日々いろんな方と接する中で、気になる人がいたり、なんでそういう捉え方になるのかな〜?なんて考えてしまうわたし。

学生の時から倫理的なことを考えるのが好きだったなぁなんて、思い返す機会にもなります。


そんな中で、同じようなことやってるのに、やってる人が違うだけで「応援したい!関わりたい!」と思える人と「なんか変なことやってる?」と思われる人がいるな〜と感じます。

目指すものが同じだとしても、周りの人は実際にやってることを見ているし、『信用』という今までの蓄積でそうやって判断される場合もある。

子どももそうだけど、みんな「言っていること」ではなく、「やっていること(背中)」を見ているんですよね。

どんなに口でいいこと言っても、行動が伴っていなかったり、なんか言ってることと違くない?ってことがあると信頼できなくなるし

行動を変えないと現実は変わらないのに、机上の空論で学びばかりで行動できなくて、それでいて、できているつもりになっちゃったりしてる人も信頼できないかも。


道具は同じなのに、人でその道具の見られ方(イメージ)が大きく変わることもある。

包丁(道具)は美味しい料理に使うものなら、料理する時の過程で指を切って怪我をしてしまうことも仕方ない、と思えるし悪いイメージはそんなにわかない。

ただ、人の命を奪う道具としても使えてしまうので、そこへの印象があまりに大きいと、包丁を持つこときに恐ろしくなってしまうこともある。


その道具に関わる人にはそういう責任も付き纏うのかも。


本人はそんなつもりなくても、結局判断するのはその先にいる人だから、難しい部分はあるけど、『自分がされて嫌なことはしない』ということを意識すれば、相手の立場になって考えてみれば、視点が変わって行動が変わるかも。


でも、そういう視点を持つためには、自分に余裕がないと難しいかもしれない。

自分のことで精一杯だと、他の視点を持つ時間を取る余裕がなくなってしまうし、心の余裕がないと、違う視点で見ることって難しかったりする。

『まずは自分から』っていうのはいろんな部分で大切なことなんだよね。


そういう意味でも、『誰がやっているか』っていうポイントは見るべきところだよね。

その人自身は満たされてる?

そうでなければ、奪われてしまうかも。

『誰とやるか』も大事。

まだ満たされていないけど、それを伝えてくれていて、一緒に自分を満たすことからやってみようって人は信頼できるかもしれませんね。


あなたがやっていることも『誰がやっているか』という部分を見られているかもしれません。

もちろん、わたしがやっていることも。

身が引き締まりますね。



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