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【介護士ベイベー】 〜ある日目が覚めたら俺は要介護になっていた〜

【目覚め】

なんだ…

一体どうしたと言うのだ…

理解が…

出来ない…

何が理解できないかも…

理解できていない…

「混乱」

そう

今の自分は「混乱」しているのだ。

どれくらい時間が経ったのか?

今が朝なのか夜なのかも分からない。

けれど、ようやく自分が「混乱してる状態」であることが理解できるようになった。

身体全体に異常なまでの違和感がある。

まず…

目が開かない。

耳も聞こえない。

言葉を発する事はもちろん、手や足を一ミリも動かすことが出来ない。

自分が立っているのか。寝ているのかすらも分からない。

おそらくどこかに横たわっているのか。

背中に圧力も感じないから、それすらも分からない。

そもそも自分自身に「身体」があるのか無いのかさえ、分からない。

現実に「混乱」するこの気持ちがあるのならば、おそらく「精神」だけはあるのだろう。

俺の身体はどこに行った?

ここは一体どこなんだ?

これはまさか…

「死」なのか?

俺は死んでしまったのか?

いや…

まて…

その前に…

俺は…

俺は一体誰なんだ?

【混乱】

どのくらい時間が経ったのだろう。

数時間か?

数日か?

数ヶ月か?

いまだに「混乱」からは抜け出せないが

その「混乱」の中で物事を考える事が、少しずつ出来るようになってきた。

現状を整理する。

身体の自由が全く効かない。

ここがどこか分からない。

自分が誰か分からない。

ここまでは何とか理解できた。

さらにここ最近、とても重要な事に気がついた。

身体自体は痛くも痒くも無い。

寒くも暑くも無い。

呼吸自体は苦しく無いし違和感も無い。

「精神」だけを残し「身体」自体を失ってしまったのかとも考えたが、不思議と「呼吸」をしている感覚だけは僅かだがある。

「感覚」の全てが無い訳だから、感じないのも当然だが
いわゆる「苦痛」を少しも感じてはいない。

「身体」自体を失ったからこそ「苦痛」が無いのか?

考えは頭の中を堂々巡りする。

もう一つ、最近になって気がついたことがある。

自分が今の状態に気がついてから、少なくとも数日、数ヶ月の時間が経っている感覚がある。

にも関わらず、一向に空腹を感じない。

実際に食事や水分の類は摂取していないが、尿意や便意も全く感じない。

今の俺は食事や排泄もしていない。

と言うことは、やはり「身体」自体がすでに存在しないのか?

大いなる混乱と少しの納得。

そして今日もまた

時間だけが過ぎ続ける。

【白い天井】

またしても、膨大な時間が過ぎ去ったような気がする。

混乱と無力感が積み重なり

「成す術がない」

今の状態の出口が見えないことだけに、苛立ちが日に日に増している。

『俺は死ぬまでこのままなのか?』

『いや、むしろ俺は今すでに死んでいるのか?』

相変わらず答えの無い、自分への押し問答が続く。

苦しみや悲しみ、それ以外に感じたことの無い負の感情が、俺の精神を痛め続けていた。

そんなある日、とうとう俺に変化が起きた。

今まで漆黒の闇に包まれていた視界が

僅かに光を感じたような気がしてきたのだ。

目の前がうっすらと、白んできたような感覚。

『気のせいか?』

永遠に続くと思われる絶望の時間の中で、微かな自身の気持ちが見せている錯覚なのか?

しかし

二度と見ることは無いと思えた光が

日に日に強く感じられている。

『間違いない』

疑心から確信に変わるほど、俺が感じる光は強くなっていた。

『明るい』

『間違いなく、明るい』

暗闇に一筋の光とは、まさにこの事だ。

『もっと強く』

『もっと強く』

膨大な時間の流れの中で、俺はそれだけを繰り返し唱え続けた。

自分に出来ることは、もはや神に強く祈り続ける事だけだった。

その祈りが通じたのか、俺が感じる光はいよいよ強くなり続けた。

薄ぼんやりと明るさだけを感じていた俺が、今や眩しいほどの光を感じる。

その光の向こうに

「視力がある」

とその時の俺は信じて疑わなかった。

そしてとうとう

俺の目の前に、見えた。

眩しいほどの光の先に見えたもの。

それを理解するまでに

また数日か数週間を要した気がした。

俺が光の先に見たもの

それは

「真っ白い天井」だった。

【時間】

俺の視界の先に見えた唯一のもの。

その白い天井を眺め続けて、どれくらいの時間が経ったのだろう。

相変わらずその白い天井は

何の変化も無いまま

俺にその無機質な姿だけを見せ続けている。

その白い天井だけが

今の俺の唯一の情報源だった。

その白い天井は

よく見ると複数のパネルで構成されていて

病院などの何らかの施設にしか思えなかった。

つまり今の俺は

何かしらの施設に横たえられた状態。

しかも

起き上がる事はおろか

喋ることも、手足を動かすことも全く出来ない

身体中全ての筋肉が硬直したままの状態。

いわゆる

「寝たきり」

だと言うことだけが

今の俺が知り得る、現実の全てだった。

『なぜ俺はこんなところにいるのか?』

それについては

何も思い出せないままだ。

そうしてまた時間だけが過ぎていく。

俺に必要なのは

「変化」だ。

漆黒の暗闇の中

自分が目を開けているのか、閉じているのかさえ

分からなかった頃に比べて

今の俺は

うっすらだが視力を取り戻している。

その事実を考えると

この先

聴力や全身の筋力が回復することも

あり得るのではないか?

そう肯定的に自分の現実を捉えなければ

気が狂ってしまう恐怖と

俺は、常に戦っていた。

『何か変化はないのか?』

過ぎ去っていく膨大な時間の中で

俺はそればかりを考えた。

そしているうちに俺は

ある変化に気がついた。

俺が白い天井を

見続けている時間。

この「時間」は

永遠ではなかった。

恐らく一日の中で

俺が白い天井を見ていられる「時間」は

せいぜい数分だった。

周りが全くの「無音」かつ

首も全く動かせない俺にとって

「時間」を感じることは

至難の技だった。

時間とは

自分の周りの

「変化」

があってこそ体感できる。

自分の周りの変化が

全く感じられない俺にとって

自分の視力が戻っている「時間」を

測る術は皆無だった。

しかし

視力が戻り始めてから

俺が白い天井を眺め続けられる

「時間」が

日を追うごとに

長くなっている事が体感できるようになった。

恐らく最初は、数秒だった物が

数分になり

最近は数時間にも感じられるようになった。

そんなある日

俺の体全体が

浮かび上がるような感覚を

不意に感じた瞬間があった。

最初は気のせいかと感じたが

繰り返し感じたこの感覚は

自分の体が移動していると確信に変わった。

ゆっくりだが

確実に

俺の体は移動していた。

時には左右に

時には上下に。

上下というのは

上半身だけが

斜めに上がっている感覚

体の動かせない俺自身が動いているのではなく

俺が乗せられているベッド全体が

動いているような気がする。

実際には

俺は全身に全くの感覚がないために

ベッドに「寝ている」圧力を感じない。

だから寝ている感覚さえ定かではないが

自分が唯一持っている僅かな視力から伝わる情報

「白い天井」

のパネルの継ぎ目の角度が

時間によって変化してることに気がついたのだ。


【過去】

日に日に

俺は目を開けていられる時間が

長くなっている。

ベッド自体の動きも

明らかに感じられるようになった。

全身の全ての感覚を、失っていた俺にとって

たとえ膨大な時間が掛かっても

自分自身に変化を感じ取れる事は

とても嬉しい事だった。

そんなある日

俺が寝ている角度が

いつもより急になった気がした。

いや

いつもの事なのかも知れない。

今までの俺が

その瞬間まで目を開けていられなかっただけかも知れない。

しかしその日

俺は今までに見えた事が無い

視界を得ることに成功した。

ベッドの角度が上がったことで

今まで天井しか見えなかったが

その下の壁や

壁に見える扉を確認することが出来た。

初めて見るその扉も

白い天井と同じく

白で統一されており

質感は金属のように見える。

ドアに取っ手は無く

見ようによっては自動ドアにも見える。

壁やドアを確認出来た俺は

やはりこの場所は

どこかの「部屋」であると言う確信を得た。

しかも

ベッドから扉までの距離を考えると

部屋全体はそれほど広くないと想像出来る。

恐らくせいぜいワンルーム位の広さであろう。

これまでの情報を整理すれば

この場所を

「病院」

だと判断して間違い無さそうだ。

しかし

その「病院」に

しかも「寝たきり」で

俺が収容されている理由は

今のところさっぱり分からない。

何かの原因で「病院」にいるのだろう。

でも

一体何の病気で

俺はここにいるのか?

それを考え始めると

途端に恐ろしくなった。

現実を理解することは

「過去」

を振り返ることから始まる。

しかし俺は自分の過去の

記憶が全く無かったのだ。

【白い椅子】

そしてまた、果てしない時間が過ぎた。

いや実際には数日だったかもしれないが、

正確な時間を知る術のない俺にとっては

死ぬほど長い時間に思えた。

最近になって、自分自身で納得出来たことがある。

今の俺には、起きている時間より眠っている時間の方が

圧倒的に多いのだと言うことだ。

何かしらの「変化」を欲している俺にとっては

「起きている時間」は貴重なものだ。

その間に自分の目で見える範囲のものに

とにかく全神経を集中させる。

と言っても、日々の変化はさほどないので

俺の見る景色にほとんど変化は無いのだが。

しかしこの「起きている時間」が多ければどうだろう?

俺自身が未だ認識していない風景を

見ることが可能なのでは無いだろうか?

依然身動きの全く取れない寝たきりの状態で

冴えない頭をフル回転させて得た、自分なりの結論だった。

目が開いていると思われる時間を

なるべく長くするために

俺はとにかく懸命に起き続けようと努力した。

しかし

その努力虚しく

気がつくと俺はまた深い眠りの中に

無意識に引きずり込まれていた。

どうやら今の俺にとっては「起きている」だけの状態が

とてつもなく難しいことなんだと

最近になって理解し始めた。

そんな混乱と葛藤の毎日の中で

俺の中でまた大きな変化が起きた。

数日か数ヶ月前に

一瞬ではあるが、かなり自分の上半身が

起き上がっていると実感できる瞬間を体験した。

その時に俺の目に飛び込んだものは

部屋の入り口付近にある

一脚の椅子だった。

金属製の扉の左側に

これもまた無機質に置かれた白い椅子。

その椅子を見たとき俺は息を呑んだ。

椅子があると言うことは

いつか誰かがこの部屋に入ってくると言うことか?

その日以来

俺は誰とも知らぬ、その椅子に座るべく人を

心の中で待ち続けた。

膨大な時間を使っても

未だに俺は「俺が誰であるか」分かっていない。

この部屋を訪れる人の姿を

もし見ることが出来たら

それは俺にとって大きなヒントになり得るはずだ。

しかし

その白い椅子に座る人物は

一向に俺の前に姿を見せることは無かった。

いや

俺自身その椅子を目視出来たことは

今までで二度しか無かった。

ひょっとして

俺が眠っている間に

その椅子に腰掛けている人物がいるのか?

それは一体誰なんだ?

そんな妄想を繰り返しているうちに

今日も1日が過ぎていく。

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