文章の形について

「一行文庫」

先日、あるTwitterの投稿で「一行文庫」というサイトの存在を知った。

リーディング・トラッカーという読書補助具に着想を得て作成されたというこのサイトは、画面上に文章を一行だけ表示させることで「読んでいる箇所に集中できて非常に読みやすく、文章の内容がスッと入ってくる感じがする。」効果を発生させるらしい。

実際、この一行文庫の開発者の投稿のリプライ欄には、情報がスルスル入ってくるとか、テンポよく読めるとかのリプライが多く、期待通りの効果がちゃんと発揮されているらしい。

個人的にはこのサイトをみて感じたのは、一行文庫の魅力よりも、複数行で構成されるスタンダードな文章の魅力だ。

もちろん、文章を一行に構成することで読みやすくなれば、本を読む人が増加し、その魅力に触れる人が増えることは素晴らしいことだと思う。作家にとっても、まずは内容に触れてもらえることが第一だということも理解できる。そういう点で一行文庫の魅力も感じた。

その一方で、文章を一行にすることで、改行による緩急だとか、段落分けによる話のまとまりといったものが失われてしまっているように思えた。そもそも、一行文庫というアイデア自体が、文章が複数行になることにより生じる「長い文章の羅列」を無くすことを目的としていることから、しょうがないともいえるかもしれない。

ただ、改行や段落分けは単なる話のまとまりを作るためのもの以上の役割があり、それは例えば改行による文章のリズムづくりだとか、視認性の向上であり、また段落分けによる場面転換だとかである。そして、これらがあるからこそ、ただの文字の羅列に、人でいう心臓の鼓動が生まれ、頭や手足、内臓といった体組織が形成される。改行や段落分けがあるからこそ、文章が単なる文字の羅列から物語へ変わるといえる。

究極的には改行も段落分けも読者のためのものであり、これらがあるから逆に読みにくいと感じる人にとっては、一行文庫はまさに本の魅力を知るうえで最適なツールだと思う。しかし、このnoteを通じて文章を書く、物語をつくるようになってから、改行と段落分けによる文章の形に、ただ読みやすくする以上の複雑で重要な意味が含まれていると感じるようになった。

文章は読まれなくては価値がないと言う人もいるだろうが、私は読まれさえすればいいとは思えない。文章を書く、物語を生みだすということは、文字を羅列することなんかではなく、改行や段落、句読点の位置等、その形にまで拘ることが必要なのではないかと思う。そして文章の形にこそ、作者の個性が見えるのだと思う。

「一行文庫」はスマホの性質を利用した面白い発想で、今まで本を読めなかった人にも本を読む楽しさを与えてくれる点で素晴らしいものだと思う。しかし、たったの一行ではなく、何行にも渡る文章、改行や段落を駆使して命が吹き込まれたスタンダードな文章の魅力が一行文庫により淘汰され、忘れられないよう、できれば通常の文庫本を手に取ってくれる人が増えてくれると嬉しいと思う。

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