【シリーズ連載・Guilty】Unbalance #11
~紗都香
派手な浮気をして、初めて夫の不気味な側面を見た。
海外を飛び回っていることやバツイチも含めて経験豊かな人だし、年齢的にも過度に感情的にならず、一緒にいたら楽だろうと思っていた。
一人でも良いと思っていた私を『それでも一度は家庭というものを持ってみた方がいい。君みたいな女性には僕がちょうどいいよ』と口説いた。『どうしても無理ならそれはその時。僕も一度経験した』と。
仕事柄夫は家にいない事も多いから、独身時代のように気ままで、ちょっと遊んでみても目を瞑ってくれる、器の大きな人だと。
けれど遼太郎くんに限って何故かお咎めが来た。直接彼にコンタクトを取って何かしらの…おそらく暴力も含めた圧力をかけた。夫は『知り合いが教えてくれた』と話していた。遼太郎くんのメモにも英語ではあったものの『壁に耳あり、障子に目あり』とあった。思いがけない誰かが私達の関係を夫に告げたと思われる。
一体誰が…。知らぬ間に常に監視されていたと思うと気分が悪い。遼太郎くんに会えず彼の近況もわからない今は、その人が誰なのか、に意識が向かっていた。
*
当たり前だが、他の遊び友達とも距離を置き、大人しく過ごす日々。
ただ毎週月曜にはひとりバーに通い、バーテンダーに遼太郎くんが訪れたか尋ねたが、いつも黙って首を横に振られた。月末の定例会で、遼太郎くんが挨拶に来ると言っている日まであと1週間。
私が紙ナプキンに書いたメモには『毎週月曜日にここに来ています』だった。そう書けば会えるかもしれない、と思ったからだ。しかしそれは叶わなかった。
夫は特段、いつもと変わらない。夏の旅行はカナダを提案された。ユーコン川のほとりでキャンプでもしようというのだ。正直行きたい気持ちは全く無かった。
「夏休みが過ぎたら、また出張だ。今度はジャカルタ。まだ暑いから嫌だなぁ」
のんびりと夫は言った。
「今更…どこへ行ったって暑いじゃない」
「まぁね」
「ねぇ…どうしても気になっていることがあるの」
「何のこと?」
「…誰が私と野島さんの事を、あなたに告げたの?」
あぁ、それ、まだ気にしてるの? と夫はにこやかに顎をさすった。
「誰なの? 気味が悪いわ」
「まぁ…確かにそれもそうだね」
夫は私の身近にいた "知り合い" の存在を明かした。
それは私の社内にいた。野島くんの会社との案件の、前任者。昨年まで担当者だった加藤という男だ。
彼は前職で夫と仕事で関わったことがあったという。私が結婚した当時はそれほど近い部署にいなかったこと、私が旧姓を使い続けたこともあって気が付かなかったという。
「ちょうどドバイ出張前に偶然会ってね、飲みに行ったんだよ。今何しているんだという話をしたら、君と同じ会社名を名乗るじゃないか。紗都香は後妻なのだと伝えると彼もたいそう驚いてね」
「どうして私には何も言わなかったの。彼も、あなたも」
「彼の方から "気を遣わせてもいけないから黙っておきましょう。仕事に影響が出るわけでもないし" と言ってきたんだよ」
何故、と私は眉をひそめた。
「それがこういう形で現れるとは、良かったのか悪かったのか」
思い出してみる。
加藤から担当を引き継ぎ、遼太郎くんと初めて顔を合わせた日…その後の飲み会にも彼はいたはずだ。
こっそり2人で2次会を逃れたと思っていたが、どこかで見られていたのだろうか。
「加藤さんは四六時中、私を監視していたの?」
恐怖、怒り、気恥ずかしさ…複数の感情がないまぜになって震えた。
「さぁ、探偵じゃあるまいし。そんなに暇でもないだろう、彼も家庭があるんだろうし」
「…」
「まぁでも…いい趣味とは言えないね。幸せな人生は送っていないんだろう。そういう所でわかるな」
*
翌日、職場で夫の元仕事仲間だったという同僚…加藤に声を掛けた。彼は気まずそうに首を竦め「お疲れ様」と言った。
「夫と知り合いだったんですってね」
「…」
ここではちょっと、というニュアンスで彼は席を立ち、私も後に続いた。
廊下に出ると急に表情を変え、夫と知り合いであったことを黙っていて申し訳なかった、と言った。
「ただ…九園さんもちょっと度が過ぎるところがあったでしょう。俺は昔世話になった恩もあったから、ご報告した方が良いかと思って」
やはり彼は、引き継ぎをしたあの日の夜、2次会に行かずに遼太郎くんの後を追いかけた私に気付いていた。用心深く同僚の輪を離れたつもりだったが、迂闊だった。
「その件は既に夫と話をしています。取引先の方との公私混同の行動には本当に申し訳なかったわ。当然ながらもう道外れた事はしないつもりです。だからその…」
探偵まがいの事はやめて欲しい、尾行などしないで欲しい、と伝えたかった。けれど角も立つし、それを逆手に嫌がらせされたら困ると思うと、どう告げようかと迷った。加藤の素性はあまり良く知らないし、出方がわからない。
「いや、俺は特に何も困ったりしてないから。お気になさらず」
「いえ、そうではなくて…」
察しないのか、と苛ついてくる。私はため息と共に「私のプライベートは、もう放っておいてください」と告げた。
「あぁ」
そのことか、という顔。本当に言われるまで思わなかったのか。全てが訝しい。
「たまたま目に入っただけだから。九園さんが普通にしていれば何も問題ないでしょう」
反論は出来ないが癪に障った。
「何もしません…。だから放っておいて」
「俺は別につきまとっているわけじゃないよ。誤解しないでくれよ」
加藤は両手を胸の前で振った。
「…ごめんなさい。変なこと言って」
「いやいや、まぁ…人間ハメを外すこともあるからさ。でも寛大な人で良かったじゃないか。俺もあの人には何度も助けられたから」
加藤はそう言って立ち去った。
釈然としない。まぁ確かに何もしなければ何も起こらない。当たり前のことなのだが、何もしてなくても余計なことをされるような気がしてしまう。
#12へつづく
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