見出し画像

【シリーズ連載・Guilty】先輩、私がなんとかします! #3

~春、こちらは純代の話


入社3年目の春、私は法人営業部から広報部へと異動した。環境が変わって仕事内容もガラリと代わり、情緒もやや乱れ気味。

片や同期の野島くんは順調に…その実、周囲は波乱だらけだとは思うけれど、それでも彼としては順調に歩んでいた。2年目の後半から既にチームリーダーを任され、今年は数名入ってきた新入社員の面倒も見ながら大得意先の担当をあてがわれたと言い、部署が、会社がいかに彼に期待を掛けているかがわかる。

「ついに俺も社畜だな」

余裕の笑みを浮かべて何を言っているんだか、と鼻に皺を寄せる。


***


会社から2駅離れた所にある肉バル。
いつしかここは、私たちのお決まりの店となった。2駅離れると意外と盲点になり、会社の人に会うことはほとんどない。

私は野島くんと大体月に1~2度、こうして飲みに来ている。2年目に入る頃からだから、ちょうど1年が過ぎたくらいだ。私たちは同期として、仲間として、友人として、自分でも驚くほど良い関係になったと思う。

それは私が決めたこと。

完全に野島くんに対する感情を消し去れたかというと…その実、全くそうではない。
だから辛い時もある。
けれどこんな風に接している同期は、私の他にはいない。

だから、近くにいられる方を選んだ。

ただ時折、わからなくなることがある。

近くにいるのにどうしてこんなに苦しくなるのか。他の同期のように関わりを持たない苦しさと、どちらがマシなんだろうか、と。

肉バルで頼むものは大体いつも一緒。
シラーのワインボトル1本に生ハムプレート、野菜スティック、フライドポテト・トリュフ塩、ラムの餃子、そして牛の赤身ステーキだ。
入社した頃は赤ワインなんてほとんど飲めなかったけれど、すっかり彼に鍛えられた。正味2本のボトルワインをいつも空けるが、私はせいぜいボトルの半分で、残り1.5本は全て野島くんが消化する。

ボトルを取り上げようとした野島くんが「イテテ…」と右腕を押さえた。

「どうしたの?」
「筋肉痛だな」
「なんかしたの?」
「うん、4月から区のスポーツセンターの弓道教室に通い始めたんだ」
「へぇ…そういえば学生時代、弓道部だったって言ってたよね」
「そう。ちょっと久々に引いたらさ、このザマだよ」

そういって苦笑いした。それでも2人分のグラスにワインを注ぎ、乾杯した。

「野島くんの部に入った新人さん、どう? 外国人の子もいるよね。まんまるボブヘアの…」
「うん、韓国人の女の子。あと二課と三課に野郎が1人ずつな。彼女はすんごい真面目で、言動が面白い。韓国語教わったりしてるんだ」
「なに、気に入ってるの?」
「勘違いするなよ。もう社内には手を出さない」

それは間接的に、私も今後一切対象外、ということになる。それもわかっていること…だけど。

「にしても最近お前、やたらおかっぱになったな」
「おかっ…昭和の人?」
「じゃあ何て言うんだよ?」
「ボブヘアでしょ?」
「ボブ…おかっぱの方がしっくり来るな、お前の髪型の場合」

野島くん、髪の長い女性が苦手だって以前話していて、それで私も最近はどんどん短くなってついに肩につかないくらいのぱっつんボブにしているのだけれど、その韓国人の女の子はサラサラの黒髪がうまい具合にまとまっていて、見事まんまるなシルエットを作っている、理想的なボブヘアの子だった。
野島くんの好みの子なんじゃないかと、余計な妬きもちを妬いてしまう。

「…似合わない?」
「いやー、別に」
「似合うわけでもない?」
「だから、別にどっちでもないよ」

ぷっと唇を尖らせる。まぁ褒めてくれとも言えないけれど。…そもそも褒められるような容姿でもないし…。
まんまるくまとまる髪質の子が本当に羨ましい。

「広報部はもう慣れたか? フロアが変わっちゃったから様子がよくわからない」

容姿の話は気まずいと感じたのか、野島くんは急に話題を変えた。

「うーん、なんか仕事の進め方とか全然違うから戸惑ってばっかり。厳密な日本語の使い方って難しいね。発行物のチェックはかなり細かいし」
「ネイティブの言語が一番いい加減なもんだろ。それに法人営業部なんてマニュアルさえあればその通りでいい、頭使わない部署だったからな」
「言い過ぎだよ」
「人はどう? 嫌な奴とか、いない?」
「今のところ…大丈夫」

本当はその仕事の細かさゆえ、ちょっとしたことでも重箱の隅をつつくような、面倒な人が多い。致し方ないことだとわかっているけれど、ゆるくてのんびりしていて、野島くん曰く「給料泥棒」な人たちばかりだった法人営業部とは雲泥の差だから、ストレスは溜まりがちだった。

だから良いタイミングで野島くんに会うことが出来て、本当に良かった。
いや何というか、彼は絶妙なタイミングで手を差し伸べてくる気がする。

それに野島くんは、私が無理して言ったことを悟っている様子だ。私が嘘をつくのが下手なだけかもしれないけど。

「まいったな。野島くんに隠し事出来ない気分だよ。正直細かい人が多くて面倒くさいなって思っちゃう」
「だろうな。俺だったら絶対できない」
「野島くんは世界が180度回っても広報に行くことなんてないだろうから、大丈夫…。いや、もしかしたら会社の顔になるなんてことがあったら、駆り出されるかもね」
「そしたら辞めてやるよ」
「社長になるんじゃなかったの?」
「この会社の社長にこだわってるわけじゃない」
「だったらとっとと起業しちゃえばいいのに。即社長じゃん」
「そんなのつまらないだろ。のし上がるから楽しいし、達成感が得られる」
「じゃあ、逆にどうしてうちみたいな中途半端な会社に入ったの? K大首席卒でしょ? 超大手企業だって余裕で行けたはずでしょ?」
「それはそれで面白くないんだよ。俺が凡人になるだろ」
「変人でいたいわけ?」
「平たく言えば、そうだ」
「だったら十分、全うしてるね」
「だろ? だからこの規模の会社なんだ」

彼の持論はイマイチよくわからない。けれど、常に自信に満ち溢れていることは確かだ。

「超大手企業でも十分変人で通ったとも思うけど」
「そんなことはない。お勉強ばっかしてきて挫折を知らないような奴とかさ、あるいはどうしようもない異端児とか入って来るんだぜ。俺なんて埋もれちゃうよ」
「そういう人と戦ってほしかったな、野島くん」

彼はちょっと笑った。まんざらでもないんだろう。

「っていうか野島くんは、何か挫折したことあるの?」

そう訊くと急に笑顔が消えた。

「あ、マズイこと訊いた?」
「いや…まぁそりゃあるよ。大なり小なり。お前だってあるだろ」
「私はキングオブ凡人ですからね。むしろ挫折ばかり」

こんなスーパーサラリーマンみたいな野島くんの挫折…。いつか話した "好きな人を作れない" ことが関係しているのかな。
彼はまだその理由を話してくれたことはない。それどころか、過去の話は一切しない。Y県出身、K大首席卒、中学から弓道部、大学では専攻と関係ないドイツ語やドイツ文化に傾倒したこと…くらいしか、知らない。そう言えば家族構成ですら、聞いたことが無い。

「でももし野島くんが辞めたら、私も会社辞めよう」
「俺が辞めなかったらずっといるのかよ」
「うーん、それもわからないな」
「だろ。適当なこと言うな」

そう言って野島くんは笑ったけれど、実際本当に彼が辞めてしまったら、つまらなくなるな、と思った。

「まぁ、俺も野口には何でも話してるからさ、お前も気にしないで何でも言えよ。口にしたら楽になることっていっぱいあるぞ」

確かに、野島くんは私に何でもあけすけに話した。仕事のことも、女性関係のことも…。最近は一回り以上も歳上のお姉さんに遊んでもらっていると話していてビックリしたけれど、同期女子の間でも野島くんは歳上にモテそうだよねって皆言ってたな、と思い出す。

それはそれで野島くんは楽になっているのか。
嬉しさと、妬ましさがないまぜになる。

「そういえばお前さ、遊園地とか行く?」

突然、らしくもない質問が来て驚いた。

「いやぁ、あんまり行かないかな…」
「だよな、そうだろうと思った」
「どうして」
「あぁいうところ、好きじゃなさそう。お前変に醒めたところあるからさ」
「じゃあなんで訊くの」
「もし行ってたら、どんな感想持ってるんだろうなって思って」
「ふーん。野島くんは絶対行かなそう」
「正解。でも、今週末行くんだ」
「へぇ。デート?」
「まぁ、そんなとこ」
「…例の一回り上のお姉さんと?」
「違うよ」

もう、本当に。傷つく自分を認めざるを得ない。好きでもない遊園地に行ってしまうような相手、どんな人なんだろう…。

そこへ運ばれてきた赤身ステーキの切り身を、野島くんはすぐにパクリと一口頬張った。

「うまっ。お前も早く食え」
「ちょっと、前はちゃんと公平に分けてくれたのに、最近遠慮なさすぎだよ!」

そう言うと野島くんはいたずらっぽく笑い、私のお皿に自分のナイフとフォークで取ったお肉を置く。私の胸に湧いた妬きもちは渦を巻いて、迷子になる。

明らかに私たちの距離は縮まっているのに、決して触れられない透明な壁が立ちはだかっている。

胸が、苦しい。







#4へつづく


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?