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精神科とコカ・コーラの話

「コーラはね、赤ラベルじゃないとコーラじゃないのよ」

大学卒業後初めて働いた関東の精神科病院で、私は患者さんにそう教わった。

その病院で私は3年ほど勤務していたが、うち2年間ほど、長期療養の開放病棟の担当ソーシャルワーカーをしていた。地域移行が声高に叫ばれる昨今の精神科医療だが、それでも長期入院の患者は確かに存在する。30歳になる私が生まれる前から入院し続ける長老のような方も多く、入職して高々2~3年の私なんかよりも彼らはずっと病気のことや病棟のルール、患者さんのこと、職員の派閥などなど、とにかくいろんなことに精通していて、不慣れなワーカーだった私に親切にしてくれた。長期入院ともなると病院が住民票上の住所になっている方もおり、そうでなくても転送届を利用して様々な手紙が病院に届く患者さんは少なくなく、私は事務の職員から手紙の束をもらうと病棟まで行って病室をほうぼう訪ね歩いた。

「あの人は最近幻聴がひどくてしんどそうだから静かにしてあげてね」

「あの人だったら今作業療法に行ってるから4時頃にまた来なさい、お部屋はあっち、ベッドは手前ね」

ナースステーションの看護師たちに彼らの所在を訪ねるといちいち把握していられないと怒られてしまうため、こそこそとナースステーションの病室一覧を確認し、病室にいなければうろうろデイルームを歩き、そして長老のような彼らはうろうろする若造を見かけるとどうしたの?誰探してるの?手紙?と話しかけてくれて助けてくれた。15時頃は病棟もおやつの時間で患者さんたちがデイルームにいることも多く、大体いつもその時間を狙って病棟に上がると、デイルームはいつもカップ麺のにおいがした。


私の勤務先だけだろうか、長期入院の患者さんたちはジャンキーなものが好きな人が多かった。

患者さんたちは70歳を超えたおじいちゃん、おばあちゃん世代が多かったのだけど、彼らはよくおやつにカップ麺やカップ焼きそばを食べていた。そんなに食べて夕ご飯は入るのか気になって聞いてみたこともあったが問題はないらしく「これがおいしいんだよ」と日清カップヌードルを片手にニコニコされていたように思う。病院の売店で買うカップ麺は高価で小遣いが月末までもたないので、そうでないときはコカ・コーラとマックスコーヒーを片手に過ごしている姿を今でも思い出せる。

「ママイさんはコーラ飲む?」

「飲まないですね、炭酸苦手なので」

「おいしいのに?」

「はい」

「あのね教えてあげる。コーラはね、この赤いラベルのやつがコーラなの」

そう言って彼らはいつも赤いラベルのペットボトルを見せてくれた。

「黒いのは?」

「あれは偽物」

「ペプシは?」

「赤いのじゃないとだめよぉ、飲むときは赤いやつよ?」

謎のこだわりを発揮する彼らにそうなんですかと笑ってやり過ごしていたが、その病院を辞めてもう4年あまり経つ。

よほどのことがない限り彼らはまだ入院しているだろう。社会的入院とはそんなものなのだ。いくら地域に、地域にと声高に叫んだとしても帰る場所もなければ受け入れてくれる施設などもなく、家族は受け入れを拒否し、金銭的な余裕もなく、なにより彼らも退院をあまり積極的に希望しなかった。今もカップ麺…は難しいかもしれないけれど、コーラとマックスコーヒーは楽しめるくらいに元気だと良いな、と私はコーラを見て彼らを思い出すとそう思う。

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