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はじめまして、おおしまです。

自己紹介

はじめまして、おおしまりえと申します。
スタッフ間ではりえちゃん。
お母さんたちからは、おーしまちゃん、おおしまさん、リエボンと呼ばれてます。(呼んでくれる人少ないですが、リエボンと呼ばれるのも案外気に入っています。)

好きなことは、妊婦さんのお腹から赤ちゃんに話しかけること。お産がのんびり進んでいく中で、お母さんが陣痛合間のうたた寝に同調(便乗?)してる時間も好き。赤ちゃんが上手におっぱいを飲んでいるのを見ていると眠くなる。写真を撮ること。書道したり、絵を書いたり、消しゴムはんこつくったり、何かを作るのに夢中になることが好きです。去年、ウクレレを自分の誕生日プレゼントにしたんですけど、その練習してる時間も好きです。どれも仕上がりはヘタの横好きレベルですが…
あとは、ご飯を作るのも食べるのも飲むのも大好きです(全部ゼロカロリーならいいのにね)。森の中をてれっと歩くのも好きです。そしてひとり息子のサッカーを応援すること。

苦手なことは、数字関係。緻密な計画を遂行すること。計画するのは楽しいんですけど、計画なんてその通りにならんでなんぼと思っています。(それをひとは妄想とか気まぐれと言うのだと解釈しています。)なので、指示を受けてその通りに動くことも大変苦手なことです。その指示が腑に落ちていれば、なかなかいい仕事するやんと勝手に思っています…。そして、助産師をしていて本当に致命的なんですが、申し訳ないくらいお名前を覚えることが苦手なんです。町中でばったり出会って「あ、〇〇さん♪」ってお呼びしたいんですけど「あらぁ〜♪(名前、出てこん…)」と内心焦ってることも多々あります。良かったらさり気なくお名前を教えていただけるとかなりホッとします。

なかむら産家のこと

私たちmamaはぐ助産院の助産婦3人は、北九州市小倉南区にあったなかむら産家医院で一緒に働いていた仲間です。わたしが勤めていたのは2007年から2010年までの3年です。たった3年でしたが、赤ちゃんとお母さんのそばにいることの喜びや責任の重さを痛感した3年でした。人間関係も仕事の内容も本当に充実していて、とにかく楽しい職場だった!というのがわたしの中のなかむらです。

助産師が自律して、妊婦健診からお産、産後の入院生活を続けてサポートできることは当たり前のようで難しいというのが多くの産科の現状
です。そんな中、それを当たり前にできる産科がなかむら産家医院でした。

なかむらでは、妊娠中からお産そして産後のお母さんたちと本当によくお話しました。赤ちゃんを授かることへの喜びやそれを育てていくことへの不安など…とにかくお母さんたちはよく話してくれました。そして私たちも一緒に笑ったり、泣いたり、時に腹を立てたりすることも…。

お母さんの感情と共にありながらお手伝いしていくと、お母さんが赤ちゃんといること、おっぱいをあげること、世話をすることに対してちょっとずつ自信を持てるようになり、それが赤ちゃんの安心へとつながり、母子の絆が土台となって、家族のしあわせに…という人生の中で最大の喜びのそばにある仕事でした。

思い通りにならない時こそ

だけど、お産は赤ちゃんにとってもお母さんにとっても命がけの大仕事であり、その前後である妊娠中、産後も思い描いた通りにいかないことが数多くあります。思い通りにならず「悲しかった」「辛かった」…絶望感に押し潰されそうなことだってあります。
だけど、なかむらではそんな時にもお母さんと赤ちゃんのそばにいることができました。転院になった場合もそちらにうかがって、会いに行ったりすることもありました。
どんなに辛いときも、その先には光が必ず見えてきました。命がここにある…それは何にも比べ難いよろこびである…それを心底実感したのは、なかむらに居られたからかも知れません。

思い通りにならないことって、生きてく中でちゃーんと意味があって、後になってみると素晴らしい経験になっていたということがしばしば。それを受け入れることの難しさもあるけれど、絶対そこには光がある。

なかむらに勤めるまでは「お母さんの思い通りにならないことは、とにかく意地でも、不自然でも思い通りに近づけなければ…」とどこかで思ってたような気がします。

実際、以前の職場では思い通りにならなかったことがお母さんのクレームとして現れることも多かったんです。
そんな時の問題の本質は、ケアする側の技術の未熟さや医療ミスとか言われるものではなく、ほとんどがコミュニケーション不足だったと思います。業務に追われて余裕がなくなり、お母さんたちの話が聞けない…その不安や不満がクレームに…現場では珍しいものではないと思います。

思い通りにならないしんどさをわかってくれる人がいる。
しんどいって言ったら、しんどいね、どうしようかねって一緒に考えてくれる人がいる。


案外お母さんたちが望んでおられたのは、その場しのぎのしんどさを回避する人より、同じ気持ちを感じてくれて、一緒に考えてくれる人だった。これもなかむらで学んだこと。
もちろん、その場しのぎも必要なこともあるんですけど、そのさじ加減みたいなものは、妊娠中からお互いを知っているからそのタイミングも絶妙だったと思います。(自分で言う)

じゃあなぜ、現在助産師が助産師らしい仕事を全うできないことが多いのかはいずれお伝えして、どうしたらいいかを一緒に考えていただくとして、なかむら産家ではなぜそれができたのか…それは院長がとてもユニークで、赤ちゃんとお母さんのことをとにかく第一に考えていたからです。それについても、またいずれ書いてみようと思います。

そのなかむら産家で3年勤めた後、自分のお産と子育てを機に自宅近くの総合病院で病棟勤務を半年してみたり、他の助産院で3年ほど子連れ勤務したり、6年看護助産学校で教員をしたり…となかなか変化に富んだ約10年を過ごしました。

助産師を養成する学科に異動になってから、学生を通して妊婦さんやお産との距離が近づくにつれて、燻っていた助産師の仕事を全うしたいという思いがどんどん大きくなり…それを爆発させるような出来事がいくつかありました。

その中で最も大きな出来事は、なかむら産家医院が平成30(2018)年に閉院するという知らせでした。そこで閉院前の数か月なかむらで働く機会をいただきました。

いつまでもそこにあって、いつでも戻れるだろうと信じていた場所を失うということが、こんなにも辛いことなのかと感じた時期でもありました。

なかむらに勤めて、閉院したらあるところに移住して、助産院に勤めようと思っていたのですが、その助産院もお産の介助を辞めることを決め、移住計画も泡のように消えてしまいました。今さら助産師の仕事が全うできるかわからない産科をあてなく探して勤める気持ちにもなれませんでした。

そんな時に、ちょうど自分がお産した助産院も週に1回くらいご飯を作りにおいでよと呼んでいただいたり、好きだったカフェの厨房でバイトしたりしているうちに…色んなことがあり、自分たちで助産院も開業した…というのがmamaはぐ助産院です。

mamaはぐではお産の介助はしていませんが、孤独や社会からの孤立を感じやすい産前産後の赤ちゃんとお母さんと主に関わりたいと思って活動して1年過ぎました。

長々わたしの自己紹介を読んでくださってありがとうございます。また時々書きます。(おーしま)

サポートいただけたら嬉しいです。いただいたサポートは、妊婦さんや赤ちゃん、お母さん対象のイベントの活動費として大事に使わせていただきます。