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そして親子はつづく(後編)

「私は私の人生を生きたい…!!」

と、家族みんなの前で叫んだとき、意外にも弟が深く頷いてくれて、
「そうやな。おねえがいたから、おかんもここまでやってこれたんやで」と言ってくれました。

その言葉は、今までの私のやってきたことを深く理解して言ってくれた言葉のような気がして、
なんか、もうそれでいいや、と思いました。
私が家族のなかでそういう役割をしてきたのは私の勝手で、だれも強制はしていなかった。でも、でも、こうして頑張ってきたことを、ただただ誰かに分かってほしかった。
夫もだし、弟もこうして私のことを理解してくれる。味方がいる。
今までの私の家族のなかでの頑張りは、もうそれで全部いいと思えました。

そして、旅行がおわり、私は夫とふたりで実家に呼ばれました。
レポート用紙が5枚用意されていて、それは母が書いた文章でした。

そこには、
せっかくの旅行があなたのせいで台無しになった。旅行でのあなたのふるまい(叫びながら、履いていたサンダルを投げたこと)が私たちをひどく傷つけた。あなたから過去のことをいつも責められるけど、誰もがみんな過去の傷をかかえて頑張って生きているのに、あなたは大人として恥ずかしい。大人のふるまいを求める。もう高齢者の私たちに対して、あなたのしていることは「老人虐待」です。
などということがびっしりと書かれていました。

読みながら、私の手は震えてきましたが、横に夫がいたのでなんとか最後まで読みました。

そして、いろんなことを思い出しました。
大学生のときに夜遅くまで働いていたバイトを父と母の睡眠を妨害しているという理由で、今すぐに辞めないとこのお金で出ていきなさいと言われ、話も聞いてもらえずいきなり通帳を渡されたこと。
私がなにかをやろうとしたら、応援ではなくいつも、強い口調でネガティブなことを言われてきたこと。
夫と結婚するときも、こういうものがいるから買いなさいと勝手に家財道具を指示され、それに従わないと強く責められたこと。

そんなとき、過去の私は自分が無力だと思っていたので、100%自分が悪いから、自分がお母さんの気持ちを考えられないひどい人間だから、そんなふうに言われるんだ。私は母を傷つけるような最低の人間なんだと思って、
泣きながら「ごめんなさい、ごめんなさい…」
と謝ってきました。
そんなとき私は、「この世界で誰も味方がいない。私はひとりだ。」と痛感したものです。

でも、今の私には、もう絶対的な味方がいます。
自分と夫で幸せな家庭を築けています。
親の意見に従う必要なんてどこにもありません。

私も用意してきた携帯のメモに書いてきた文章を読みました。

ずっとお父さんお母さんに認められたくて頑張ってきたこと。
もう今は頑張れない状態になっていること。
お母さんがずっと頑張っている姿をみて、そこまで頑張らなくても、ただ笑っていてほしいと思っていたこと。
余裕のないお母さんの機嫌をうかがって、ずっと怖かったこと。
中学受験のとき、受験に失敗したらお父さんお母さんに見放されると思っていたその小さいころの自分が、今もずっとこころのなかにいること。
頑張らないと愛してもらえないと思っていたこと。

ずっと言いたかったことをやっと言えて、もう私はお父さんとお母さんがいなくても自分の力でやっていけます、もう二度と会いたくないです。と言って実家を出てきました。
もう、ほんとにこれでいいやと思いました。

私には夫と息子の大切な家族がいる。
強い気持ちで、それまでに両親に言ったことがないこと、ずっと言いたかったことが言えて、どこかすごくスッキリしました。

そして、少し落ち着いた頃に母からLINEが送られてきました。
もうそのまま無視しようかとも思ったのですが、なんとなく読んでみました。

「旅行の写真を見ながら、つくづくやっぱり私は〇〇(私の名前)が大好き。
ただただそう思ったよ。
それだけは伝えたくて…。
今までの頑張りすぎた人生に特別後悔はしていないけど、〇〇が大好きな事は伝えておかないと私は自分の人生を後悔する。
写真を見ながら、何であんな事になったんだろってつくづく思いました。
あの後、事態は最悪な状況でしたが、何故かどこか変にスッキリしてしまう自分がいて、旅行のアルバムを作り始めようと思いました。
〇〇の笑顔を見ながら私はまだまだ〇〇と語り笑い合っていたいとただそう思いました。
〇〇には私の事を頑張りすぎる、堅苦しいピリピリするとか言われて
正直、それが個性なんだから放っといてと思った。
同時に〇〇の考え方や生き方も個性で、
個性と個性に何故折り合いをつける必要があるんだろうと思いました。

干渉しすぎないようにと気をつけ過ぎていて、自然ではなく変に距離を置いてしまっていただけで
干渉の意味もちょっと違うやんてことに気付きました。

今まで本当にごめんね。

やっとやっと石垣島で〇〇に言われた事が腑に落ちました。
今回のことで、〇〇は気持ちの整理や消化するのに時間がかかったり、まだまだ消化できないかも知れませんが、無理はしてほしくない。
まだ作り始めなので時間はかかりますがアルバムは作れたら送るね。
笑顔の■■君(息子の名前)を見てあげてくださいね。」

そんな風に書かれていました。
お母さんのほんとうの気持ちに触れられた気がして、私も素直な気持ちでLINEで返信をしました。

「LINEありがとう。
私もあれからいろんなこと考えてたんだけど、今回のことは、自分が自分の人生を生きるために必要なことだったと思っています。
お母さんの味方でいたい、○○(弟の名前)とお父さんを仲裁して家族みんなが仲良く平和でいてほしい。
小さいころからただひたすらそう願って生きてきたけど、そうしたら気づけば自分の個性、自分の人生がなくなってしまってた。

私は本当はだれの味方でもなく、自分の味方でいたいだけなんだって、石垣島のあの場面で、私の心が叫んでた。
だから、あんなことしちゃった。
やったことは申し訳なかったけれど、私はあの場面であの行動を起こして、
やっとやっとやっと、
自分の気持ちを大事にして自分の人生を生きていけるという覚悟が決まったよ。

今まで、ただただこの家族が大好きでみんなが笑ってほしくて、自分を抑えてみんなを調整してきたけれど、本当はだれも私にそうしなさいなんて言ってなかったし、勝手にやってきただけなんだよね。
それは私の個性でもあるし優しさでもあって。
だから、お母さんが書いてある「私の個性だし放っといてほしい」って気持ち、めちゃくちゃわかるよ(笑)

それを尊重し合いたいし、私自身がちゃんと軸を持って自分の人生を自分の足で歩けるようになれば、また家族と仲良く過ごして行けるって思ってる。

だから、それまでは自分の人生に集中したいから、家族にまた気持ちがひっぱられないように、少し距離を置いて生活していきたいと思っています。

私もお母さんが大好きだから。

自分をちゃんと構築した上で、本当にお互いを思いやる関係になりたいな。
アルバム、楽しみにしています。」

と送りました。

そして、母からは、
「返信ありがとう。了解です。
 〇〇には今までほんとにごめんね。
 そして、ありがとう。」

という旨の返信がありました。

これは、言ってみれば、ただの30代後半の私の遅れてきた「反抗期」がやっときた、というだけの話です。
でも、はっきりと言えることは、今が今までの人生のなかで一番清々しいし、今が一番自分のことが好きだし、これからの人生がとても楽しみで、わくわくしています。

これから私たち親子はどうなっていくのかは分かりませんが、
どちらかが死ぬまでは、ずっと、親子はつづきます。

いつか再会できたときは、笑顔で会えたらいいな。

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