何組かが診察を待っていた。

受付で頭を強打した旨を伝え、必要事項を記入するとすぐ、名前を呼ばれた。男性のスタッフに再度、頭を強打したことを伝えると、廊下の奥にある部屋へ移動するように言われた。

そこは、レントゲン室だった。

部屋へ入る直前、子供はもうママと会えないと思ったのか、泣き叫んだ。

「すぐ戻る、すぐ戻るからね」

精一杯の笑顔を作ると、私は必死に涙をこらえた。

扉は閉じられ、私は台の上に仰臥した。

まだ、召されたくない、、、

気を使って下さるスタッフの方の親切が身に沁みた。

そして、様々なことが頭の中を逡巡していた。

入院になったら、幼稚園の送り迎えを夫ができるだろうか。
実家には、どこまで頼めるだろう。

気が付くと、廊下の長椅子に座り、夫と子供と結果を待っていた。ただただ、息の詰まるような暗澹たる思いだった。

本当だったら、私がいない間の家事育児のアレコレを引き継がなければならないのに、子供をひっしと抱っこし続けることしかできなかった。

不安しかない、、、

やがて、診察室に入るよう名前が呼ばれた。

若く聡明な感じの女医だった。

不安におびえる私に先生は、異常は見られないと告げた。

イジョウナシ?
この尋常でない痛みでも?

信じられない心持ちで、自分のドアップスカルと対面しながら、先生の諭すような丁寧な説明を聞いていた。

無傷とのことでした、、、

とにかく、骨にはひびすら入っておらず、出血しているわけでもなかった。

お風呂に入っても大丈夫、と言われた。

ホッとしたのだが、同時に
なんとなく、夫の顔が見づらくなった。

とにかく主にレントゲン代、8,660円(トリアージ300円含む)を受付で支払うと、そのまま帰途についた。

帰りの車中は、何でもなくて良かった〜と喜びに満ち溢れ、、、って感じでもなく、みなグッタリとして、かなりビミョーな空気となった。
(騒ぎ過ぎたのでしょうか、、、)

こうして、週末のビッグイベントは、無事終了した。

この時期は私にとってちょうど大殺界が始まった頃である。

あんまり信じる方ではなく、抜けてから気づいたのであるが、もし、知っていたら、、、
ゼェーッタイ、2月の赤城大沼に軽装備で行かなかった‼️

もちろん、目的地をよく確認しないで、人任せにした自分が一番悪いのだが、、、

それにしても、装備を甘く見て痛い目に合うというパターンは、後年、キャンプに行くようになってからも懲りずに繰り返されるのであった。

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