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リトル・ドラゴン⑥

⑹「時の過ぎゆくまま」

「今」という時をしっかりと定義する事は意外と難しい。未来と過去の中間地点。まるでサラサラと指の間から流れ落ちる砂のように、捉えようとした瞬間から過去という大きな波に飲み込まれてしまう。

考えれば考えるほど、僕は今どこにいるのか、まるでわからなくなってきていた。

そして、この状況はやはり滑稽でちょっと笑える。

マルコが、目の前の小屋のドアをノックするのを見ながら、僕はただぼんやりとそんな事を思っていた。

「それにしてもようやくだね。やれやれ。全くあいつはなんだって、こんなに厄介な所に住んでいるんだろう。やって来る方の身にもなってほしいよね。」
マルコはそう言ったが、横顔を覗くとまた少しだけ元気を取り戻しているように見えた。
今から会うその友達は、きっとかなり大切な部類に入る友達なんだろうと感じた。

「返事がないなぁ。もう入っちゃおうかなあ。」
マルコがそう言いながらドアノブを回していると、不意にその古びた木製の扉が開いた。
「あれ、カギ開いてる。」そう言うと、マルコはそのままドアを奥へ押した。

僕らはゆっくりと小屋の中に足を踏み入れた。
「お邪魔します。」一応僕は言った。

見渡すとそこは広めのリビングで、部屋の真ん中にはいかにも高価そうな大きい絨毯が敷いてあった。低い天井から吊るされた裸電球以外に家具らしい家具は一つとしてなかったが、奥側にはお飾り程度の小さな窓があり、その前に例のライオンらしき毛むくじゃらの動物が、背中を丸めて椅子に座っているのが見えた。

「ポール、あれが僕の友達だよ。ヘンリーっていうんだ。」

「ふーん。ヘンリーか。オッケー」
「そう。まぁ、君と同じくらい良い奴なんだけど、君と同じくらい卑屈な性格をしてる。」
「なんだよ、それ」
僕らが玄関を上がりそんな会話をしていると、泣き虫ライオンことヘンリーは背を向けた体制のまま、ちょうど僕らに聞こえるぐらいの声量で歌いだした。

「The days of wine and roses,
laugh and run away,
like a child play-」

その悲しげなメロディーは、1962年のヘンリー・マンシーニによるバラード「酒とバラの日々」だった。大柄な体格の為、後ろからは見えなかったが、その手には確かにギターを持っているようで、6本の弦が巧みに爪弾かれるのが聴こえてきた。特別上手い、というわけではなかったが、しっかりと低音を響かせた味のあるバリトンボイスである事はわかったし、実際悪くなかった。

「あいつ、あれしか弾けないんだよ。」
少し関心していた僕にマルコが諭すように言った。
「なるほどね。」

すると、ヘンリーは一度だけこちらを振りかえった。獰猛な生き物、という僕の勝手なイメージを覆すのに十分なくらい温厚そうな顔をしていた。一瞬、僕のことをじっと見つめたかと思うと、また背中を向け何を言うでもなく再び歌い出した。仕方なく、僕らはただ立っていた。2コーラス歌いきり、たっぷりとためを作りながら、最後のフレーズを二度繰り返した後、ヘンリーは曲を終えた。

「わるいけど、拍手してやってくれないか。」
囁くように小さな声でマルコは僕に言うと、パチパチパチと自身の手を鳴らした。
僕も慌ててそれに続いた。

ヘンリーはこちらを振り返って
「何の用だよ。」
と言った。

大きなまゆをひそめた、そのいかにも不機嫌そうな態度が、むしろ僕らを歓迎している事を滲ませていた。

しかしそんな雰囲気とは別に、やはり彼も普通の(あくまで僕にとっての)ライオンとは明らかに違う事が分かり始めていた。

毛の色が薄いピンクがかったゴールドだった。また、その毛色が醸し出す高貴なオーラを打ち消すように、かなり太っていた。こんな辺境の地で一体何を食べて暮らしているんだろう。

「君がいつまでも泣いてるからさ。僕の友達を連れてきたんだ。」
「友達?ふん。そんなの頼んでないよ。」
マルコの言葉に、ヘンリーはそっぽを向いて応えた。
そのぞんざいな態度を確認してから、マルコが目くばせをしてきたので、僕は挨拶をする事にした。
「やあ。僕はポールだよ。ポール・マッカートニーのポール。」

するとヘンリーはポール・マッカートニー、と聞いたところでこちらをもう一度向き、一言こう言った。
「ふん。ビートルズかよ。あんなのは音楽じゃない。」
その言葉に僕は驚き、聞き返さずにはいられなかった。
「ん、なんだって?」
そう言いながら、僕は自分に言いきかせた。いつだってこういう輩はいるものだ。ビートルズを否定して悦に入ってる奴。しかし、ビートルズを嫌いと言っている奴は往々にしてビートルズが好きだ。人知れず「ホワイト・アルバム」辺りを聴き漁って、影に隠れて踊っているのだ。

少しだけ上滑りした気持ちが落ち着き始めた頃、なぜか
「僕もブライアン・ウィルソン派だ。ポールは認めちゃいけない事になってる。」
マルコはヘンリーに同調してそう言った。

「オーケー。まぁ、好きな音楽を聞けば良いと思うんだけど。ちょっと話を変えるよ。」
僕がそういうと、ワザとらしく鼻を鳴らしてからヘンリーは窓の方を向いた。今度は体ごとだ。なかなか厄介な性格だと思った。

僕は最大級に小さな声で、
「ねぇマルコ。ヘンリーのヤツ、全然泣いてないと思うんだけど。」
と言った。するとマルコは、
「いや、ポール。よく見てみろ。今泣いてる。君が泣かしたんだぜ。」
そう言って、ヘンリーの背中を指差した。

僕はその綺麗な毛に覆われた背中をじっと見つめた。たしかに、小刻みに震えていた。さらに「うっ、うっ」という声が漏れるのが聞こえた。僕は驚きを隠せなかった。

「嘘だろ。」
「本当だ。ああ見えて、すごく繊細なんだよ。」

繊細、というのとは少し違うと感じたけど、僕が困惑している間にも次第にヘンリーの泣き声は大きくなりついには「わーん、わーん」と全身で叫び出してしまった。

「参ったなぁ。」
「多分だけど、歌が褒められなかったから傷ついちゃったんだよ。」
「そうなの?いやぁ、十分上手だったけどなぁ。」
心底困りながら僕はそう言って、ふと、ヘンリーの横を見ると、さっきまで彼が弾いていたギターが壁に立てかけられているのが見えた。

「ようし。やってみるか。」
僕は足音を立てないように気をつけながら、大声で泣いているヘンリーに近づき、そのギターを手に取った。
「ちょっとポール、何をするつもりだよ。今はこれ以上、ヘンリーを刺激するべきじゃないよ。」
慌ててマルコが言った。
その声でヘンリーが僕に気づき、にらみつけるように僕を見た。大柄な彼にそうされると、なかなかの迫力があった。

それでも怯まないように、僕は大きく深呼吸をした。
「マルコ、もう少しだけでいいんだ。」
僕がそう言うと、マルコは目を丸くして、羽を一度ビクッと動かした。
「え?」

「魔法を信じてみなよ。」

#小説 #ファンタジー #宇宙

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